世界16か国で翻訳された小説は、作者が実際に2年間も娼婦となって、その生き方を描いたもの。なぜ、そこまでして?何のために!などなど出版されて賛否両論。
その原作は、女性作家エマ・ベッケルの自伝小説『La Maison』。そして、映画監督アニッサ・ボンヌフォンの手で映画化されたのが、『ラ・メゾン 小説家と娼婦』である。
原作者も映画監督も、主演も女性である。女のための女が描く世界。なぜ、彼女たちはそうまでして「娼婦」という生き方に迫ったのか?迫真の演技を見せる、主演のアナ・ジラルドにうかがうことが出来た。
画像: 世界中で賛否両論。娼婦という生き方を実体験した、女性小説家の原作が映画化。
『ラ・メゾン 小説家と娼婦』主演アナ・ジラルド密着インタビュー【髙野てるみの「シネマという生き方」VOL39】

性への飽くなき快楽で癒してくれる、娼婦という仕事

小説家のエマ・ベッケルは娼婦という存在に惹かれ、新作にその世界を描きたくなった。
そのためには、単に娼婦たちから聞き取りをして取材を重ねてまとめるのではなく、自らも娼婦を実体験して、その生き方を知る必要があると確信する。
妹をはじめ恋人は、その考えには疑問や懸念を抱き、猛反対する。

しかし、彼女の好奇心や野望は止まらない。
紆余曲折を経て、ベルリンの高級娼館に出入りすることになり、そこに働く娼婦のプロたちと交流、彼女たちの生き方を目の当たりにしつつ、自らも徐々に人気の娼婦として所属し続ける。
同時に、単に取材をしているという立ち位置からは離脱し、同僚たちにも共感や友情を感じ出す。

しかしながら、危険も伴う仕事であることは事実で、リスクも少なくないのだがそれを乗り越えてまで、心身ともにプロの娼婦顔負けの存在になり切っていく。収入にもメリットを感じてもいる。
そうとは知らない青年と恋が芽生え、自分の仕事について理解してもらえるのかどうか、真実を知った時に彼は引き続き自分を愛してくれるのかなどの葛藤も生まれる。

2年という歳月を娼婦という仕事の現場で体験した、一人の女のリアルな物語である。

今の時代にも、娼婦を必要とする男たち、中には女もいる。
彼ら、彼女らの性の悩みを癒す技術や相談相手にもなる娼婦という仕事。
小説家ベッケルがどう感じ、貴重な2年間をどう過ごしたのかが詳細に描かれ、ポルノチックな作品とは全く違う作品が生まれた。
公認と非公開認では状況は異なるが、「セックス」産業は時代に関わらず必ず現存している。
そのあり方やそれを求める人々がいて、賛否両論ながら考えさせられもする。
そこに愛はあるのだろうか、性という肉体の快楽を求める私たちに突きつけられる命題に取り組んだ、渾身の映画といえよう。

画像: 性への飽くなき快楽で癒してくれる、娼婦という仕事

今まで演じたことのなかった役柄が娼婦

──お疲れ様でした。と思わず声をおかけしてしまいます(笑)。
沢山のセックスシーン、本当によく演技ができましたね。お美しいだけに迫力もありました。
こんな演技どうしてできるんだろうって、もう驚きで、拍手しました。
これを演技することについては、肉体の全てをさらけ出す必要性があった。
アナさんは、何に突き動かされて、このような演技をすることが出来たのか、いや、原作者アナ・ベッケルになることが出来たのでしょうか。
やはり、ベッケルの原作とアニッサ・ボンヌフォン監督の脚本に、突き動かされたからでしょうか、それとも単純に娼婦に興味があったのでしょうか。

一番興味を惹かれたのは、監督のアニッサが書いた脚本です。最初のページを読んだときに、エマ・ベッケルの女性像はまさに私がやりたかったものだと伝わってきたんです。
というのも、この作品では、ベッケルという小説家があえて娼館に行くという体験をします。誰かに言われてということではなく、自ら状況を作り出していくわけですよね。
私がこれまで10年くらい女優として与えられて来た女性の役というのは、どちらかというと受け身で周りの状況に対して反応していくものでした。自分から能動的に状況や周囲を動かすっていう役はなかったんです。

