巨匠が作り上げた新たな家族劇の力作
マイク・リー監督は英国映画界をひっぱってきた実力派監督のひとり。90年代のカンヌ映画祭パルムドール受賞作『秘密と嘘』(1996)やヴェネツィア映画祭グランプリ(金獅子賞)の『ヴェラ・ドレイク』(2004)、英国アカデミー賞ノミネートの『家族の庭』(2010)など、心に残る作品を作り続けてきた。
歴史劇を作ることもあるが、得意なのは家族劇で、コメディとヒューマンドラマの合体。かなりひねりがあってアクが強く、感傷的な甘さがない。とにかく、軸がぶれずに一貫した強さがある。
いつも緊張感のある映画を作るが、最新作『ハード・トゥルース』も静かな日常生活を描きつつ、見終わると強いインパクトが残る。

食事中に働き者の夫(左)や息子(右)にも小言をいうパンジー(中央)
ジャンルは家族劇だが、これまでの監督の映画と違うのは、アフリカ系イギリス人の一家を主人公にしている点だろう。アフリカ系アメリカ人のアメリカ映画は珍しくないが、イギリスの黒人一家の話は日本ではあまり公開されない。そういう意味では、非常に貴重な作品。ただ、描かれているのは、人種を超えた家庭の風景で、すごく普遍的な内容になっている。
主人公は中年女性のパンジーで、彼女はいつも周囲に当たり散らしている。無口な夫とひきこもりの息子は、そんな母親にじっと耐えている。
そんなパンジーの一家と対照的なのが、美容師をしている妹のシャンテル。シングルマザーながら、ふたりの娘たちを育て、その娘たちも化粧品会社や法律事務所につとめ、自立した生活を送っている。パンジーの家には、どこか重い空気があるが、シャンテルの一家は明るい。そして、軸となるのはパンジーとシャンテルの姉妹の関係。

明るい性格の妹シャンテル(左)と母の日に墓参りにでかけたパンジー(右)
特に印象に残るのが、シャンテルが姉のパンジーにいうセリフだろう。いつも毒舌を吐き、周囲に嫌われていると思っているパンジー。ふたりで母の墓参りに行った時、シャンテルは言う――「あなたを理解できなくても、あなたを愛している」。シャンテルの愛があふれる場面だ。
母のパールがふたりを育てたが、母の死をひとりで目撃したパンジーは心にトラウマを抱えてきた。シャンテルは、そんなパンジーの辛い思いを受けとめようとする。
即興演技からエモーションを引き出す
マイク・リー監督は、いわゆる脚本(スクリーンプレイ)を作らず、即興演技を重ねることで、全体の構成を作り上げる。そんな演出方法ゆえか、人物たちの感情表現がリアルだ。
さらにシャンテルの家で、母の日の食事会が開かれ、そこでパンジーは息子のささやかな思いやりに触れることになる。

主人公の妹、シャンテルのふたりの自立した娘たちは新時代のロンドンを生きている。
リー監督は、ロンドンをロケ地に選ぶことが多いが、この映画の撮影が行われたのは、2023年でコロナが収束しつつあった時期のこの街だ。
実は2023年の夏、私はロンドンを訪問したが、旅行者にとってはつらい時期でもあった。予定していたブリティッシュ・エアウェイの飛行機は往復ともにキャンセル。
この年の夏は、とにかく、フライトが乱れていた(私の場合、その時はフランクフルト経由でしか帰国できず、飛行場で7時間もすごした)。また、ホテルの滞在費がかつての3倍近くなっているところもあったが、それはコロナ期に人員削減をした影響だったようだ。

母の日の食事会に集まったパンジー(中央)の家族たち。
ロンドンに行ってみると、マスク姿が多かった日本とは違い、マスクをかけた人はほぼいなかった。そして、人々はパンデミックの後遺症を乗り越えようとしているようにも思えた。
こうした「コロナ後の影響」が社会には影を落としているように見えたが、今回の映画作りにもパンデミックが影響を及ぼしているのだろうか? アメリカやイギリスのレビューでは「これはポスト・パンデミック映画」というレビューも見受けられた。
2023年、パンデミック後に撮影開始
今年の9月、ズームでリー監督にインタビューを行った時、「この映画はパンデミック後の影響を受けていると思いますか?」と聞いてみた。
すると「それはないと思う」とあっさり否定された。この映画はコロナ前から企画され、実際は2000年に作られる予定だったからだ。
ただ、作り手が意識していなくても、この映画の閉塞感には、やはり、今の時代、つまり、パンデミック後の時代の空気も反映されている気がする。

