(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)
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多くの名匠に愛され、自らは恋に生きた自由奔放な女優
ハリウッドでマリリン・モンローが活躍していた1950〜60年代、フランスではブリジット・バルドーが絶大な人気を誇っていた。マリリンがMMと呼ばれるのに対し、ブリジットはBB(フランス語読みでベベ)と呼ばれ多くのファンに愛されたことは有名だ。
しかしまだまだ活躍が期待されていた1973年を境に、ブリジットは突然女優業を引退。その後、動物愛護運動活動に専念し、この9月28日で御年90歳を迎える。これを記念して9月13日から「ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ BB生誕90年祭」が全国で順次開催が決定。世界中を魅了した女優BBの全貌に触れることができる。ここまで長い間語り継がれる存在となったブリジットはどんな女優だったのか。
1934年実業家の父、会社重役の娘の母の元に生まれたブリジットは優等生だった妹に比較され、叱られてばかりだったと子供時代を回想するが、バレエを習っており、コンセルバトワールに入学。14歳で“Elle”誌のモデルとなり、マルク・アレグレ監督(『裸で御免なさい』)の目に留まった。当時アレグレの助手をしていたロジェ・ヴァディムの監督作『素直な悪女』(56)が大ヒットして世界的なセンセーションを呼び、ヴァディムとは52年に結婚しまもなく離婚したものの、その後も一緒に仕事をしている。
一方、恋多き女としても名を馳せたブリジット。夫ヴァディムと『素直な悪女』を撮影中に共演のジャン=ルイ・トランティニャンとW不倫となって、お互いに離婚したのをはじめ、2度目の夫となった俳優のジャック・シャリエ、ジルベール・ベコー、セルジュ・ゲンズブール、サミー・フレー、3度目の夫で実業家のギュンター・サックスなどなどウワサになった相手は数知れず。92年に現在の夫、ベルナー・ドルマルと4度目の結婚をしてからはさすがに落ち着いた様子だが、「さよならはいわれる前に言うわ。決めるのは私」という有名なセリフを残したほどで、“小悪魔”というイメージは今も根強い。
ファッショニスタとしても、それまでの女優たちのきっちり着飾った衣装でなく、自然体をいかしたガーリーなものや、曲線美をアピールするようなデコルテや、時にはマニッシュな服も着用して、自分自身を表現したブリジット。90歳を迎える現在も、南仏のサントロペにある邸宅ラ・マドラグで暮らすという。映画界の華やかな舞台を去って、突然動物愛護活動に移った行動にも表れているように、自分の好きなもの、ほしいもの、逆に拒否するものを隠さずに主張する生き方は、現代女性の先取りのようにも感じられ、それを実践してきたBBの真価はいままた評価され直すべきなのかもしれない。
ブリジットを愛したのはファンだけではなく、フランスの名匠たちも次々彼女をミューズに名作、話題作を製作した。クロード・オータン・ララの『可愛い悪魔』、ジュリアン・デュヴィヴィエの『私の体に悪魔がいる』、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『真実』といった古参だけでなく、ヴァディムを筆頭に、ルイ・マルの『私生活』『ビバ!マリア』、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』、ロベール・アンリコの『ラムの大通り』といった当時のヌーベルバーグを彩った新世代監督たちにも起用され、自由奔放と言われたその魅力を遺憾なく発揮した。