小説家ベッケルが何の躊躇もなく飛び込む姿勢に共鳴

──ああ、なるほど。

そんなところにきて、アニッサのシナリオには、そういうまさに私が望んでいた女性像が描かれていたので最初の1ページからこれだ、と思ったんです。
もちろんシナリオには、セクシャリティのこと、もちろん娼婦のことが語られている。それを描かないでそのことを語れないわけですから、そういった点は承知のうえです。例えば、映画で演じるということは、殺人鬼を演じることになる役者もいるわけです。で、娼婦だから人間としては、全くハレンチな行為をすることになるのだろうか……。
セックスそのものは破廉恥な行為ではなく、そこから子供も生み出すわけです。
そこから人の人生も生まれてくるわけです。
セックスすることを役者に求められるということについて、いろいろ考えました。
セックスのために身体を売る、娼婦という職業自体をリサーチしてもみました。
そこには、男たちのセンチメンタルな想いのサポート役にもなっているという存在も見受けられたり。
私にはとても素晴らしい職業だなと感じられたんです。
でも、社会的な保障が守られているかというと、そうではない。見下されているような仕事です。
だから、私はリサーチをした後は、エマ・ベッケルが娼婦として何の恥らいもなく、なんの偏見もなく、その世界に飛び込んだ価値ある体験に臨んだ人なんだと確信出来ました。ですから、私は演じ切ろうと決心をしたのです。

娼婦という生き方とその欲望を世に知らせたい

──つまり、原作者のエマ・ベッケルさんに100%に近く共感できたってことですね。

そうですね、とは言え100%共感したとは言えません。
確かなところ、理解しようとすると、かなりの時間がかかりました。
彼女はそうまでして行動して自分に何を求めていたんだろう。何がしたかったんだろうと。すぐにはやっぱり理解できなかったです。
だから、自分の中で彼女を模索するような気持ちになって、彼女の処女小説『Mr.』も読みました。そこにも自身の若い時のセックス体験みたいなことを赤裸々に書いていらっしゃいましたね。
それから今回の作品については、世間でかなり話題になって注目を集めたので、この小説のことや、自分の体験というものを自己弁護するような発言を重ねたインタビューが沢山あって、それを参考にしました。
監督にもたずねました。それでも未だにベッケルの原作と行動については謎のままなんです。私の中では解明されていないんですよ。お金のためだけではないと思いますが、絶対的な何かに迫られたという必然性もないんだと思う。

──そうかもしれないですね。

で、私が結局辿り着いた想いは、人生の中では理由がわからなくてもやるっていう事ってあるじゃないですか。ひょっとしたら、エマ・ベッケルというこの作者も、15年とか経ってから、あの時自分をかき立てた理由はこれだったんだとか、さらにもっと後になって自分でも答えを見つけるんじゃないだろうか……、見つけるかもしれないなということに。どうして自分は、それを求めて、そんなことをやってしまったのか、と。
ボンヌフォン監督も、この映画を監督しようとした彼女としての理由と言われたら、きっとそれも100%確信を持ってやっていたわけじゃないと思うんです。ですから、今のところは私自身はベッケルを100%理解しているわけではないのです。

──よくわかりました。

でも、思うんです。少なくともこの作品が映画化されて、そして観客のもとに届けられる時、女性っていうのは、こういう風な欲望というものを持っているんだっていう、そういうことを知ってもらう機会になったらいいんじゃないか、と。

意味のあるセックスシーンで構成されたシナリオ

──素晴らしいお答えだと思います。結局、答えがなくてもいいということですよね。
これが正しいか、正しくないかじゃなくて、投げかけるという一つの創作活動としての仕事だっていうことですね。そこにはやはり監督が女性だからということだけはないかもしれないですが、ボンヌフォン監督が女性だったからこそ、やっぱりアナさんは思うような演技だって出来たんじゃないですか。
うかがうところによれば、最初は映画化については複数の男性監督さんからのオファーが原作者のベッケル氏に届いた。原作者としてはそれを全部断ってボンヌフォン監督を指名して、オファーしたそうですよね。
男性監督さんだったらジラルドさんも主演しなかったんじゃないですか?

