38年ぶりにスクリーンで上映された『肉体の悪魔』、あらたな衝撃!
70年代の幻の傑作として知られつつ、日本ではなかなか見られない作品となっていたのがケン・ラッセル監督の『肉体の悪魔』(1971)。日本での初封切りは1971年で、日本のワーナー・ブラザースが配給したが、この時の権利は3年のみ。その後は劇場では見られなかった。
一瞬だけ、解禁されたのが1987年のぴあ主催<ケン・ラッセル・レトロスペクティヴ>での上映。映画祭のためにBFI(英国映画協会)から取り寄せられたプリントが上映され、ラッセル監督もトークイベントのため来日した。
この時、彼の劇場公開作はすべて上映され、BBCで作った『エルガー』(1962)、『ソング・オブ・サマー』(1968年)等の評伝映画の傑作も上映。大規模な回顧展で、それまでマニア受けで終わっていたラッセルの人気が急上昇し、映画祭後に13年遅れで封切られた『マーラー』(1974)はミニシアターで大ヒットとなった。
新宿、K’s Cinema(ケイズシネマ)で10月から始まった<奇想天外映画祭>で『肉体の悪魔』が38年ぶりに上映された。
©Sawako Omori(無断使用禁止)
この時の上映以来、『肉体の悪魔』は再び封印され、2025年10月に新宿、K's Cinemaの<奇想天外映画祭>にて、38年ぶりに上映された。上映は大好評で、満席が続き、11月4日から7日は追加上映も実施。
映画祭で『肉体の悪魔』は8回上映されたが、満席の回が続き、11月4日から7日まで追加上映。
©Sawako Omori(無断使用禁止)
2025年に日本では、この映画と『悲愴/恋人たちの曲』(1970)の2本のラッセル作品のブルーレイもリリース。これまでVHSやLDしかリリースされていなかったので、やっと全盛期の彼の代表作が日本でも見られるようになった。
実はラッセルは私の原点ともいえる英国監督のひとり。かつては日本にあったケン・ラッセル研究会のメンバーとして活動し、2017年以降はロンドン郊外にあるキングストン大学のケン・ラッセル学会に参加し、そのメンバーとなる。

マレー・メルヴィン(左)は”ラッセル一家”の男優で、『肉体の悪魔』では同僚のグランディエ(オリバー・リード、右)を問いつめる神父役。下の食事会の写真には晩年のメルヴィンもいる。
最初の学会の時は『肉体の悪魔』でミニョン神父を演じた個性派男優、マレー・メルヴィンやラッセルの未亡人、リジー・トリブル・ラッセルも参加の食事会も開催。そこでふたりと言葉を交わすこともできた(ただ、メルヴィンは2023年に他界。リジーさんとは、その後のラッセル学会でも再会し、今も交流が続いている)。

2017年、ロンドンのキングストン大学で行われたケン・ラッセル学会の食事会。左・前から2人目は『肉体の悪魔』の神父役のマレー・メルヴィン。彼の後はラッセルの未亡人、リジー・トリブル・ラッセル。左・前から4人目が筆者。左・手前のブライアン・ホイル、右・手前のポール・サットン等、ラッセル研究家が一堂に会した。
©Sawako Omori (無断使用禁止)
ラッセル本人には1987年に彼が映画祭のために来日した時、3回会った。いつまでも、駄々っ子のように子供の心を持つ監督で、そのエキセントリックな映像の作風通り、少し風変わりなところもありながら、根っこは純粋な人に思えた(英国では批判にさらされることも多かった人で、「ケン・ラッセルの名前がついているものを何でも批評家はけなしたがる」と皮肉まじりの発言もしていた)。

