クリストファー・ノーラン監督
高額の製作費を投じてもきちんと回収し映画賞にも絡んでくる優れた才能
映画監督は、必ずしも自分が撮りたいものを撮れるわけではない。ビジネス第一のハリウッドのメジャーシーンではなおさらで、映画製作に大金を費やす以上、血気盛んでも実績のない監督に全権を委ねるわけにはいかない。まずは結果を出すことが重要なのだ。
そういう意味では、クリストファー・ノーランのキャリアほど理想的なものはない。つねに撮りたいものにこだわってきた彼は、初期の傑作『メメント』のスマッシュヒットを足がかりにして、メジャースタジオ製作の『インソムニア』を成功に導き、よりビッグバジェットの『バットマン ビギンズ』をヒットさせる。
その実績が認められ、プロデューサーを兼任して製作のほぼ全権を得た『ダークナイト』は記録的な大ヒットとなり、その後の大作『インセプション』『インターステラー』『ダンケルク』にしてもメガヒットを飛ばして、きっちりと莫大な製作費を回収している。
巨額を注ぎ込んで好きなものを撮ることを許された、数少ない鬼才。しかも、どの作品も高評価を得て、映画賞に絡んでくるのだから恐れ入る。
似たようなポジションの監督にはクェンティン・タランティーノがいるが、彼の場合はノーランと異なり、1億ドル以上の製作費を費やすことはほとんどない。一方、『TENET テネット』に費やされた製作費は推定2億ドル。作品のスケールという点ではノーランの方がはるかに上なのだ。
時間、夢、幻想、記憶…複雑に絡み合う精神世界は時に難解とも評されるが
撮りたいものを撮り続けている以上、作品群には作家性が色濃く出るもので、ノーランも同様だ。たとえば、つねに“時間”との格闘がドラマの鍵になっていること。『ダークナイト』3部作のクライマックスはいずれも、まさしく時間との戦いだ。
『TENET テネット』では時間の逆行が重要なモチーフとなっているが、それは出世作『メメント』での時制逆行ストーリーを連想させずにおかない。フラッシュバックも“時間”を意識させる重要なエッセンスで、『フォロウィング』『インソムニア』『プレステージ』など多くの作品に見ることができる。さまざまな兵士の奔走を切り取るという『ダンケルク』の並行時制も絶妙。
さらに『インターステラー』では地球での時間の流れと宇宙空間での時間の流れが異なるという、相対性理論に基づいた設定がドラマを盛り上げる。『インセプション』にいたっては、夢の中の世界のできごとを現実と併せて描いているので、夢の奔放な時制に、現実の時制が翻弄されているようにも見える。
『インセプション』の“夢”に代表される、精神世界での格闘も、ノーラン作品に欠かせない要素だ。『インソムニア』でアル・パチーノが演じた刑事は事件の核心に迫る一方で、精神的にどんどん追い詰められて不眠症をこじらせたあげく、現実と非現実の境目を見失っていく。
『バットマン ビギンズ』は主人公ブルース・ウェインが、何度となくフラッシュバックする幼い頃のトラウマを克服するまでのドラマでもあった。さらにマジシャン同士の騙し合いを描いた『プレステージ』の主人公たちは激しい憎悪に突き動かされており、ある意味、周囲が見えなくなっている状態。それを見ている観客も、彼らのイリュージョンに引っかかる……というトリッキーな構成が味。
夢や幻想、記憶、無意識、妄執、誤解といった要素が混濁しているノーラン作品だが、時に難解と評されるのは、それらが複雑に絡み合っているからでもある。