原作者としては、当初は男性監督に映画化権を渡していたけれども、そのままで映画化したらカタストロフィが生まれていたと思います。
この作品はあくまで女性のとても良い一面が描かれていると思うので、それが男性目線で描かれているなら、一人の観客としての私としても観たいとは思わないですね。

──そのとおりだと思います。
本当に観ていて驚くのは、監督がどのくらいの指導をして、あのような緻密なセックスシーンを撮って行けたのかです。
あそこまでの指導っていうのは、どんなふうにされたんですか?
原作と脚本では、内容はだいぶ違うということですが、とにかくセックスシーンが多いですね。だから、私自身観ていて感心したというか。

そうですか。実は原作の方がもっとセックスシーンが多いんですよ(笑)。
脚本の第一稿は、割と原作に忠実でしたが、セックスシーンが多かった。
その後でやっぱりそういうシーンを少し取り除いたのには理由がありました。やっぱり意味のない、そこに存在する根拠のないセックスシーンを入れるということに対しては、監督も好まなくて。

画像: 意味のあるセックスシーンで構成されたシナリオ

原作者が娼婦を体験して得たことを撮り、演じていく

──ベッケル氏の貴重な体験であってもですね。

エマ・ベッケルという人物が娼館に入って、そして最後に彼女自身にとっての変化が起きます。そこのところの変化をきちんと説明することを映画にする。単なるセックス体験じゃないという点に監督はこだわったということですね。
そこがすべて、ストーリーテリングにとても関わってくるので。
で、演出的に言うと各シーンが吟味され、毎朝、毎朝、撮影のあるたびに監督が全部説明してくれるんです。
だからどういうことをするのか、どういう風に動けばいいのかなどを、自らベッドに寝転がって、こういう風にポーズをとってみて欲しいなどと説明してくれました。

──娼婦の仕事が本当に無駄がなく見事に描かれていく。お見事です。
ちょっと話を変えますと、本当は監督さんにうかがうべきことかもしれませんが、映画にはオーレ・アッティカさんとも共演なさいました。
彼女はSM専門の娼婦役でした。ジラルドさんにそのコツを教えるシーンもありました。

はい、はい。

──アッティカさんのデビュー主演作品となったヴィルジニー・テブネ監督作品『サム・サフィ』(1992)という90年代の気分を描いた映画があって、フランスより日本の方が大うけしてアッティカさんは日本の女性誌の表紙を飾るほどの人気者に。

私はその作品観ることが出来ていなくて……。

──そうなんですね、残念です。ご覧になる機会があったらぜひ。で、アッティカさん演じる主人公がブロンドのウィッグを被って、ストリッパーをやったりしていたところ、突然真面目な仕事をしてみたいという衝動にかられ、家政婦や区役所に就職したりする。その時にすっぱりとウィッグを脱いで変身するんです。
でまた、それに嫌気がさすとウィッグを被る。とても象徴的でした、ブロンドのウィッグが。
で、今回の作品でも、彼女がブロンドのウィッグを着けたり、脱いで見せたりするのが彼女の心境を表していて、まるで彼女へのオマージュの様に思えたりしまして、気になりました。
私事ですが、『サム・サフィ』は日仏合作で私が日本側の共同製作と配給を手がけたものですから、ちょっと感じるところがありました。

そうでしたか。観ていなくて……。

身体を捧げ癒す仕事に、敬意を持たないわけにはいかない

──話を戻しましょう。今回の作品はこの役をする前とやり終えた時では、娼婦という仕事について考えが変わったりしましたか?

そうですね、ベルギーはフランスに比べると、セックスワーカー、娼婦、売春婦に対して、それなりに法的な整備がされています。ドイツになると、法整備がされていてたくさん稼いでいる人もいっぱいいます。フランスは、そういう法的な保護はないんです。なので、とても危険な目に遭う仕事です。
そして、必要性にかられてやっているという女性たちがいて、私たちのフランス社会でも、あまり明確に職業みたいな形で語られることがないと思います。直視することがされない、隠された仕事ですね。

──やはり、そうなんですね。

でも、私にとっては、やっぱりこの職業は本当に自分の身を捧げて、そういう献身的な職業であって素晴らしい職業だと思うので、彼女たちが威厳を持って、仕事ができる環境は整備されるべきだと思っています。

