後半の予想を裏切るストーリーに何かあるのでは
まずポン監督が一言挨拶を。
『日曜日というのにこんなに大勢の方が来て頂いてありがとうございます。アカデミー賞、カンヌ国際映画祭で受賞したことはたしかに嬉しいのですが、まず私たちは最初から受賞することを目標にこの映画を作ったのではありません。それよりも多くの世界中の方々にこの作品が受け入れてもらえたことの方が嬉しいです。北米では去年の10月から公開されたのですが、最初にアメリカの観客が素晴らしい反応を見せてくれました。そこからオスカーに繋がったのでは。日本でも1月から公開され大好評と聞いています。まず日本の観客に見てくれてありがとうと伝えたいです』
次いでソン・ガンホも感謝の言葉を。
『この作品で東京に来るのは(私は)2度目ですが、「パラサイト」が日本の皆さんに受け入れられて嬉しいです。おもえば2000年代の最初の頃、韓国映画は日本でもたくさん紹介されてきました。その後、残念なことにそうした状況は以前より少なくなりました。とても近い国なのに、一時のような交流が薄まったのは大変残念です。韓国の優れた監督の作品を日本の目の肥えた観客が受け入れてくれるというような、お互いの国の文化交流が盛んだったその時期の関係が、この映画を機会に戻ってくれると大変嬉しく思います』
と日韓関係の好転を望むことにも触れた。
ここからは質問タイムに入り、時折ユーモアも交えた二人の回答が場を和ませた。
──本作の何がここまで観客にアピールしたと思いますか?
ポン『いま日本はじめ、英国やフランス、メキシコまで世界中でヒットしているようですが、正直私にもわかりません(笑)。逆に皆さんにお聞きしたいくらい。私らはいつも通りに韓国の仲間たちと映画を作っただけで、世界を視野に入れていたわけではありません。貧富の差という普遍的なテーマを扱っていますが、それは人によっては居心地の悪い物なので、ちょっと違うかなと。私としては世界中の観客の反応を見ていると、後半の予想を裏切るストーリーに何かあるのではと分析しています。カンヌでは見た方にネタバレしないようにお願いしたのですが、その後半が面白いという意見が多かった気がします。さらに言えば俳優の感情表現こそが万国共通のものだったと言えるかも。アメリカでは俳優組合賞のアンサンブルキャスト賞を受賞しましたが、俳優たちの演技がアメリカの同業者にも認めてもらえたのだと思いました』
──監督とソンさんは4作目のタッグとなりますが、お互いをどう思っていますか?
ポン『ソン先輩は本当に演技が素晴らしい。(となりのソン・ガンホは照れ笑い)この役を演じるのはこの人と決めてから脚本を書くのは、大変気持ちが楽になるんです。ソン先輩をイメージしながら書くのは自信にも繋がる。まるで草原を走る仔馬のような気持ちになれるんです』
ソン『私は彼のねっとりしたところ(?)が良いと思います(笑)。よく私と彼は現場でたくさん会話するのでは思われるようですが、実はあまり話をしません。私はここで監督は何を狙っているのかと自分自身で探るのが好きなんです。俳優として大変難しいのですが、興味深くもあります。アメリカでも同じようなことを聞かれた時私は、監督との仕事は「祝福と苦痛」があると答えました。苦痛とは芸術家としての生みの苦しみのような、達成する前の苦痛というような意味ですが』
──実際に監督はこの映画で何を伝えようと考えたのですか?
ポン『世界中で同じような起こっている人々の二極化を描きたかった、というよりも未来に対する恐れを描きたかったという方が近いでしょう。私も息子を育てていますが、このまま彼が大人になった時、世界はどうなっているんだろう?という恐れです。私は悲観主義者ではないですが、それでもこの事態はどうすべきか戸惑います。そこで私はそれを映画で描いてみたのです。でも個人的な癖で、私はテーマを真顔で語ったりすることができません。ユーモアなども交えつつ、あくまで映画的な美、シネマティックな興奮の中で、俳優たちの活気を使用して伝えたいです』
──この映画では匂いというものが、何かを伝える重要な意味を持っているということですが。
『従来映画というものはイメージとサウンドで作るものですが、脚本を書くとき繊細な匂いの表現を付けて書きました。このストーリーにとって重要と思えたので。俳優たちがそれを表情で伝えてくれました。我々は匂いのことを感じ取っても、普段は人々の会話の中で具体的に語ることはあまりないと思いますが、それは礼儀というものだからで、その礼儀がある時失われたら、どんなことが起こるか。匂いはその人の生活環境や労働、現状を表わすものでもあります。意図せずにそれを語ってしまうという一線を越えた時、何が起きるかを描いたんです』
ソン『一線を越えるという表現を監督が使いましたが、その線を越えるところも見えないものです。私たち俳優が表現する方法もないに等しい。そこでドラマの構想に入り込んで、その人物の心理を把握するという手法を取るしかありませんでした』
と匂いの表現の難しさを明かした。
(パート2に続く)
撮影:大西基