(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)
カバー画像:『ゴッドファーザーPARTⅡ』ロケ撮影中のコッポラ Photo by GettyImages
『ゴッドファーザー』の大成功で一躍ハリウッド期待の星に
先日行われたAFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)生涯功労賞授賞式の主人公はアメリカ映画界に多大な業績を残した巨匠フランシス・フォード・コッポラだった(ニュースページ参照)。「ゴッドファーザー」シリーズ、『地獄の黙示録』といった映画史に残る名作を生み出し、いままた新たな野心作『メガロポリス』を自ら出資して製作・監督するという変わらぬ創作意欲を見せている。これを機に現代の名匠の足跡を振り返ってみよう。
1939年4月7日ミシガン州デトロイト出身。イタリア系移民の子で音楽家の父カーマイン、イタリアという名の母の元に生まれ、ニューヨークで育った。名門カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)在学中から超低予算映画で演出や脚本を担当するなど早熟ぶりを見せていた。60年代後半には『フィニアンの虹』(68)や『雨のなかの女』(69)といった作品で20代の若手監督として活躍を始め、『パットン大戦車軍団』(70)で早くもアカデミー賞脚本賞を受賞。そんな実績を持って『ゴッドファーザー』(72)の監督に選ばれるのだが、映画化権を持つ大手スタジオのパラマウントやロバート・エヴァンス、アルバート・ラディらプロデューサーたちは彼を第一候補には考えていなかった。
コッポラはその前の監督作品を立て続けに興行的に失敗させていたのだが、『ゴッドファーザー』がマフィアを肯定的に描く内容だと、名のある監督たちからは声をかけても次々断られ困ったあげく、低予算で仕事ができるイタリア系の監督ということでコッポラの名前が浮上したという。コッポラ自身も最初は断るつもりだったらしいが、経済的な理由もあって承諾したのだとか。とはいえ、撮影が始まると本物のマフィアによる妨害もあったし、パラマウントとコッポラの確執も絶えず、トラブルは山積みだった。スタッフにも不平を口にするものがいてコッポラ自身も後に「いつ解雇させられるか毎日のようにどきどきしていた」という。こうした裏事情はTVドラマシリーズ「ジ・オファー/ゴッドファーザーに賭けた男」に詳しく描かれている。だが完成した作品は絶賛され、アカデミー賞作品賞を受賞。コッポラは監督賞を逃すものの、原作者のマリオ・プーゾと共同で脚色賞を受賞した。興行的にも歴代1位となる大ヒット。現在では「史上もっとも偉大で影響力のある映画のひとつ」という評価を得るまでになった。
映画史に残る名作となった『ゴッドファーザー』
この大成功を受け、パラマウントは続編製作をコッポラに依頼。彼自身あまり乗り気ではなかったというが、予算は無制限、最終編集権といった好条件を提案され、これを受けることに。一方で以前から準備していた次回作『カンバセーション…盗聴…』(74)も企画進行していたため、2作同時期に取り掛かることに。『カンバセーション…』は興行的に振るわなかったものの、批評家には大変好評で、カンヌ国際映画祭でグランプリ(当時の最高賞)受賞。コッポラも自作で最も好きな作品と言っている。
カンヌで最高賞を受賞した『カンバセーション…盗聴…』
そして『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)では前作の続きとなる物語と前日譚を同時に描き、一大映像叙事詩として再び絶賛を受ける。アカデミー賞では『カンバセーション…』とこの『ゴッドファーザーPARTⅡ』が同一監督作で同時に作品賞候補に。後者がコッポラ初の監督賞を含む、作品賞など全6部門で受賞した。この時期、まさにコッポラは聖林の王者のような存在だった。
『ゴッドファーザーPARTⅡ』で作品・監督・脚色の3つのオスカーを同時受賞
トラブル続きだった『地獄の黙示録』を執念で完成させる
