2007年に処女作『選挙』を発表するや、ベルリン映画祭をはじめ多くの映画祭で評価され、以来、NY在住の日本人ドキュメンタリー作家として、注目を集め続けている想田和弘監督。
作品を「観察映画」と言い、自ら「観察映画監督」を自負する存在です。
「観察映画」の「十戒」というストイックなルールを作品づくりに枷して、独自の映像主義を徹頭徹尾貫いているのも興味深いばかりです。
最新作『港町』公開を前に、NYから来日した監督にインタビューをお願いし、たぐい稀な、「観察映画」の作り手としての息吹に触れることが出来ました。

髙野てるみ(たかのてるみ)
映画プロデューサー、エディトリアル・プロデューサー、シネマ・エッセイスト、株式会社ティー・ピー・オー、株式会社巴里映画代表取締役。
著書に『ココ・シャネル女を磨く言葉』『マリリン・モンロー魅せる女の言葉』(共にPHP文庫)ほか多数。
Facebookページ:http://www.facebook.com/terumi.takano.7

観察し、躍動を続ける映画づくりを続ける破格のエネルギー

それにしても、2018年に制作し、公開を前にしている最新作は『港町』だけではなく、間髪いれずに6月には、『ザ・ビッグハウス』も世に出るのです。

『選挙』からたて続けて、『精神』(08)『Peace』(10)『演劇1』(12)『演劇2』(12)『選挙2』(13)『牡蠣工場』(15)を完成・発表・公開。いずれも、世界的な映画祭での高い評価を得るという、そのエネルギーは破格です。

画像1: ©️Laboratory X, Inc.

©️Laboratory X, Inc.

これら作品を絶え間なく制作する意欲は、監督に言わせれば、「観察映画」を進化させているのだそうですが、思えば、鼓動を続け呼吸するかのように躍動する映画たち、これらを生み出す想田監督にとっての映画づくりは、監督の生きることそのものに間違いはありません。

さて、今回ご紹介する『港町』は、一言で言えば、岡山県の瀬戸内海に面した、牛窓(うしまど)という港町での二週間の「観察」の映画。

牛窓は、『日本書紀』にも登場するといわれる、神功皇后なる尊い女丈夫が、身重でありながらも、牛の化け物を退治した場所だと言う伝説や、江戸時代は漁業の航路として栄えた歴史ある港町です。

残念なことに、牛窓町という自治体は04年に合併され、瀬戸内市になった折、廃止に。が、牛窓という名前は残っており、過疎化が進む中、高齢ながらも未だ漁師であったり、鮮魚店であったり、(金棒引きのようでありながらも、少女のようにピュアで元気な)老婆、野良猫たちも元気いっぱいに生きている。皆が自給自足に満たされ、豊かに生き生きと暮らしている。

観ていると、なんだか童話にも通じるようなこの港町にタイムスリップさせられ、そこだけの特別な時間の流れを、映像は2時間近く実にていねいに、微にわたり、細にわたり捉え、観察がなされていくのです。

NYにはない懐かしさを、観る者もその場に誘われ体験する喜び

映像は、(「十戒」のいくつかのルールに従い)モノクロームで撮られ、演出的なサウンド、ナレーションは一切、排除。我々観る者も同じ匂いを嗅ぎ、同じ空気を吸っていることに気づかされます。

今、都会では味わうことのない、懐かしいような原風景に幸福感を感じることにも抗うことが出来ません。監督が観察を終え、この港町を去る時には、こちらもお構いなしのセンチメンタルな気持ちでいっぱいになり、涙さえ滲んできてしまう。

これぞ、各映画祭で評判をとる腕前の、映像作家が作り出す世界。リアリズムという言葉とも少し違う、定点観測というのとも違う、なんとも心地の良い旅を想田監督としている体験です。

東大の文学部を卒業後、NYの美術大学で映画制作を学び、情熱と実績を確かなものにしてきた監督。その笑顔は、どんな質問をも受け入れてくれる、寛容さと優しさと明晰さに溢れていました。

──「観察映画」って、ドキュメンタリーと、どう違うんでしょうか?

