ポン・ジュノ監督の作品は“すべてが思っていたものと違う”というテーマが共通している気がします(ロバート・パティンソン)
──ポン・ジュノ監督と組むのは今回の『ミッキー17』が初めてですね。監督との出会いと実際の彼との仕事について教えていただけますか。
「今の映画界には、ポン・ジュノほどのレベルにいる監督はほとんどいないと思います。そして、彼を支持する観客層の広さも特別です。彼は非常に稀有な存在です。僕自身、ずっと彼の大ファンでした。そんな中で突然“ポン・ジュノの新作がある”と聞いて、彼と会い、本当に素晴らしい人だと感じました。そして脚本が送られてきたのですが、これが今まで読んだ中で最もクレイジーなものでした。とてもリスキーに感じましたが、良い意味でのリスクでした。しかも、ポン・ジュノ監督となら安心して挑戦できると思いました。撮影に入る前は、何が起こるかまったく予想できませんでした。そこで興味深いのは、彼の映画からは彼の性格がまったく想像できないということです。実際の彼はとても優しくて、ユーモアがあり、人を引きつける魅力があります。しかも、自虐的な一面もあって、想像していたような人物とは違いました。でも彼は圧倒的なオーラを持っています。最初は気づかなかったのですが、それは制作のすべてのレベルに影響を与えているんです。それが本当に印象的でした」
──「最もクレイジー」と評された『ミッキー17』の脚本を読んだとき、特に衝撃を受けたポイントはどこでしたか?
「これまで読んだことがないタイプの脚本で、この先こういうものを読むことはないだろうと思いました。そして、それをポン・ジュノ監督が手掛けるという事実に、さらに惹かれました。この作品は、ある意味で“SFコメディ”でもあります。ところが、実際に説明しようとすると難しいんです。例えば、最初の設定だけでも、“未来のパティシエがいて、マカロン店を経営している。でも高利貸しから無謀な借金をしてしまったことで、宇宙ミッションに参加することになってしまい、そこで何度も自分を紙のように印刷して生き返らせられる…”なんて話すと、もう収拾なんてつきませんよ(笑)。最初は無茶苦茶だと思いましたが、実際に演じてみると、まったくそんなことはなくて。ポン監督があまりにも確信を持って演出するので、すぐにそのリズムに馴染むことができました」
──あなたが演じる主人公ミッキーは“使い捨てワーカー”として何度も死んでは生き返るという設定ですね。
「脚本を読んだときは、彼の死のシーンがすごくコミカルに感じられました。ところが、実際に映像になったものを観てみると…めちゃくちゃ恐ろしい(笑)。撮影中は“これはギャグとして撮っているんだよね?”という感覚だったのに、出来上がった映像は完全に恐怖映像だったんです。ポン監督は、こういうトーンの変化をつくるのが本当にうまいんです。ミッキーの人生は本当に最悪です(笑)。でも、そんな極端な状況だからこそ、彼のヒーローとしての側面が際立つんです。彼は自分がヒーローだとまったく思っていないし、自分をまったく大切にしていない。それが彼の性格の欠点でもあります。観客は映画を観ながら、それに気づいていくと思います」
──ポン・ジュノ監督のストーリーテリングの独自性はどのような点にあると思いますか?
「彼は非常にウィットに富んだ監督だと思います。そして、テーマとしては“人間同士の残忍さ”をしばしば描いていますが、それをどうやって描くかが独特なんです。例えば『殺人の追憶』では、最初は主人公に共感していたのに、突然それが覆される瞬間があるんです。彼の作品には、“すべてが思っていたものと違う”というテーマが共通している気がします」
私の作品はよく“冷酷でシニカル”と言われますが、今回の映画は“温かみがある”と言われます(ポン・ジュノ)
──2019年の『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞®を受賞してから初となる最新作がいよいよ公開されますね。今回この『ミッキー17』という映画をつくろうと決めた理由を教えてください。
「原作小説(「ミッキー7」)のあらすじを読んだ瞬間に心を奪われました。そして、ページをめくるごとにどんどん引き込まれていきました。“人体複製(プリンティング)”という概念がとてもユニークだと思ったんです。クローンとは異なり、人間をまるで紙のように印刷する技術。この“人体複製(プリンティング)”という言葉自体に、すでに悲劇性が宿っていると感じました。そこで、“もし自分が印刷される側の人間だったら、どんな気持ちだろう?”と考え始めました。するとその世界観にすっかり引き込まれてしまったのです。また、主人公のミッキー・バーンズというキャラクターにも強く惹かれました。原作でも彼は“ごく普通の人間”として描かれていますが、私はさらに“普通”にしたかった。もっと下層階級の人間にして、もっと“負け犬”感を強くしたいと思ったんです。そんなふうに、この物語を映画としてどう脚色するかのアイデアが次々に浮かびました。人体複製(プリンティング)のコンセプト、そしてスーパーヒーローとはほど遠い主人公ミッキーの存在、そのすべてが私を魅了しました」
──今回初めてタッグを組んだ主演のロバート・パティンソンに最初に注目したのはいつですか?
「彼は『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』で知られるようになりましたが、私が彼を俳優として別の視点で見始めたのは、サフディ兄弟監督の『グッド・タイム』、そしてウィレム・デフォーと共演した『ライトハウス』の演技を観たときでした。この2作品で彼はまったく別次元の俳優になったと感じました。同じことが『THE BATMAN−ザ・バットマン−』でもいえます。象徴的なキャラクターを彼独自の新しい解釈で演じ切っていたんです。ミッキー17とミッキー18の両役を演じることで、彼の俳優としての野心を掻き立て、お互いに刺激を与え合えるだろうと感じました」
──あなたの作品では、社会の不平等や偽善に対する風刺がしばしば描かれます。本作ではどのように表現されていますか?
「私は、政治的風刺のために映画をつくるわけではありません。映画がプロパガンダになってしまうのは避けたいと思っています。だから、まずは美しくて楽しめる作品をつくることを大切にしています。『ミッキー17』もそうです。ただ、ミッキーが置かれている状況や彼が受ける扱い自体が、ある種の政治的メッセージになっていると思います。これは“人間をどう扱い、どう尊重するか”に関わる問題です。特別に“政治的なレイヤー”を意図的に加えたわけではありません。でも、ミッキー17やミッキー18が経験する苦難を見ていると、自然と社会的な問題意識が湧いてくるのではないでしょうか」
──本作について、これまでの作品と違う点はありますか?
「これまで私が扱ってきた要素もありますが、今回初めて“人間の愚かさ”をより深く掘り下げました。そして、その愚かさが、時に愛すべきものになるという視点です。私の作品は、よく“冷酷でシニカル”と言われます。でも、今回の映画は“温かみがある”と言われることが多いですね。年を取ったせいかもしれません(笑)。本作は、宇宙船で異星に向かう映画ですが、登場人物はみんな“ちょっとおバカ”なんです(笑)。これがとても面白い。スペースオペラのようにレーザー銃を撃ち合う作品ではなく、“愚かな愛すべき人たち”の物語になっています」