「アイリッシュマン」
単なるギャング映画でははなく、人間の罪の意識や後悔といったテーマも掘り下げるスコセッシ組の壮大なドラマ
2019年に最も重厚で、壮大なスケールを感じさせたドラマ。それは巨匠のマーティン・スコセッシが(劇場用ではなく)ネットフリックス用に撮った『アイリッシュマン』だろう。
アメリカの殺し屋、フランク・シーランの告白を綴ったノンフィクション(日本版は早川文庫)の映像化で、3時間半の超大作。監督との名コンビで知られるロバート・デニーロがシーラン役で、他にジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルなどスコセッシ組も顔を見せ、大ベテランのアル・パチーノもスコセッシ作品に初出演。半世紀におよぶ時間の流れを描いた大河ドラマで、若い時代はCGの助けを借りて、現在70代の俳優たちが自ら演じたことも話題を呼んだ。
アイルランド系のトラック運転手、シーランは、イタリア系のギャング(ペシ_と出会って殺し屋となり、やがて全米トラック運転手組合のカリスマ・リーダー、ホッファ(パチーノ)の用心棒となる。
劇中では謎に包まれるホッファ失踪事件の真実が明かされ、ケネディ大統領暗殺事件など、アメリカ社会の歴史も盛り込まれる。娯楽映画としてのスリルはあるが、アクション的なギャング映画ではなく、人間の罪の意識や後悔といった文学的なテーマも掘り下げられ、巨匠監督らしいホリの深さを見せる。
スコセッシとデニーロは70年代の出世作『ミーン・ストリート』以後、『グッドフェローズ』、『カジノ』など、数多くのギャング映画でコンビを組んできたが、今回は老境に達した今の心情が色濃く出ていて、彼らの集大成的な作品になっている。年齢を考えると、スコセッシ組がこうして揃うのも最後かもしれない。彼らは見事なオトシマエをつけてみせた。
同じくスコセッシ組のメンバー、ロビー・ロバートソンの音楽も素晴らしい。ギターのブルースが裏街道を歩いてきた男たちの悲哀感と重なり、その人生の重さが胸に迫ってくる。スコセッシのこの新たな代表作は間違いなくオスカーレースの最前線にいる。作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞等、期待できそうだ。(大森)
Netflix 配信中
「パラサイト 半地下の家族」
貧富の格差をエンタメに落とし込むことで、韓国のみならず全世界の観客を分け隔てなく魅了するポン・ジュノの才気
これまで、迷宮入りした未解決殺人事件の深い闇や、ソウル市の河岸に現れたモンスターの正体や、近未来を疾走する暴走列車内の階級差等、方法は違っても、常に社会の病理を映像で撃ち続けて来たポン・ジュノ監督。しかし、彼の最新作は韓国社会に巣食う貧富格差を、ホラーコメディ、つまりエンタメに落とし込むことで、韓国の保守層は勿論、カンヌ、そして全世界の人々を分け隔てなく魅了してしまった。
通りを行き交う人々が頻繁に放尿するのを、惨めにも下から眺めていた半地下の貧しい家族が、モダンで広大な豪邸に暮らす金持ち家族に取り入り、寄生し、やがて占拠するまでは想定内である。ところが、そこから物語はさらに新たな展開を見せつつ、時には歴史問題も絡めながら、生理的にも相容れない2つの家族を最終コーナーへと追い詰めていく。
その手法を柔道に例えるなら、背負い投げを食らわした後に寝技に持ち込むような、トドメの2段締め。改めて韓国映画の基礎体力とポン・ジュノの才気を痛感する。
俳優たちのアンサンブルも秀逸だ。取り入る側を構成する、大学受験に落ち続けている長男役のチェ・ウシクと、同じく予備校にすら通えない長女役のパク・ソダム、甲斐性のない夫の尻を叩き続けるマッチョな母親のチャン・ヘジンと、いつも存在が薄い父親のソン・ガンホ、取り入られる富豪夫婦を演じるイ・ソンギョンとイ・ソンジュンも含めて、金のあるなしに拘らず、全員がとろ〜んとした目で不毛な現実を凝視している様は、これが演出とは思えないほど異様で笑える。
薄暗く湿気が充満する半地下の家と対比させるために、美術スタッフが組んだ豪邸のセットに当て立れる圧倒的な陽光の量が、2つの家族の違いを際立たせてもいる。絶望の果てに訪れる微かな希望の光に心が和むまで、こんなにも予測不能で、恐ろしく楽しいホラーコメディは見たことがない。外国映画初のアカデミー作品賞受賞も充分あり得ると思う。(清藤)
全国公開中
「マリッジ・ストーリー」
一番理解している相手と別れざるを得なくなる離婚の切実さが見る者の胸を締め付ける、巧妙な脚本で出来た逸品
自分とは違う性格や才能を相手に発見し、そこに惹かれ、結ばれる......。今作の主人公、ニコールとチャーリーの関係は、冒頭でチャーリーが語る「ニコールの長所」、そしてニコールが語る「チャーリーの好きなところ」と、軽快なテンポで描かれるシークエンスで、一気に観ているこちらを納得させる。まさに「つかみ」がうまい作品だ。
息子との平穏に見えた家庭生活が、やがてニコールがLAで、チャーリーがNYでの仕事に固執することで、関係が引き裂かれてしまう展開自体は、ある程度、想定の範囲内。痛々しい離婚劇も、「クレイマー、クレイマー」などが頭をかすめる。
しかし今作の場合、冒頭で紹介された2人の長所および短所が、その後のドラマに伏線として鮮やかに生きてくる脚本が、じつに巧妙。相手のことをいちばん理解しているのに、それでも別れを考えなければいけない切実さが、観る者の胸をじわじわ締めつけてくるのだ。
ノアー・バームバック監督が、自身のジェニファー・ジェイソン・リーとの離婚経験をヒントにしたのは明らかで、演出家のチャーリーと女優のニコールのやりとりは、じつに生々しい。
ニコール役のスカーレット・ヨハンソンも、今作の撮影に入る頃、ちょうどフランス人ジャーナリストとの離婚を経験しており、そう考えると演技にもリアリティが感じられる。とくに弁護士のオフィスで心境を告白するシーンは、最初は冷静だった感情が徐々に高ぶっていく変化をワンテイクで演じ、まるで舞台劇を見ているかのよう。彼女のキャリアでも最高の演技ではないだろうか。
そしてチャーリー役のアダム・ドライバーも、持ち前のややとぼけた味わいや不器用さも駆使しながら、あるシーンでの、ミュージカルの名曲「Being Alive」の熱唱は圧巻の一言。ローラ・ダーンら演技巧者による強烈な個性の弁護士たちがみせるアメリカでの離婚の苦労や、NYとLA、それぞれのショービジネスの裏側など、あらゆる要素がストーリーにうまく機能した逸品だ。(斉藤)