「ドキュメンタリー映画の中に『観察映画』が入っているというかんじですかね。『観察映画』という手法なりスタイルは、ドキュメンタリー映画の原点に帰ることだと思っています。『観察映画』の源流というか、手本にしているのは60年代にアメリカなどで起きたダイレクトシネマっていう運動なんですが、ナレーションもなしで、予定調和的に撮らない。この世界に対して直接的にカメラを向け、採れた音と画像だけで構成していく。代表的作家としては、フレデリック・ワイズマンや、D・A・ペネベイカーとかがいて、彼らを手本に自分なりにアレンジもしたのが、私の『観察映画』なんです」

演出効果を一切排除することは、『観察映画』の精神

──じゃあ、今回登場した86歳の「漁師のワイちゃん」や、「鮮魚店の奥さん」とか、「(憎めないお婆さんの)クミさん」とか、「主役クラス」の登場人物は、キャスティングして選んだりはしていないんですね?おおよその筋書きがあって、打ち合わせをしてから撮るというようなことはしないんでしょうか?みなさん選ばれたかのように良いお顔をしているし、漁師や鮮魚店の奥さんや老婆っていう役柄にピッタリ過ぎるくらいピッタリなんで……。

「していないんです。それは『十戒』にも謳っているように、事前の下見や人選はしませんし、こうしたい、ああしたいということを、撮影する相手に、いっさい要求も出さない。それが「観察映画」なんです。それでも、やっているうちに、例えば、この人に、こう言って欲しいなとか、なんか、こう少し自分の自我が出て来てしまうことがある。そういう時には、いや違うんだと自分に言い聞かせ、観察に徹する。よく見る、よく聞く、よく観察するんだと。そのためにも『十戒』という、自分なりのルールを作っているんです」

──演出なしということになると、普通の人の営みに過ぎないけれど、映画の中で、あれだけ観る者を惹きつける場面や登場人物の言葉に恵まれるというのは、やはり監督の引き寄せ力が強い、ということになりますね?

「いや、逆です。僕の方が引き寄せられたんでしょう、クミさんとかに(笑)。町で行き当たりばったりでカメラを回して、で、それでどうなるかっていうことを、出たとこ勝負で撮っていると、そのうちに、今回の場合は、まさに岸辺で偶然ワイちゃんに出会って、漁を撮らせてもらって、獲れた魚をどこに売るのかなと思っているうちに市場へ、そうしたら、それを競りで買った鮮魚店の奥さんに出会い、どう売りさばくのか、またついて行って……と。そして、突如、フレームにクミさんが乱入してくる……(笑)」

ドキュメンタリーに、撮り直しは出来ない

──それで、お茶目で、おせっかいなクミさんが、これを撮ったらどうか、あれを撮ったらどうか、いい場所があるよ、と連日教えに来てくれて、それもそのまま撮影していくんですね(笑)?でも、よく見つかりますよね?ああいうフェリーニの映画の中の道化役のような方が。

「ハハハ、確かに、おっしゃるとおりですね。でも、私が見つけたんじゃなく、クミさんに見つけられちゃったんですよ、私が(笑)」

──その後クミさんは亡くなったそうですが、撮っておいてあげてよかったですね。高齢にも関わらず、クミさんは少女のように生き生きとお元気で、活発な動きを見せていました。都会化された場に住まう老人とは比べられないほどの存在でした。そういう意味では、撮っておかないといけないというような使命感もあったのでしょうか?記録するということに。

「使命感というより、欲求です。ドキュメンタリーを撮っていて、いつも思うのは、何事も繰り返しはきかないということですね。刻一刻と、この世界というのは変化していて、やっぱり僕らがなんでカメラを回すのかというと、その刻一刻と変化してしまう世界を、タイムカプセルのように閉じ込めておきたいという欲求があるんだと思うんですよね。それは普通のスナップ写真を撮ったりするのと同じです。私たちがどういう時に写真を撮るかっていうと、どこかに旅行に行った時に、みんなで記念写真撮るとか、今のこの瞬間を残しておきたいっていう時に写真を撮るわけで、それと同じような原理がドキュメンタリー撮影にもあるんですよね。だから牛窓という町を撮りたいと思ったのも、もしかしたら近い将来失われてしまうんじゃないかっていう予感に突き動かされたことは、確かにそのとおりなんです」

「予定調和」のない作品は、『出会い』と『ご縁』から

──そもそも、NYにお住まいになりながら、あえて牛窓のような港町を題材にするということは、海外に行ってみて、日本の原風景を撮っておきたくなったのでしょうか?今までも、ずっと日本の心象風景、原風景のようなテーマで撮り続けてきたのはなぜでしょう?

