後半から3D、ノーカット・ワンショットで撮る大胆な試み
ニューヨークで本作の上映を観た音楽家の坂本龍一を唸らせたという、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』。他にも世界中で名を馳せる映画監督をはじめ、各界のプロたちが、我先にとこぞってガン監督の才能を高く評価し支持しています。
本作を観たら誰もが、この監督何者?と思わせる非凡さに驚かされることでしょう。それも、2作目にして、ですから末恐ろしい。処女作の『凱里ブルース』(2015)も、前出の金馬奨で最優秀新人監督賞に輝いていて、ロカルノやナント三大陸映画祭を筆頭に多くの映画祭に出品や受賞を果たしています。
処女作は予算が限られていたこともあり、満足いかなかったから次に作ったのが、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯へ』なのだとも言う監督。本作で満足出来たのかはともかく、138分の後半の60分が突然3Dになり、ノーカットでワンショットという、“やりたい放題”を見せつけるとは、お見事です。
度肝を抜くようなこの試みに、世界中が賞賛の拍手を送るのもうなずけます。ちなみに、凱里とは監督の郷里であり、その地への想いとこだわりは我々の想像をはるかに超えて、シュールでファンタジックな世界として描かれています。
本作の「難解」さは、例えばタルコフスキー、ウォン・カーウェイなどを髣髴させると騒がれていますが、数多くの名匠の作品がガン監督の脳内でオマージュされ、映画でコラージュされているかのよう。
こちら観る者も、脳内でイメージを無限大に広げ、様々な解釈を楽しむことをしたらいい。そんな風な監督からの挑戦をワクワクしながら、甘んじて受け止めるのも、この作品の魅力の一つです。
既視感に襲われながら、夢の中を旅する感覚に誘われる
映画とは、そういう楽しみを与えてくれると信じて楽しんできた私にとっては、ストーリに沿って作られ、わかりやすさが一番というような“良く出来た作品”が増える中、一石を投じてくれた刺激ある希少なこの作品の登場には、乾杯したい気持ちでいっぱいです。
駆け落ちして自分を捨てた実母や、マフィアに殺された幼なじみへの悲しみと怒りの想い、現実なのか幻か、危ういファムファタールのような女との出会いなどなどをはらんで、主人公がさまよう時間と場所を映画は辿る。観る者も誘われ、監督と一緒に旅の記憶を作っていく。そこに既視感を抱くのは、私だけなのでしょうか。
映像と融合している音楽、美術的なこだわりが全編に見られ、それを見極めているうちに監督の世界へと否が応でも引きずられていく。抵抗を試みるも、夢遊病者のようになっていく自分が怖い!(笑)。観終わると、そんな作品に久しぶりにお目にかかれたという感動に包まれるのです。
音楽・美術性高く、詩的な言葉と映像のコラボ
──監督になる前には詩人だったのですか?2016年には詩集も出されているということですが。映画の中でも、「時計は永遠だから」とか、「花火は儚いものだ」という印象深い台詞が埋め込まれていて、詩人でもあることへのこだわりを感じ、造詣の深さに感心させられました。音楽も美術も際立ちますが、この作品は映像による詩集だと思うのですが?
「結果的に、詩と映像の融合が生まれたとしたら、それは無意識にそうなったと思います。ただ、詩人が作った映画と言われると、それは違います。そもそも、私は自分から詩人であると言ったことは一度もないんですよ(笑)」
──そうなんですか?
「周りの人たちは、詩人でもあると言っているんですが(笑)。もともと(詩人だから詩を作るという風には思ってもいなくて)、詩は僕が思春期のときに、他の少年たちと同じように抱いていた自分のうっぷんとかモヤモヤを、そのまま詩のようなものにして書いていたっていうだけなんです。その頃は、インターネットもなかったし、それが詩と呼べるものだということも意識しないままにね。当時の私には発表する場もなかったんですよ」
──では、今回の映画が詩の発表の場にもなったのでは?
「自然と編集されて、組み込まれていますね。というより、現実的にも役に立ちました。僕自身の映画で使う詩は、ライセンスや著作権などの問題もないのだから、自分の詩を使うのが一番でしょう(笑)」
──なるほど。ところで、今回非常に自由にお撮りになっているんですが、カンヌ国際映画祭に出品もされたりしていらっしゃるし、内容について本国での規制などは受けなかったのでしょうか? そのへんのご苦労はなかったですか?
「まあ、そうですね。まずは、中国の映画界を牽引してきた先輩の映画人たちに感謝しなくてはいけないでしょうね。長い間、制限する側との対話をして来てくれたことにです。以前よりそんなに制限されるものではないとなったのなら、彼らが頑張ってくれていたからです。そして、自分の制作作品について言うならば、二つの作品を作るうえで、特に規制をされるというような困難はありませんでしたから」