美容師の妹、シャンテル(ミシェル・オースティン)と姉のパンジー(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)。墓参りに行った後、ふたりは過去の出来事を振り返る。
パンジーのように、人生がままならず、怒りを周囲にぶつける人は、いつの時代にもいるだろうが、今は明るい展望を持つのが容易ではない時期に突入した。
世界情勢を考えると、パンデミック後にふたつの戦争が起きて、独裁的な個性の指導者も増え、庶民は物価高と向き合っている。
パンジーの出口の見えない痛みは、いまの時代の庶民の心情に重なるところもあるのではないだろうか?
怒りを抱えた人物という点では、リー監督のカルト的な人気を誇る90年代の映画『ネイキッド』(94)を思い出す人もいるかもしれない。この作品では根なし草のように生きる主人公、ジョニーが、周囲の人々に厳しい言葉をぶつけていたからだ。
数々の賞に輝くマリアンヌ=ジャン・バブティストの演技
リー監督はいつも俳優から最高の演技を引き出すことで知られていて、『ネイキッド』では主演のデイヴィッド・シューリス、『秘密と嘘』では不安定な精神を抱えたシングルマザーのシンシア役のブレンダ・ブレシンが、それぞれカンヌ映画祭の主演男優賞や主演女優賞も獲得。
今回の新作では、パンジー役のマリアンヌ・ジャン=バブティストが圧倒的な演技を見せ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンなどの批評家協会賞の主演女優賞を獲得し、英国アカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされている。
パンジー役を熱演して数々の賞に輝いたマリアンヌ・ジャン=バプティスト。リー監督のお気に入り女優となっている。
パンジーは周囲に強烈な言葉を吐くが、あまりにもすごいので、不思議なユーモアも感じられる(そこがマイク・リー独特の個性)。
ジャン=バプティストは、リー監督のかつての代表作『秘密と嘘』では、すごく知的で、穏やかな性格の若い女性を好演して、アカデミー賞候補にもなった。
それから、約30年が経過して、再び、この監督とのコラボが今回の映画で実現。9月のインタビューで監督は「彼女も私も30年分、年をとったが、その分、経験も重ねた」と言っていた。そんなふたりが現代のロンドンに生きる中年女性の内面を見つめることで、この力強い作品が生まれた。

マイク・リー監督(左)と90年代からコンビを組んできた撮影監督のディック・ポープ(右)。
この作品は撮影監督、ディック・ポープの遺作でもある。リー監督とは90年代の『ライフ・イズ・スイート』(1991)からコンビを組んでいた。
彼の死に関して監督は「本当に大きな喪失で、彼は洗練された個性を持っていた」と語った。人間関係や俳優の演技に軸を置く監督だが、ポープの端正な映像も、この監督の作品の力でもあった(特に英国を代表する画家、ターナーを描いた『ターナー 光に愛を求めて』(2014)での絵画のように美しい映像には息を飲んだ。この作品でポープはカンヌ映画祭バルカン賞受賞)。
盟友ポープの死を乗り越えて、次にどんな作品を生み出すのだろう。すでに新作の準備を進めているという。80代の巨匠の新たな挑戦にも期待したい。

『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』
監督・脚本 マイク・リー
製作 ジョージナ・ロウ 撮影監督 ディック・ポープ
プロダクション・デザイン スージー・デイヴィーズ 音楽 ゲイリー・ヤーション
出演 マリアンヌ・ジャン=バプティスト、ミシェル・オースティン、デイヴィッド・ウェバー、
ドゥウェイン・バレット、アニ・ネルソン、ソフィア・ブラウン、ジョナサン・リヴィングストン
2024年 イギリス 97分 シネスコ 5.1 ch
原題 Hard Truth 提供 ニューセレクト 配給 スターキャットアルバトロス・フィルム
©Untitled 23 / Channel Four Television Corporation / Mediapro Cine S.L.U.