そんなコッポラが続いて挑んだのは『地獄の黙示録』(79)だった。ジョージ・ルーカスからジョセフ・コンラッドの「闇の奥」の映画化権を譲り受け、ここに様々な別の作品の要素を取り入れ、ベトナム戦争を批判的に描く初のアメリカ超大作となるはずだったが、コッポラの完璧主義とロケ撮影中の度重なるトラブルにより完成は大幅に遅れ、私財もつぎ込んで未完成の内にカンヌ国際映画祭に出品。パルム・ドールを受賞したが、批評は賛否入り混じるものだった。本作の製作に関する混乱ぶりは、コッポラの妻エレノア・コッポラがこの現場で監督したドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(91)で明かされている。
完成まで長い道のりとなった『地獄の黙示録』
ロケ地での撮影に懲りたコッポラは次のミュージカル大作『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)全編を自ら所有するゾーイトロープ・ロス・スタジオ内で巨大なセットを組んで撮影。しかしこれは興行的にも批評的にも失敗し、同スタジオを売却することになる。すると今度は大作から離れ、S・E・ヒントンの人気小説を映画化した『アウトサイダー』(83)に取り掛かった。これは小品だったが後のスターとなる若手俳優(マット・ディロン、トム・クルーズ、ラルフ・マッチオ、C・トーマス・ハウエル、パトリック・スウェイジ、ダイアン・レインなど)を続々排出する重要な作品となった。続いてコッポラはやはりヒントン原作の青春映画『ランブルフィッシュ』(83)を演出。いずれも手堅い評価を得ている。次の『コットンクラブ』(84)は久々のマフィアやギャングが登場する1920年代を舞台にした大作だったが、『ゴッドファーザー』のような成功は得られなかった。
この後ノスタルジックな味わいの『ペギー・スーの結婚』(86)、戦場シーンのないベトナム反戦ドラマ『友よ、風に抱かれて』(87)、盟友ルーカスが製作した実話物『タッカー』(88)といった新作を毎年発表しているが、最も注目されたのは90年に公開となった『ゴッドファーザーPARTⅢ』だろう。経済的危機からなかなか回復できなかったコッポラがパラマウントの要請をついに受けて16年ぶりの続編に着手。前2作に続き主人公マイケル・コルレオーネの老年期のドラマを描いた第3弾は、久々にコッポラらしい力作になりアカデミー賞でも作品賞など7部門で候補になったものの前2作ほどの高評価は得られず無冠に終わった。これに続きブラム・ストーカー原作の『ドラキュラ』(92)では豪奢なホラー世界を構築。ゲイリー・オールドマン、アンソニー・ホプキンス、ウィノナ・ライダー、キアヌ・リーヴスらのキャストが話題を呼んだが、大ヒットには至らなかった。
『ゴッドファーザーPARTⅢ』撮影合間にアル・パチーノと
成功していたワイナリーを一部売却して映画作りに投入
その後90年代は『ジャック』(96)『レインメーカー』(97)の2作を監督したのみで、製作など裏方に回った作品が多くなっていった。一方で『ヴァージン・スーサイズ』(99)『ロスト・イン・トランスレーション』(03)など娘ソフィア・コっポラ監督作が高く評価されるようになり、彼女の作品では毎回製作総指揮などを担当している。コッポラ家の絆は強く、『ゴッドファーザーPARTⅡ』でオスカー作曲賞を受賞した父カーマインや、妹タリア・シャイア、甥ニコラス・ケイジらを自作に起用することも多いのが特徴だ。
ワイナリー事業が軌道に乗り、経済的に安定し独自の資金で映画を撮るようになってから『コッポラの胡蝶の夢』(07)『テトロ 過去を殺した男』(09)『Virginia/ヴァージニア』(11)と小品を発表してきたコッポラだが、いよいよ長年温めていた待望の企画であった『メガロポリス』(脚本・製作・監督)を始動。これは彼にとって久々の大作で、スタジオのコントロールなしに製作するためにワイナリーを売却するなど力の入れ込みが感じられる。昨年のカンヌ国際映画祭でプレミア上映された本作がいよいよ日本上陸となるが、巨匠コッポラがその映画人生をかけて完成させた注目作をぜひ劇場で確かめてほしい。
AFI生涯功労賞を受賞し、(左から)スティーヴン・スピルバーグ、ボブ・ガザルAFI会長、(ひとりおいて)ロバート・デ・ニーロ、ジョージ・ルーカスと記念撮影
『ゴッドファーザー』50周年セレモニーで夫人の故エレノアさんと
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