見どころと展覧会の構成
東京に生まれた溝口は、青年期には画家を目指しましたが1920年に日活向島撮影所に入社、1923年に『愛に甦る日』で演出家の道を歩み始める。関東大震災のために京都の撮影所に拠点を移したのちも多彩な作品を発表し、社会の犠牲となる女性たちを徹底したリアリズムで描く『浪華悲歌』や『祇園の姉妹』(ともに1936年)は溝口の一つの頂点を形作った。
また、芸道物の大作『残菊物語』(1939年)や空前の巨大セットを組んだ『元禄忠臣蔵』前後篇(1941-42年)は、溝口が日本映画を牽引する存在となったことを証している。
大戦後は、復活の一作となった『夜の女たち』(1948年)に続き、日本の古典文学に材を採った傑作群『西鶴一代女』(1952年)、『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)がヴェネチア国際映画祭で3年連続の受賞を果たした。長回しや移動撮影を多用した表現と完全主義の演出は、日本映画の高い芸術性を国際的に知らしめるとともに、フランスのヌーヴェルヴァーグの監督たちやテオ・アンゲロプロス、アンドレイ・タルコフスキーなど世界の映画人にインスピレーションを与えている。
この展覧会では、その生涯の業績や映画作りの手法、世界映画への貢献などを紹介するとともに、撮影の宮川一夫、美術の水谷浩、音楽の早坂文雄など「溝口組」の名スタッフが遺した資料を活用してその演出術を分析する。
見どころ
1.世界の映画史に燦然と輝く巨匠・溝口健二、初となる本格的回顧展
小津安二郎や黒澤明と並んで世界の映画史にその名を轟かせる溝口だが、小津や黒澤と異なりその芸術をテーマにした展覧会はこれまで催されなかった。本展覧会は、日本映画を代表する巨匠・溝口健二を正面から取り上げる、はじめての本格的回顧展である。
2.各方面から一堂に会した貴重資料からひもとく溝口芸術
完全主義の製作姿勢を貫いた溝口の周りには、その苛烈な要求に応えることのできるすぐれた製作陣――依田義賢(脚本)、宮川一夫(撮影)、水谷浩(美術)、早坂文雄(音楽)、坂根田鶴子(助監督・記録)、田中絹代(俳優)など――が集結した。各所で大切に保管されてきた「溝口組」メンバー旧蔵資料の数々を一挙公開し、溝口芸術の真髄に迫る。
3.展覧会の理解を深める、充実したビジュアル展示
貴重な実物資料に加えて、会場内には、映像展示、デジタル資料展示、音楽展示などのデジタル展示を多く配置する。撮影現場で実際に使用された台本と完成映像を見比べるなど、展覧会の内容をより深く楽しめる。
※本展のデジタル展示は当館の「アーカイブ中核拠点形成モデル事業」(運営:特定非営利活動法人映像産業振興機構[VIPO]) によるものである。
4.ゲストトークや上映企画など、会期中には関連イベントも開催
会期中には、日本を代表する溝口研究者によるゲストトークを3回にわたって送るほか、東京国際映画祭との共催上映企画「TIFF/NFAJ クラシックス 没後70年 映画監督 溝口健二」(10月27日~11月1日)など、関連イベントも多数開催予定。
展覧会の構成
第1章 日活向島時代
1920(大正9)年、溝口は日活向島撮影所に入所。『京屋襟店』(1922年、田中栄三監督)などで助監督を務めたのち、1923年2月公開の『愛に甦る日』で監督デビューを飾る。しかし、同年9月に発生した関東大震災によって撮影所は壊滅的な被害を受け、閉鎖を余儀なくされる。映画界入りから監督デビューを経て間もなく震災によって唐突に終わりを告げた溝口の日活向島撮影所時代について、当時の作品資料から迫る。
第2章 日活京都時代
被災によって製作機能を京都に移した日活に従い、溝口も新天地での活動を始める。『紙人形春の囁き』(1926年)がキネマ旬報ベスト・テン第7位に入賞したのを皮切りに映画賞にもしばしば恵まれ、『藤原義江のふるさと』(1930年)や『時の氏神』(1932年)では日本の映画監督としていち早くトーキー映画に挑むなど、野心に満ちた成長期の溝口の活躍を取り上げる。
第3章 第一の黄金期
1932(昭和7)年、溝口は日活を退社して新興キネマに移籍。当時の人気俳優入江たか子を主演に据えた『満蒙開拓の黎明』(1932年)や『瀧の白糸』(1934年)を成功させるなど、さらなる声望を高める。1936年には、全篇の台詞に関西弁を用いる当時としては異色の演出を施した『浪華悲歌』『祇園の姉妹』を相次いで発表し、一つの絶頂期を築く。仮借なきリアリズムの追求とその完成をみた、溝口映画第一の黄金期を辿る。

