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1989〜
カナダの子役から映画界の寵児へ
1989年にカナダのケベック州モントリオールで生まれたドランは、両親が離婚したのち母親や祖母に育てられた。4歳の時にカナダのテレビ映画「Miséricorde」で子役デビューしたのち、ケベックのCMやテレビシリーズ、映画などに出演。
またアニメ「サウスパーク」のスタンや「ハリー・ポッター」シリーズのロン・ウィーズリーなど様々な映画のフランス語吹き替え版の声優も務めたが、子役時代を終えた途端に役者仕事が減り、オーディションに落ちる日々を過ごす。
高校の課題で「母殺し」という短編小説を書いたドランは、自身が監督を務めた作品に出演しようと「母殺し」をもとに「マイ・マザー」の脚本を執筆。無名の彼にはスポンサーがいなかったことから住んでいたアパートを売り、吹き替え仕事で稼いだギャラを全て注ぎ込み、ケベックの有名女優アンヌ・ドルヴァルに自ら脚本を渡すなどして19歳の時に長編デビュー作「マイ・マザー」を完成させた。
同作は2009年の第62回カンヌ国際映画祭監督週間部門に出品され3つの賞を受賞し、ドランは〝若き天才の登場!〞と世界中の映画関係者から大きな注目を集め一躍話題の人に。業界紙ヴァラエティでは〝観客のために作られた本物の映画〞という賛辞も飛び出し、初監督作にして異例の世界20カ国で配給されることとなった。
2010〜
〝ドラン・ワールド〞を確立、賞レース常連に
デビュー作から監督・脚本・編集・主演・衣装を務めているドランは監督2作目の「胸騒ぎの恋人」でも自身の世界観を存分に発揮する。ヴィンテージの服やクラシックな音楽、スローモーションを多用した映像で男女の三角関係をポップに描いた本作は、第63回カンヌ国際映画祭のある視点部門に正式招待され若者の視点賞を受賞。
連続で主演を務めたドランは〝脚本に自分の役を無理矢理書くことはしない〞と断言しており、監督3作目の「わたしはロランス」では裏方に徹し、主演はメルヴィル・プポーが務めた。彼は映画を撮る際に必ず大量の雑誌を買い、作品のイメージに合う写真の切り抜きで作ったルックブックを作って全スタッフと役者に配りビジュアルコンセプトを共有するという。
「わたしはロランス」では前2作に比べて大幅に増えたキャラクターごとにふさわしい衣装を自ら選び、劇中では色鮮やかな衣服が空を舞うなどドランワールドが炸裂。彼の映像美に魅せられたのは海外の映画ファンだけじゃなく、日本での公開時には劇場に多くの観客が詰めかけた。
4作目の「トム・アット・ザ・ファーム」はカナダを代表する劇作家ミシェル・マルク・ブシャールによる同名戯曲を映画化したもので、ドランは主人公のトムを演じている。本作は2013年の第70回ベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、多くの批評家から「ドランの最高傑作」と評された。
翌年に発表された5作目「Mommy /マミー」は、デビュー当初〝母と息子の複雑な関係性〞をテーマに描いていたドランにとって原点回帰と言える作品。2014年の第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でジャン・リュック・ゴダール監督と共に審査員特別賞を受賞した。
2016〜
豪華キャストで描いた二つの家族の物語
ナタリー・バイ、ギャスパー・ウリエル、ヴァンサン・カセル、レア・セドゥー、マリオン・コティヤールなどフランスの名優をキャストに迎えた6作目「たかが世界の終わり」は、2016年の第69回カンヌ国際映画祭にてグランプリを受賞はじめ、セザール賞最優秀監督賞と最優秀編集賞など多くの映画賞を受賞。余命を悟ったゲイの青年ルイの痛みや苦悩を、痛々しいほどの強烈な映像で見せている。
ドランの快進撃はまだまだ止まらず、初の英語劇に挑戦した7作目「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」は「ゲーム・オブ・スローンズ」のキット・ハリントン、「ルーム」のジェイコブ・トレンブレイをはじめ、ナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツら豪華俳優陣が集結。
本作はドランが8歳の時に観た「タイタニック」でレオナルド・ディカプリオに夢中になり、彼にファンレターを書いたという自身の思い出をヒントに描かれた作品だ。デビューから様々な形で描いてきた〝母と息子〞というテーマにおける集大成だとドランは語っており、ナタリー演じる母親がジェーコブ演じる息子と懸命に心を通わせようとする姿に感情を揺さぶられる。「マティアス&マキシム」以降の監督作は未定だが、今後も彼にしか描けないテーマの作品を作り続けるに違いない。