エストニアのアカデミー賞といわれるEstonian Film and Television Awards 2024にて11部門にノミネート、作品賞をはじめとする最多9部門を受賞を果たした『エストニアの聖なるカンフーマスター』が日本でも好評公開中。日本でも前作『ノベンバー』がスマッシュヒットを記録したライナル・サルネット監督がこの度、SCREEN ONLINEのインタビューに応えてくれた。

本作『エストニアの聖なるカンフーマスター』は、ポップカルチャーが禁じられたソ連占領下のエストニアで、カンフーと伝説的ロックバンド”ブラック・サバス”の音楽に熱狂する主人公が、周囲を巻き込みながらもカンフー修行の道を突き進む姿を描く奇想天外ムービー。インタビューでは本作の題材となったカンフーについてから、監督自身の映画作りの姿勢まで幅広く答えてくれた。

カンフーを通して「奇蹟」を表現

ーー本作はカンフーが題材となっていますが、どういったカンフー映画から影響を受けているのでしょうか。

実はカンフー映画は数本しか観ていないんです(笑)。その中で一番参考にしたのが『南北酔拳』(ユエン・ウーピン監督/1976)なんです。大変申し訳ないのですが、カンフー映画を最初から最後まで観ることが多くないのですが、この作品は最後まで観ました。もちろん、カンフー映画がつまらないというわけではなく、私のテイストに合わないということだけはお伝えしておきます!

画像: カンフーを通して「奇蹟」を表現

ーーカンフー描写では、どのような点を大事にされたのでしょうか。

「飛ぶこと」が大事でした。天使たちが無重力なように。僧侶たちもそうです。なんでも可能なんです。空中も歩けますし、ある種の奇蹟です。宗教でもたくさんの奇蹟が語られますが、カンフーを通してもそれが表現ができるんです。

避けようとしたのはバイオレンスです。この映画のカンフーは会話のようなもの。手や指を相手に見せて。肉弾戦のようなものとは全く違います。映画の最初に「神を賛美せよ、タンバリンと演舞で」という一文を入れていますが、ドラムとダンスで神を賛美しているんです、ある種のダンスとして。編集でサウンドデザインをしているとき、僕らはこの作品のことを、カンフー・ゴスペルと呼んでいましたよ(笑)。

ーー音楽面ですと、日本の日野浩志郎さんが参加されています。どのような経緯でオファーをされたのでしょうか。

日野さんの感性は大好きです。ギターもドラムの様に扱われていて、すべての楽器がリズムを刻んでいます。それこそブラック・サバス的です。ブラック・サバスのギターもリズムを刻むようなメロディですよね。なので、サバスと日野さんは、リズムを刻むというところで共通点を感じますね。

記憶が正しければ、歌舞伎について日野さんと話しました。歌舞伎は、すべてのセリフが、ある種リズムのビートであって、全体的に一つのダンスのようなものになっているねと。

日野さんは「こういうドラムの音は?」といったように、リズムのパターンを幾つも提案してくれて、どれがセリフと合うか決めさせてくれました。実際、早口のシーンでは、ときどきドラムの音を効果音として入れたりもしています。

これは歌舞伎の演出とも同じだと思うんです。テンションがあって、緊張感あって、物語を少し抽象的にして、距離を置いた視点も持つこともできるんです。

異質なものを有機的な形で演じたウルセル・ティスク

――破天荒な主人公ラファエルを演じたウルセル・ティルク、教えに厳格な兄弟子を演じたカレル・ポガの対照的なコンビも印象的でした。

ラファエルはフーリガンで、彼の行動は軽妙で童心がなくてはならなかったんです。ウルセルには初対面の際に、冬のビーチで雪だるまを壊してください、とお願いしました。冷酷にやるのか、楽しそうにやるのか。どう壊すのかと思えば、ウルセルはすっごいニコニコしながらやってました(笑)。

画像: ラファエル(ウルセル・ティスク)

ラファエル(ウルセル・ティスク)

童心さやかわいらしさ、それに加えて反逆心、純粋そうな顔、クールさ・・・と一人の人間がこれらの要素を合わせ持つのは難しいと思いますが、彼にはできるんです。異質なものを有機的な形で演じることができたのがウルセルなんです。

イリネイは、ベテランの僧侶で、カンフーでもスピリチュアルな面でもかなり上級である。ただ、このキャラクターには女性的な要素も加えたいと思っていました。コレオグラファーのエディは、僕の求めているものを感じて、女性的な要素も組み入れたアクションをつけてくれています。

