『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が初めて公開され大ヒットした1985年は一体どんな時代だったのでしょうか。元気いっぱいだった日本、次々公開されたヒット映画、ファンに愛されたスターたち……今とはちょっと異なる環境だった40年前に“バック・トゥ”してみましょう。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)
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映画編
スピルバーグ印の作品に観客が押しかけ、第1回東京国際映画祭が開催された
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は全米ではサマーシーズンの話題作として1985年7月に公開された。日本では本国でこのスティーヴン・スピルバーグ印の新作が記録的なヒットとなっているというニュースが報じられ、同じ年の12月に上陸。お正月シーズンの目玉作品として大ヒット。翌86年度の年間ヒット作第1位となっている。
そんな今から40年前の1985年は日本経済がバブル景気に入る直前で、日本国民は現在より活気にあふれ、カルチャー志向も国内のものだけでなく、海外のムーブメントなどにも好奇心旺盛な時代。『バック・トゥ…』もそうだが、ハリウッドはスティーヴン・スピルバーグ作品が次々若い世代を中心にヒットしていた。前年末に日本公開された『グレムリン』も大ヒットしていた頃、85年1月にスピルバーグの製作会社アンブリン・エンタテインメントが第1作『ファンダンゴ』(日本は翌年公開)を全米公開。第2作が『グーニーズ』で3作目が『バック・トゥ…』だった。こうしたアメリカ映画界の動きを日本の観客も敏感にキャッチしつつ、日本独自のヒット作も生まれていた。
思い起こせば85年春休みシーズンには3大SFファンタジー映画として『デューン/砂の惑星』『2010年』『ネバーエンディング・ストーリー』が同時期に公開され、その中から一番人気を獲得したのは『ネバーエンディング…』だったことも日本独特の現象だったかもしれない。さらにこの上半期には『ベスト・キッド』や『アマデウス』『コットンクラブ』といったヒット作も生まれ、ゴールデンウィークには『ビバリーヒルズ・コップ』が人気を呼び、エディ・マーフィが日本でも広く知られるきっかけになった。GWから夏休みの間のオフシーズンに公開されたのが『ターミネーター』で、それまであまり注目されていなかったアーノルド・シュワルツェネッガーとジェームズ・キャメロン監督に脚光が当たった。
また5月末には、第1回東京国際映画祭も渋谷で開催され、この時は後援に外務省や文化庁や大企業なども絡んでいたためスケールが大きく、世界中から有名映画人が多数集合した。ゲストとして『刑事ジョン・ブック/目撃者』のハリソン・フォードはじめ、ジェームズ・スチュワート、ソフィー・マルソー、ベルナルド・ベルトルッチ監督などが次々来場したウェルカムパーティもこの好景気の時代ならではの豪華な風景だった。
サマーシーズンにはシルヴェスター・スタローンの『ランボー/怒りの脱出』、メル・ギブソンの『マッドマックス/サンダードーム』、ロジャー・ムーアの『007/美しき獲物たち』といった人気アクション・シリーズの新作が次々公開。さらに『スペースバンパイア』のような異色ホラーのヒット作も生まれた。そして年末には先述の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はじめ、『コクーン』『グーニーズ』の全米夏の大ヒット3作が一気に日本上陸、それぞれの頭文字を取って「BCG戦争」と呼ばれた。さらには人気最高潮だったジャッキー・チェンの『ポリス・ストーリー/香港国際警察』、ブロードウェイ・ヒットステージの映画化『コーラスライン』といった話題作も並んだ賑やかな正月映画興行となった。
1985年公開洋画興行成績トップ10
〈1985年公開洋画興行成績トップ10〉
1位) ゴーストバスターズ(84年12月公開)
2位) グレムリン(84年12月公開)
3位) ランボー/怒りの脱出
4位) ネバーエンディング・ストーリー
5位) 007/美しき獲物たち
6位) スパルタンX(84年12月公開)
7位) スペースバンパイア
8位) ビバリーヒルズ・コップ
9位) コットンクラブ
10位) アマデウス
〈1985年度SCREEN読者選出ベスト10〉
1位) バック・トゥ・ザ・フューチャー
2位) 刑事ジョン・ブック/目撃者
3位) アマデウス
4位) ランボー/怒りの脱出
5位) コーラスライン
6位) ターミネーター
7位) ポリス・ストーリー/香港国際警察
8位) コットンクラブ
9位) ネバーエンディング・ストーリー
10位) ベスト・キッド