カバー画像/写真:Photofest/アフロ
時を超えて愛され続ける『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
『BTTF』公開の1985年はこんな年
今やタイムトラベル映画の古典となった『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下『BTTF』)は、日本では正月映画の注目作品として1985年12月7日に公開された(全米公開は7月3日)。85年はバブル景気の始まりの時期であり、クラブやディスコ、カラオケなど、若者向けの娯楽産業が急成長した。ファミコン用ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が発売されて空前の大ヒットを記録し、携帯電話の先駆けとなるショルダーフォンが登場したのもこの年だった。世界的にはレーガンとゴルバチョフによる米ソ会談が行われ、イギリスでアフリカ難民救済のためのチャリティコンサート「ライヴエイド」も開催された。
この年に日本で公開された映画に目を移すと、『ミツバチのささやき』(73)『路』(82)『パリ、テキサス』(84)などの単館系の作品や、黒澤明の『乱』、市川崑の『ビルマの竪琴』、デビッド・リーンの『インドへの道』(84)、ジョン・ヒューストンの『火山のもとで』(84)、フェデリコ・フェリーニの『そして船は行く』(83)といった巨匠たちの映画が公開されたのが特徴の一つ。また、『ネバーエンディング・ストーリー』(84)『コクーン』といったファンタジー、『スターマン/愛・宇宙はるかに』(84)『ターミネーター』(84)などのSF、『ベスト・キッド』(84)『すてきな片想い』(84)などの青春映画も公開された。『BTTF』はこれらの要素を併せ持っており、この時代を象徴する映画だったともいえる。
スピルバーグ、ゼメキス…若き才能が集った『BTTF』
その『BTTF』は若き才能が生み出した映画だと言っても過言ではない。当時、製作総指揮のスティーブン・スピルバーグは39歳、監督のロバート・ゼメキスは33歳、脚本のボブ・ゲイルは34歳、そして主演のマイケル・J・フォックスは24歳だった。
ゼメキスとゲイルは、大学時代に出会い、スピルバーグが監督した『1941』(79)の脚本に参加したことで映画界にデビューした。スピルバーグは初対面の印象を「彼らがたくさんのアイデアを積んだトラックを運転してきて、その積み荷の全てを僕のところに荷下ろしした感じだった」と語っている。
スピルバーグのプロデュースのもと、彼らは『抱きしめたい』 (78) と『ユーズド・カー』(80)を映画化することができた。どちらも興行的には成功しなかったが、スピルバーグは「そのうち2人が何か大きなことを達成する予感がした」として彼らを見放さなかった。
そして、彼らから『BTTF』のアイデアを聞かされた時、スピルバーグは嫉妬を覚えたという。「本当は僕が撮りたいようなアイデアだったからね。もちろん2人が考えたのだから、僕が監督をする権利はなかったんだけど…」と語り、プロデューサーとしてサポートした。
主人公のマーティ・マクフライ役は、当初エリック・ストルツが演じていたが、コメディに合わないとされて途中降板したため、テレビのシチュエーションコメディ「ファミリータイズ」(83〜89)に出演していたカナダ出身のマイケルに白羽の矢が立った。マイケルは、ジーンズにスニーカー、ダウンベスト(55年では救命胴衣に間違われる)というスタイルで、小柄な体格を生かした俊敏な身のこなしを披露しながら、親しみやすい等身大のヒーロー像を構築し、一躍人気者となった。
また、マーティの両親役のクリスピン・グローヴァーとリー・トンプソン、敵役ビフのトーマス・F・ウィルソンも皆20代だったが、メーキャップの力を借りて同一人物の若き日と中年を演じ分けている。
“未来は変えられる”今も愛される前向きさ
『BTTF』の特筆すべき点は、とことん明るく楽しいことだ。過去へのタイムトラベルを扱った映画やドラマは数多くあるが、そのほとんどが暗い現実から逃避するために懐かしい過去へ旅をする話であることから、主人公の心境には暗い影が色濃く出ている。ところが、図らずも過去への旅をしてしまうマーティは必死に自分の時代に戻りたがる。だからタイトルは『バック・トゥ・ ザ・フューチャー=未来へ戻る』となる。自分の時代が大好きなマーティには、“昔は良かった式”の後ろ向きの考えが全くなく、常に前向きなのだ。こうしたマーティの性格付けに加えて、彼が過去を変えたことで未来が明るくなるという“夢物語”も心地よく人々の心に響いた。
さらに、30年の時間差が醸し出す面白さを描いた『BTTF』は、80年代の映画で流行した家族の絆の再生劇と50年代を舞台にした青春ものという二本の柱に加えて、SF、冒険活劇、ラブストーリー、コメディといったさまざまな要素を併せ持っていた。そのため幅広い層にアピールし、全米で「フューチャー現象」と呼ばれる一大ブームを巻き起こし、85年の年間全米興収で1位となった。
また、作品全体が細部に凝った構造故に、見直すたびに新たな発見があり、何度見ても楽しめるので、その見事な作劇法は同種の映画の手本となった。その結果、多くの亜流やパロディが生まれた。最近では、2024年の流行語大賞にドラマ「不適切にもほどがある!」を略した「ふてほど」が選ばれたが、このドラマも『BTTF』の影響を強く受けている。さらに、アラン・シルヴェストリが作曲したテーマ音楽もテレビのバラエティ番組の効果音楽として今も耳にすることが多い。これらは『BTTF』がいかに強いインパクトを与えたかの証しでもある。