キャラクターとしては、力強さもある一方で、脆さや感受性もある。なので、コメディやアクションのスター級の俳優も含め沢山の方とリハーサルをしましたが、カレルを見たときに、この役に求めていたのは尊厳だったのだと気づかされました。カレルは、ファイトシーンもコメディ的なシーンも貴族的な尊厳を持って演じてくれたと思います。

物や人に命を吹き込むこと、それが監督の仕事

ーー監督ご自身のお話も聞かせて下さい。どういった映画に影響を受けたのでしょうか。

子供のころ、『ストーカー』(79)などアンドレイ・タルコフスキーの作品を観ましたね。SF要素がある事は知っていたので、アクション映画のようなものを期待して観たんですが、モノクロで、展開もスローで、当時は全然好きではありませんでした(笑)。 

でも詩的なストーリー・テリングとの初の出会いはタルコフスキー作品だったかもしれません。最初に出会ったアートハウス系シネマの監督がタルコスフキーでした。自分の魂の中でも大きな存在を持っていて、大ファンです。セルゲイ・パラジャーノフも非常に興味深いです。 

脚本を書く時にいつも考えているのは「どんなセリフを書くべきか」です。キャラクターがその気持ちをどう表現するべきか。言葉で言わせるか、視覚的に台詞ではない方で表現できないか。新しいシネマの言語を模索しています。 

企画にとりかかると、常に新しい言語を探す作業があります。それはなぜかというと、物事の表現は本当に幅広く、いろんな方法があると知っているから。表現の方法は無限大なんです。映画学校の先生にかつてこんなことを言われました。「映画作りに関して学ぶことはできない、でも自分の映画を学ぶことはできる」と。これが大事だと思っています。映画の作り方にも何千という方法があるわけで、それはタルコフスキーの作品を見て学んだことのひとつです。 

あとはライナー・ヴェルナー・ファスビンダーですね。彼の作品には、音楽のようなものが存在しています。シーンの中でカメラと役者が共に動いている。リズムがあり、セリフがわからなくても、そのシーンの演出のおかげで視覚的にストーリーが綴られている。 

彼の物語は非常に複雑で、アンビバレンスな要素を持っています。曖昧さ、偽りについての映画も作っています。『シナのルーレット』(76)ですとか。鏡やガラス、その反射を使った撮影がされており、すべてにもう一方の顔がある、という風に撮っています。彼の物語の綴り方、映画的言語は好きですね。

画像: ライナル・サルネット監督

ライナル・サルネット監督

――監督が映画を作る際に大事にしている考え方について教えて下さい。

ある種の生命観、エネルギーをどうやって作品やキャラクターに持たせられるかですね。

最近読んだ本で、コロンビアのコギ族の人々について知りました。彼らにとっては、水、石、岩、すべてが生きている。すべてのものに父と母がいて、事象にも父がと母がいるという考え方なんです。それは監督や役者が、演劇にどうアプローチするのか、ということに近いと思いました。演出や演技の際に、自分の父や母はどこなんだ、と模索するという意味において似ているんです。

映画の中で起きていることはすべて、誰かにとってイベントか事件です。起きる事象に対して、命ある何かがそこにいなくてはならないんです。

リハーサルをするとき役者さんとよく話します。その人の人生について。何かが個人的な関係性を持てるのであれば、それはとても強い。同じ経験を持っていたり、「自分のおばあちゃんがこういう経験をしました」というのは、すごく良いことなんです。

言葉に落とし込むのは難しいんですが、そうしたミステリアスな方法で、ある種ライフ(生命、人生)を作れるのかを模索しているんだと思います。少し抽象的ですけどね(笑)。物や人に命を吹き込むこと、それが監督の仕事なんじゃないかなと思います。

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『エストニアの聖なるカンフーマスター』公開中

監督・脚本:ライナル・サルネット『ノベンバー』
製作:キッサ・カトリン『ノベンバー』
撮影:マート・タニエル『ノベンバー』
振付:サーシャ・ペペリャノフ
音楽:日野浩志郎
出演:ウルセル・ティルク、エステル・クントゥ、カレル・ポガ、インドレク・サムル
原題:NAHTAMATU VOITLUS/英題:THE INVISIBLE FIGHT
2023年/エストニア・フィンランド・ラトビア・ギリシャ・日本ほか/エストニア語/115分/シネマスコープ/5.1ch/日本語字幕:横井和子/字幕監修:小森宏美/提供:フラッグ/配給:フラッグ・鈴正/宣伝:ポニーキャニオン

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