『浪華悲歌』(1936年) ポスター 国立映画アーカイブ所蔵
第4章 松竹時代――戦中から戦後へ
1939(昭和14)年、溝口は京都の松竹に招かれて『残菊物語』を監督し、作品は文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得る。本作を皮切りに、溝口は古典芸能の世界に生きる人々を題材にした『浪花女』(1940年)、『藝道一代男』(1941年)を相次いで手がけたのち、江戸城の「松の廊下」を原寸大で再現するなど空前のスケールで製作された大作『元禄忠臣蔵』前後篇(1941-1942年)を送り出す。戦中・戦後にかけて松竹で生み出された作品の数々を、実資料によって読み解く。

『残菊物語』(1939年) 脚本 国立映画アーカイブ所蔵

『元禄忠臣蔵 前篇』(1941年) スチル 国立映画アーカイブ所蔵
第5章 第二の黄金期――大映京都時代
1949(昭和24)年の『我が恋は燃えぬ』を最後に松竹から離れた溝口は新東宝、大映、東宝と各社で作品に取り組むが、興行的にも批評的にも恵まれず苦杯を喫す。そのなかで『西鶴一代女』(1952年)が第13回ヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、一躍注目を浴びる。1953年からは大映の専属となった溝口は、『雨月物語』(1953年)と『山椒大夫』(1954年)で『西鶴一代女』以降3年続けてのヴェネチア国際映画祭入賞という前人未到の記録を樹立し、その名声を世界に轟かせた。精力的に活躍した溝口だったが、1956(昭和31)年の『赤線地帯』発表後に体調を崩し、8月24日、58歳でその生涯を閉じた。溝口が晩年に放った世界映画史に残る名作の数々に迫る。

『西鶴一代女』(1952年) ポスター 国立映画アーカイブ所蔵
第6章 国際的評価
『西鶴一代女』のヴェネチア国際映画祭入賞以降、溝口映画は日本映画の海外進出を最前線で支えるとともに、その高い芸術性によって日本のみならず世界の映画作家たちに広く影響を及ぼした。溝口映画の海外版宣伝資料や、溝口芸術に影響を受けた海外の諸作品について取り上げる。
特集コーナー 溝口映画を彩る名スタッフたち
各章の合間には、溝口映画の「脚本」「美術」「撮影」「音楽」に焦点を絞り、それぞれの職能で活躍した名スタッフたち(脚本の依田義賢、美術の水谷浩、撮影の宮川一夫、音楽の早坂文雄、ほか)に注目する特集コーナーを設け、その功績を顕彰する。

溝口健二と依田義賢 (1940年頃) 国立映画アーカイブ所蔵

『赤線地帯』(1956年) 衣裳スケッチ 水谷浩画 国立映画アーカイブ所蔵

溝口健二のデスマスク (1956年) 水谷浩作 国立映画アーカイブ所蔵
トークイベント
ゲストを招いたギャラリートークを開催する。 ※詳細は後日ホームページ等で告知。
開催日:2026年8月29日(土)
講師:佐相勉氏(溝口健二研究者)
場所:展示室ロビー(7階)
開催日:2026年10月31日(土)
講師:木下千花氏(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
場所:展示室ロビー(7階)
開催日:2026年11月14日(土)
講師:長門洋平氏(東京都立大学人文社会学部准教授)
場所:展示室ロビー(7階)
関連上映企画
本展覧会と関連した上映企画を開催する。 ※詳細は後日ホームページ等で告知。
「TIFF/NFAJクラシックス 没後70年 映画監督 溝口健二」
会期:2026年10月27日(火)— 11月1日(日)
会場:国立映画アーカイブ 長瀬記念ホールOZU(2階)
主催:国立映画アーカイブ、東京国際映画祭

