成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて37年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
「英国王のスピーチ」みたいに吃音を治すために女優になったようなもの
「クワイエット・プレイス」はエミリー・ブラントとジョン・クラシンスキーの初めての夫婦コラボ作品である。
『最初にジョンから話があった時、彼が監督する映画に出るのはちょっと難しいかもって思って、親友の女優さんに役を頼んだら、即承諾の返事があって、それから落ち着いて脚本を読んだら、無性に出演したくなって。ジョンに私がやりたいって言ったら、それは最高だって励ましてくれて、友人の女優さんに「あの企画はおじゃんになったみたい」なんて言ってから、後でバレてはまずいと「実は私が演じることになったの」って白状したら、すぐに理解してくれてホッとしたり、といういきさつがあったの』
エミリー自身が10代の初めまで吃音だったために、聾唖の子役との共演には特別な思い入れがあったと言う。
『まず最初に子役は普通の俳優たちとの共演を怖がっていて、私たちがベストを尽くしてコミュニケーションを図ると約束し、手話を必死で覚えたの。素晴らしい性格の子供達で、クルーさえも次々と手話を習って、誰もが優しい気分になっての撮影だった。
私の吃音は「英国王のスピーチ」のコリン・ファースほどの激しいもので、舞台で役のセリフを言うとどもらないということを発見して女優になったの。そういう訳で、言葉のハンディキャップは痛いほどに理解できるから、彼らを絶対に傷つけてはならないと決心して母親役を引き受けたのよ』
今でもストレスが高じたり、疲れが重なると吃音が出てしまうそう。
『案じていたよりもジョンと一緒の現場は平穏だったわ。彼は完璧なまでの準備を整えて、明確なビジョンを持って仕事をするから、無駄がないの。お互いに「レス・トーク、モア・カドル」(あまり議論せず、もっとハグしよう)というモットーをかざして、仕事が終わって家に帰ってからは、強いアルコール、主にウイスキーを飲んでリラックスしたわね。ジョンに「これからの監督作にはすべて私を出してね」なんて提案したりしたぐらい』
本当は大学で現代言語学を学んで通訳とか翻訳の仕事をするつもりだった
『子供を二人産んで、これが役作りに役立ったことは確か。それにしてもあの出産シーンは撮影の中で一番苦しいものだったの。ジョンには「私は経験者だから任せて」なんて強がったけれど、精神的にも肉体的にも信じられないほど辛かった。1週間あの場面にかけて、そのあとは心身が空っぽになってしまったのだから。でも実際の出産シーンはジョンが経済的にツーテイクで済ませてくれて、終わった時の解放感ったらなかったわよ。
セリフがなくて楽でしょうなんて言われるけれど、それがかえって難しいのね。「ボーダーライン」で共演のベニチオ(デル・トロ)が自分のセリフを%カットして、近づき難い謎の男の役作りをしていたけれど、私も同様にセリフがない分、表情や動作で雄弁に表現しなければならず、これがまた至難の技だったし。
裸足で走り回るのも辛かった。最後には自分の足ではないほどに変形して、我ながらびっくり。釘を踏んだ後のフェイクの足を履いたのだけれど、生まれて初めての経験で、下を向いて自分のフェイクの足を見るたびにショックを受けていたもの。
初めてプロの舞台に立った時、週給四百ドルのギャラで、こんな大金もらったことがなかったから、躍り上がるほど嬉しかった。父は弁護士、母は優秀な言語学者で将来は大学で現代言語学を学んで、通訳とか翻訳の仕事をするつもりだったけれど、女優になって本当にラッキーだったと思っているわ。ハリウッドでここまで登り詰めるとは思いもよらなかったけれど、自分の幸福を少しでも恩返ししたいと、暇さえあればジョンとチャリテイー活動をしているのよ』
唐突だが話題を変えてだんな様のことを。
『ジョンのヒゲ?なんだか毎日のように増えて膨大になっていって、どうなることやらと思っているけれど、子供達が喜んでいるから、私は(伸ばすのを)黙って認めているの(笑)』
愛犬のフィンとともに和やかで、笑顔満タンな家族生活がエミリーの話から溢れ出てきて、こちらまでハッピーになってしまう楽しいインタビューなのでした。