1987年、ケン・ラッセル・レトロスペクティヴに参加のため、ラッセル監督が来日。都内のホテルで撮影された筆者とラッセル。©Sawako Omori (無断使用禁止)
ラッセル自身は2011年に他界。そして、久しぶりにスクリーンで『肉体の悪魔』を見て「根っこはまじめな人だったのでは」と思った。狂気すれすれの世界を描くことが多く、どうしても異形の監督と見られがちだが、それは彼の一面でしかないと思う。
ノンフィクションと戯曲を基にした『肉体の悪魔』
『肉体の悪魔』は17世紀にフランスで実際に起きたといわれる宗教がらみの事件がモチーフとなっていて、英国の文学者、オルダス・ハクスリーが書いたノンフィクションとジョン・ホワイティングの書いた舞台劇を監督自身が脚色している。
主人公はカリスマ的な聖職者のグランディエで、強靭な肉体を持つ彼は多くの女性を虜にする強烈なセックスアピールも放っている。そんな彼をちらりと窓から見た修道院の院長、ジャンヌは彼に対してみだらな性的妄想を抱くようになる。
『肉体の悪魔』の司祭グランディエを熱演のオリバー・リード。強烈なセックス・アピールを放つ役だが、同時に妻への純粋な愛情も持っている。ラッセル映画を支え続けたリードの最高の当たり役のひとつ。
しかし、彼がその街(ルーダン)に住む清純な女性とひそかに結婚したことを知ったジャンヌは激しい嫉妬心を抱き、自分は彼にレイプされた、と主張。町の支配権を握る人物たちも市民に支持されるグランディエを快く思っておらず、グランディエは身に覚えのない罪で投獄され、その権力闘争に巻き込まれていく。
作品の基調になるのは、権力者と個人の闘いで、無実のグランディエは残酷な刑を受け、その肉体の苦しみがリアルに描かれていく。一方、妙な高揚感が修道院にあふれ、尼僧たちは乱痴気騒ぎを起こす。聖なる場所でシスター・ジャンヌにショッキングな悪魔払いが行われ、公開当時は、その過激な映像が宗教関係者から激しく批判された(フィンランドでは2001年まで上映禁止だったという)。
『肉体の悪魔』ではシスターに対する狂信的な悪魔払いの場面が描かれ、映画の上映をめぐって、世界中でスキャンダラスな話題が巻き起こった。マイケル・ゴザードが狂気の悪魔払い役。
ラッセル監督はもともと権力者を風刺するような作風を持っているが、その真っ黒な毒が炸裂! プロテスタントの台頭を恐れるカソリックの枢機卿の思惑もからむことで、ペストが流行中の町のカオスが衝撃的な演出で描かれていく。
製作から50年後もインパクトは健在
製作から50年以上たっても、その強烈さは消えていないが、それは描写の過激さだけではなく、その内容からも生まれているのだろう。白も黒にしてしまう権力の腐敗という普遍的なテーマが描かれているからだ。独裁的な権力者が間違った方向で力をごり押しすると何が起きるのか? その怖さが画面の奥からビジビジ伝わる(近年の独裁的な政治家たちの動きを重ね見ると、本当にぞっとする内容でもある)。
邦題は『肉体の悪魔』だが、原題はThe Devils。人間がかかえる、さまざまな邪悪さを示唆しているのだろう。
グランディエ自身は矛盾をはらんだ男として描かれる。その性的な魅力で女たちを魅了し、女たちの心と体をもて遊んだこともあったが、ひとたび、妻に純粋な愛を捧げた後は、町を平和に導くため、信仰心を深め、人々のために自分の身を捧げようとする。
両極を揺れ動くケン・ラッセルの世界
こうした描写からも分るように、ケン・ラッセルの世界では常に相反するものが共存している。ピュアな純粋さVSグロテスクで醜悪なもの。聖なるものVS俗悪なもの。ロマンティックな愛VSドロドロした憎しみ。清らかな思いVSみだらな官能性。その両極の世界をラッセルの視点は、アナログ時計の振り子のように揺れ動く。
グランディエ役のオリバー・リード(2000年の遺作『グラディエーター』では主人公を救う奴隷商人役)は、キャリア最高の強烈な演技を見せている。
英国の名女優、ヴァネッサ・レッドグレイヴは超難役に挑む。規律を重んじる修道院の院長でありながら、自身のロマンティックな思いやみだらな官能性にも翻弄され、グランディエを憎むことで、逆に彼への愛を貫こうとする。一歩間違えると、キワモノとも思える役だが、知的で、品のいいヴァネッサだからこそ、ギリギリのところで踏みとどまり、屈折した女性の内面の葛藤を演じきる(ヴァネッサ自身はケンの演出を絶賛している)。