「なぜ、日本を舞台にしているのか?これも計画したわけではなくて、『ご縁』、『出会い』です。やっぱり私の映画の撮り方は、リサーチもしないようにしているので、何か調べてこの人、面白そうだなって思って撮るのはルール違反なんです。だから調べるのではなく、題材も『出会い』から。例えば、『選挙』は、私の東大時代の同級生が選挙に立候補したから撮影したし、『牡蠣工場』は牛窓でたまたま知り合った漁師さんが牡蠣工場を持っているというので始まった。そしてさらにその時に出会ったのがワイちゃんで、『港町』が生まれると、いうように」

──数ある港町の中で牛窓を選んだのは?

「牛窓は、私の妻で、『港町』のプロデューサーの柏木規与子の母の故郷なんですよ。彼女の実のおばあちゃんは、今は亡くなりましたが、元気な時には牛窓でタバコ屋さんを営んでいて、僕もよく何度か遊びに出かけました。その後、牛窓で休暇を取っているときに漁師さんと知り合いになり、獲れた魚をいただいたりというご縁も出来た。そして漁師さんたちも高齢化して“絶滅寸前”であることを知るにつけ、今のうちに映画にしておこうと。NYみたいな場から訪れる牛窓という町は、懐かしく愛おしい場所だと思えてなりませんでしたし」

画像6: ©️Laboratory X, Inc.

©️Laboratory X, Inc.

これまでの作品を繋いでいけば、それが監督の生き様に

──撮られてきた作品の軌跡は、監督の人生そのものですね。

「そういう意味では、本当に、自分の軌跡をそのまま映画にしてるようなところ、ありますね。ある意味、これら『観察映画』のシリーズは、一つ一つを、未完成の作品として観てもらってもいいと思います。まだ、これからも作っていきますから、完結しない長い一本の映画としても観れるものになるはずだ、という風にも考えています」

それを全部繋いだら、まさしくそれが想田和弘という一人の映画作家、アーティストの生き様になる。

それが、いつになるのかは、監督自身にも今はわからないことで、次なる出会いがある限り、彼の人生も作品も営々と続き、進化していくことでしょう。

なんと素敵な生き方!

この連載『シネマという生き方』を標榜するような、お一人に出会えたことは、筆者にとっても幸運であったと感謝の気持ちでいっぱいです。

お話をうかがっていると、「十戒」を守り抜く、一種の独立精神は、在25年に及ぶNY時代に7年間務めたドキュメンタリー制作プロダクションで、日本の放送局からの依頼で制作した4、50本の作品が、「予定調和」のものばかりであったことも影響しているようでした。

企画する、辻褄を合わせるためのナレーションを必要とする、効果的音響をつけてドキュメンタリーなりの感動を視聴者に求めるドキュメンタリー映像。ドキュメンタリーとは何なのだろう?その疑問から原点を求めて、監督は映画作家になったとも言えそうです。

これまでの映画づくりの「啓示」は、日本ばかりでしたが、いよいよ次なる舞台はアメリカはミシガンが舞台の、『ザ・ビッグハウス』。

ミシガン大学に一年間、客員教授として在籍時、大学が所有のミシガンスタジアムというアメフトのアメリカ最大のスタジアムを題材にしているといいます。トランプの選挙があった時期に撮り、トランピズムの忍び寄る影も刻印され、アメリカの光と影を映し出す、これまたビッグな、「観察映画」。監督を招聘した映画研究者のマーク・ノーネス氏から誘われて、アメフトのルールすら知らず撮影したそうですから、観るのが楽しみです。

10万人収容のスタジアムですから、数人しか登場しない『港町』とは、「真逆の作品ですね(笑)」と言う監督。

「観察」に徹することが映画づくりの原点であることを、想田監督から教わったインタビューでありましたが、今も脳裏に残る言葉があります。

「その港町がどのように愛すべき場所なのか、そこにいる、クミさんというお婆さんが、どういう人なのか、言葉では言い尽くせないものです。それを伝えることが出来るのが、ドキュメンタリー映画というものだと思います」

けだし、納得の名言でした。

『港町』(みなとまち)
2018年4月7日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー、
他全国順次公開
監督・製作・撮影・編集 想田和弘
製作 柏木規与子
2018年/日本・アメリカ/122分/モノクロ
配給 東風・gnome
(C)Laboratory X, Inc.

画像: 想田和弘監督 映画『港町』本予告編 youtu.be

想田和弘監督 映画『港町』本予告編

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