「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でW主演を務めるレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットには、1990年代の同じころにブレークしてトップスターに上り詰めたという輝かしいキャリアを築いてきた相似性があります。そこで二人のこれまでの道のりをそれぞれに紐解いて、現在に至るまでにどんなキャリアを辿ってきたか、年表式に比べてみましょう!

まずはレオナルド・ディカプリオのキャリアから

1974年11月11日ハリウッド生まれ。10歳のころから芸能界を目指す。

1988年

初めてのCM出演。

子役時代のレオ

1991年

『クリッター3』(日本はDVD公開)で映画初出演。

1992年

TVシリーズ「愉快なシーバー家」の最終シースンに出演し注目される。

1993年

ロバート・デニーロと共演した「ボーイズ・ライフ」で人気を呼び、同年ジョニー・デップ共演の「ギルバート・グレイプ」で批評家からも評価を得る。翌年のアカデミー賞で助演男優賞候補に。

画像: ジョニー・デップ共演の「ギルバート・グレイプ」で早くもオスカー候補に

ジョニー・デップ共演の「ギルバート・グレイプ」で早くもオスカー候補に

1994年

「ギルバート・グレイプ」の日本公開にあわせ初来日。

1995年

「クイック&デッド」「バスケットボール・ダイアリー」「太陽と月に背いて」と次々出演作が全米公開される。

1996年

「ロミオ&ジュリエット」でトップアイドルに。メリル・ストリープらと共演の「マイ・ルーム」も公開される。

1997年

レオの運命を決定する大作「タイタニック」が公開され、映画の歴史的ヒットと共にレオも世界的スターに。

世界的ブレークを果たした「タイタニック」

1998年

レオ様ブームが世界中で巻き起こる。続く「仮面の男」もヒット。

2000年

待望の新作「ザ・ビーチ」が公開されるも評判はいまひとつ。ジゼル・ブンチェンとの交際がスタート。

2001年

自らの製作会社アピアン・ウェイを設立。

2002年

初めてマーティン・スコセッシ監督と組んだ「ギャング・オブ・ニューヨーク」が公開。

画像: スコセッシ監督と初コンビを組んだ「ギャング・オブ・ニューヨーク」

スコセッシ監督と初コンビを組んだ「ギャング・オブ・ニューヨーク」

2003年

スティーヴン・スピルバーグ監督と組んだ「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」が公開。

2004年

スコセッシと再度組んだアピアン・ウェイ製作の「アビエーター」が公開。翌年のオスカーで主演賞候補に。

2005年

ジゼル・ブンチェンと破局。

2006年

スコセッシと三度目のコンビ作「ディパーテッド」、さらに「ブラッド・ダイヤモンド」も公開。前者は翌年オスカー作品賞受賞。後者でオスカー主演賞候補に。バー・ラファエリとの交際も始まる。

画像: 「ディパーテッド」はブラッド・ピットの会社が製作だった

「ディパーテッド」はブラッド・ピットの会社が製作だった

2008年

「ワールド・オブ・ライズ」「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」全米公開。

2010年

スコセッシ監督の「シャッターアイランド」、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」公開。

2011年

バーと破局後、一時ブレーク・ライヴリーと交際。クリント・イーストウッド監督と組んだ「J・エドガー」公開。

2012年

タランティーノ監督と初コンビの「ジャンゴ 繋がれざる者」公開。

画像: タランティーノ監督と初めて組んだ「ジャンゴ 繋がれざる者」

タランティーノ監督と初めて組んだ「ジャンゴ 繋がれざる者」

2013年

「華麗なるギャツビー」とスコセッシ監督作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」公開。後者で翌年オスカー主演賞候補。

2014年

しばらく俳優休業宣言を。

2015年

レオ自身の財団から世界の環境保護団体に総計1500万ドルの寄付。「レヴェナント:蘇えりし者」が公開され、翌年ついにアカデミー賞主演賞受賞。

「レヴェナント:蘇えりし者」でアカデミー主演男優賞受賞

2016年

ニーナ・アヴダルと交際。

2017年

様々な女性と噂が出た後、現在も続くカミラ・モローネと交際開始。

2019年

タランティーノと二度目のコンビを組む「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」公開でブラッドと共演。

最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のレオ

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