『肉体の悪魔』の修道院。中央にいるのが、シスター・ジャンヌ役のヴァネッサ・レッドグレイヴ。英国を代表する名女優のひとりで、『裸足のイサドラ』で2度目のカンヌ映画祭主演女優賞受賞、『ジュリア』ではオスカー受賞。『ミッション:インポッシブル』や『つぐない』などにも出演。モノトーンのグラフィックなデザインは後に『カラヴァッジオ』を監督のデレク・ジャーマン。
わき役陣も味があり、グランディエの同僚のミニョン神父役のマレー・メルヴィンのユーモラスで奇妙な存在感。彼はラッセル一家ともいえる男優のひとりで、2017年にロンドンで会った時、「ケンはいつも時代より先をいっていた監督で、彼のような人はもういない」と、長年の共同作業をふり返っていた。
『肉体の悪魔』のモノトーンで統一したセット・デザインを担当しているのはデレク・ジャーマンで、後に『カラヴァッジオ』(1986)や『エドワードⅡ』(1991)といった傑作も監督して、映像派の才人として評価されるが、当時は絵が得意な未知数の若者。
しかし、そんな彼を使う英断をケンが行うことで、モノトーンを基調にした様式美のある町のデザインが出来上がった。ペストが流行し、退廃と破滅が渦巻く。その荒廃した風景にはインパクトがある。

『肉体の悪魔』で神の前で愛を誓うマドレン(ジェマ・ジョーンズ)とグランディエ(オリバー・リード)
そして、この映画のひそかなカギを握っているのが、グランディエの初々しい妻、マドレン。演じているのは、当時は新人女優で、年を重ねた後は『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ(2001~2025)で主人公の母親役を好演していたジェマ・ジョーンズ。一見、地味で、おとなしい役に思えるが、実は彼女の存在が、この映画のささやかな希望の光となっている。
ラッセルは愛を信じるロマンティストでもあるので、そんな彼の隠れた顔がグランディエとマドレンの純粋な関係に託されている。
周囲からの圧力にもめげず、自身の信念を貫き通すグランディエの姿は、生前、大胆な映画作りに挑戦し、誤解されることも多かった鬼才、ケン・ラッセル本人と重なって見える。
(ケン・ラッセルは、partⅡへと続きます)

/監督・脚本 ケン・ラッセル
出演 オリバー・リード、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジェマ・ジョーンズ、マレー・メルヴィン、マックス・エイドリアン、ダドリー・サットン、ジョージナ・ヘイル
原作 オルダス・ハックスリー(『ルーダンの悪魔』)、ジョン・ホワイティング
(戯曲『Devils』)
製作 ロバート・H・ソロ 撮影 デイヴィッド・ワトキン 美術 ロバート・カートライト セットデザイン デレク・ジャーマン 衣装 シャーリー・ラッセル 音楽 ピーター・マックスウェル=デイヴィス
1971年 ワーナー・ブラザーズ映画配給 日本公開 1972年 イギリス映画 113分
DVD、ブルーレイ 販売元 オルスタックソフト販売(場面写真も提供)

奇想天外映画祭2025 新宿K's cinema(ケイズシネマ)にて10月4日より24日で終了
『肉体の悪魔』は好評につき追加上映決定! 11月4日から7日まで夜の上映





