現在世界中で大ヒットを記録している「ジョーカー」。本作の何がそんなに観客の心をざわつかせているのでしょう。本誌でお馴染みの3人の評論家の方々に、それぞれの見地から、『この衝撃作の裏側に隠されているものは何か?』を語っていただく深掘りレビュー特集をお届けします。今回は過去の名作映画からエンターテインメント新作までに通じているベテランの久保田明先生が見た「ジョーカー」評。

一人の孤独な青年が悪の権化になっていく怒りの中に『狂っているのは何か?』を問う

スコセッシ監督の二つの名作はどんな影響を与えているのか

フィリップス監督も明言しているように、「ジョーカー」はデニーロ過去の主演作「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」から大きな影響を受けている作品だ。前者はコロンビア映画、後者は20世紀フォックスの配給でワーナー作品ではないけれど、1976年と1983年の製作で、ワーナー新ロゴの時期とぴったり重なっている。「ジョーカー」はその時代、あの事件から現在を照らす、怒りと悲しみの物語になっているのだ。

マンホールから吹き出す水蒸気の向こうからぬううっと黄色いタクシーが現われる「タクシードライバー」のニューヨークは文字通りの魔都だった。デニーロ扮する孤独な男トラヴィスは「このゴミ捨て場みたいな街を洗い流す雨はいつ降るんだ」とつぶやき、やがては自ら世界の浄化に乗り出す。

業者のストライキでゴミの回収がとどこおり、街中が黒いゴミ袋だらけになっている今回のゴッサム・シティは、「タクシードライバー」の雨に煙る街ニューヨークのリフレインだ。アーサーはトラヴィス同様に鏡に向かって拳銃を構え、ひとり狂気をつのらせてゆく。

一方、同じくマーティン・スコセッシ監督とデニーロのコンビ作である「キング・オブ・コメディ」は、母親と同居しているコメディアン志望の青年ルパート・パプキン(デニーロ)がTVショーの人気司会者(ジェリー・ルイス)に憧れ、挫折し、軌道のズレた強要をする人生ドラマだった。

犯罪喜劇でもある「キング・オブ・コメディ」の見どころは、どこまでが現実でどこからが主人公の夢想、妄想か分からぬように配置された巧みな構成で、それは「ジョーカー」の主人公アーサーの行動と共通している。

同じアパートに暮らすシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)への憧れや、デニーロ扮するTVの向こう側の司会者マレーとのやりとり。もっと言えば「ジョーカー」という映画全体、巧みな話術で同根の産物であることが示されるブルース・ウエイン=バットマンの存在までが、夢破れた青年アーサー・フレックの妄想であるかのような演出がなされているのだ。

画像: アーサーと病気の母

アーサーと病気の母

彼が街に出る際に上り下りする長い階段はアーサーの(あるいは私たち自身の)人生そのものだ。「ジョーカー」で起きる事件の、どこまでが現実なのだろう。映画は結論よりも過程を味わう表現物だから、どこからが夢想なのかは観るひとそれぞれが決めていいと思う。「タクシードライバー」や「キング・オブ・コメディ」を観ていない若いファンも当然いるはず。どっちがいいかな。先に「ジョーカー」本篇を観るほうがベターかも。2019年の映画としてアーサーの失意と怒りに向き合って、そのあと過去を辿るのが正解に思われる。

ホアキン・フェニックスの神がかりなアドリブ演技にカメラもおののく?

もうひとつ関係の深い映画をあげるなら、劇中の慈善イベントのシークエンスで上映されるチャールズ・チャップリン監督、主演の名作「モダン・タイムス」(1936年)だ。生活のためにただコマネズミのように働くしかなかった工員のチャップリンが、家出少女のポーレット・ゴダードと出会い、ささやかな幸せに向かって歩き出すというストーリー。

物悲しいメロディーの挿入曲は、のち歌詞と「スマイル」という曲名が付けられ、映画音楽のエバーグリーンとして人気を博した。「ジョーカー」で、アーサーとソフィーのデートの場面を彩る曲である。歌っているのは1920~1970年代まで活躍した米国のコメディアン、ジミー・デュランテ。日本版予告篇にも大きくフィーチャーされていたから、耳に残っているひとも多いだろう。

曲名は「スマイル」だけれども、アーサーに「モダン・タイムス」のような幸せは訪れない。そればかりか「タクシードライバー」や「キング・オブ・コメディ」の幕切れで、人生は夢まぼろしのように感じられた自己回復や安らぎさえ描かれない。彼のことをハッピーという皮肉すぎるあだ名で呼んでいた母親ペニーを病室に訪ねる場面。アーサーは「人生は悲劇だと思っていたが、喜劇だった」と語り、狂気を加速させる。これも元は「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」というチャップリンの言葉だった。

画像: ホアキン・フェニックスの神がかりなアドリブ演技にカメラもおののく?

インターネットやSNSの発展もあり、世界はより自由に、親密になったと思えるけれど、同時にそれでは埋められぬ孤独や強烈な富の偏在が生まれた。それでも笑おうとした彼、アーサーは自分の血を唇のまわりに塗りたくり、髪を緑に染めて悪の権化ジョーカーとなるのだ。

『ダークナイト』でヒース・レッジャーが決定版を作ったと思われたジョーカー像。トッド・フィリップス監督とホアキン・フェニックスは難関に挑み、同様の高みと衝撃を指し示した。父親と思っていた人物から拒絶され落ち込んだアーサーが自宅に戻り“冷たい場所”に潜り込んでしまう驚きの場面。ここがすべてホアキンのアドリブだったというのだからスゴい!スタッフも予想していなかったのだろう。その様子を捉えるカメラがおののいているのだ。

「ザ・マスター」、「インヒアレント・ヴァイス」、「ドント・ウォーリー」、そして「ジョーカー」。ホアキン・フェニックスの冒険は、今回も大きな実を付けた。弟の前進と活躍を、兄のリヴァーは天国のどこから見ているのだろうか。

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