──カトリーヌ・ドヌーヴがルイス・ブニュエル監督の『昼顔』(1967)で娼婦となった作品がありました。ブルジョワ家庭のマダムにして、お金のためではなく、退屈で怠惰な毎日に復讐するかの如く、昼の時間帯に限っての自虐的なプレイを娼館で重ねるという内容。衝撃作です。
でも、女が持つ非日常の変身願望、別の自分にトライするための究極が娼婦。そういう気持ちって、どの女にも、どこか奥深いところに持ってるんじゃないかと思ったりしました。その作品を観て。
それを抑えているのが常識とか節度というものですが。
アナさんにも、失礼ながらそういったことが起きる可能性はありそうですか?

作品観ていますよ。それはね、やっぱり、人間って誰しもいろんなファンタズムがあると思うのですけれど。ちょっと、その娼婦をやりたいっていうファンタズムには私はなかなかに到達出来そうにない、長い道のりがあるかなとは思います。
多くの女性が、頭の中にそういうファンタズムを抱えているんじゃないのかな、と思いますけれどね。

──そうですよね。

画像: 身体を捧げ癒す仕事に、敬意を持たないわけにはいかない

ファンタズムに興じることは難しいことも実感

アニッサにも話したんです。「アニッサ、あなたのおかげで、私はいままでにないファンタズムを実現させることが出来るのね」って。
ところが、ところが、本当にセックスシーンを初日にやっていた時、思わず、これはやっぱちょっと大変な仕事だなって思いまして。
ファンタズム体験って、現実的にはすごく大変なんだって気がついてしまいました。
ファンタズムというのは頭の中に温めておくほうがいいんだなと思い知らされましたね(笑)。

―そうですか(笑)。いくつもの軽妙なお答え、本当にありがとうございました。そして、本当に大変なお仕事お疲れ様でした。

(インタビューを終えて)
娼婦という女性像は、それまでに取り組んだことのない役柄だったやってみたかったからと言う、女優アナ・ジラルド。
原作者の主人公が迷うことなく飛び込んだ、娼婦という仕事の世界への挑戦とその勇気に背中を押されたとも語ってくれた。
どんな質問にも真剣に考えて答えてくれる姿勢が美しかった。
作品は本当に体当たり、体を張ってというシーンが連続する。
猥雑なシーンの数々は、観る側の女性にとって、どう直視し出来るのか、ただ美しいというだけではないことも事実である。
しかし、それらは最初から最後まで、日常では観ることが出来ない世界。夢のようにめくるめく誘われ楽しませてくれるのも、アナ・ジラルドの美しさあってのこと。
本インタビューにも滲む、彼女の真面目で純粋でクレバーな外観や精神あってこそなのだと確信した。
原作者のエマ・ベッケルが指名したアニッサ・ボンヌフォン監督、彼女がオーディションで選び抜いたアナ・ジラルド。この女たちが女性目線を切り口にして迫った命題が、性という人間の根源。
その断片が本作の世界であり、とても重要でありちょっと哀しい。
久々の女性必見の唯一無二といっても良い作品が、本作『ラ・メゾン 小説家と娼婦』である。

画像: ファンタズムに興じることは難しいことも実感

『ラ・メゾン 小説家と娼婦』
2023年12月29日(金)より新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
監督/アニッサ・ボンヌフォン 
原作/「La Maison」エマ・ベッケル著
出演/アナ・ジラルド、オーレ・アッティカ、ロッシ・デ・パルマ、ヤニック・  レニエ、フィリップ・リボット、ジーナ・ヒメネス、ニキータ・ベルッチ
原題/La Maison/字幕翻訳:安本熙生 /R-18
2022年/フランス、ベルギー/フランス語、英語、ドイツ語/89分/カラー/1:2.35/5.1ch
後援/在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本 
配給/シンカ
© RADAR FILMS - REZO PRODUCTIONS - UMEDIA - CARL HIRSCHMANN - STELLA MARIS PICTURES
公式X (旧Twitter)/@SYNCACreations

画像: 映画『ラ・メゾン 小説家と娼婦』予告編【2023年12月29日(金) 公開】 youtu.be

映画『ラ・メゾン 小説家と娼婦』予告編【2023年12月29日(金) 公開】

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