自堕落なミューズは何者?彼女に溺れる小説家の末路とは?
二階堂ふみ演じる、フーテン(定住の場と職を持たない浮浪の輩)の若い女、ばるぼら。酒びたりで街を徘徊しているところを、稲垣吾郎演じる小説家美倉洋介に拾われ、彼の家に住みつく。
大衆性か芸術性かに、小説家としての行く末を決められず思い悩んでいたところ、ばるぼらが幸運をもたらしてくれるかのように、美倉の仕事は上向きに進んでいく。彼女が、まるで芸術のミューズであるかのように依存する美倉は、いつしかばるぼらの虜となり、堕落の道へと突き進んでいく。彼女はいったい何者なのか?
原作が世に出た頃は、「禁断」の作品と言われるほど、アンモラルな大人向けの漫画作品であった『ばるぼら』。
それも、やはり、手塚治虫の代表作が『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ジャングル大帝』『火の鳥』などなど、多くの少年少女向けの名作で知られ、正義や道徳的、人間礼賛という精神が息づいていた作品の作者であるところから、読者たちにとっては驚きの作品の誕生と捉えられたのでしょう。
しかし、今改めて注目してみても、『ばるぼら』の持つ面白さとは、カルト的な魅力が盛りだくさんで、教養溢れて燦然と輝いているのです。ビアズリーの線画、ヴェルレーヌの詩などなど、頽廃と芸術のはざまを探るかのような類まれなる「漫画」ではあります。
これを映画化するのが、手塚眞監督であることの必然性に打たれ、その時がついに訪れたのかと感慨もひとしおです。
原作を越え、映画として楽しんでもらいたい
──今年の東京国際映画祭は、コロナ禍での開催となりましたが、昨年、この映画祭でコンペティション部門にノミネイトされた『ばるぼら』、映画祭での上映はどのような反響がありましたか?
「まず、思った以上に、とても好意的に受けとめていただけたという印象を得ました。一番気にしていたのは、原作との比較をいろいろ言われるのではないかということでした。
でも、原作はもちろん、出演して下さった方々、スタッフの方々の持つ力のおかげでしょう、原作を良く知っている方々にも、そうでない方にも、映画として楽しんでいただけたことが何よりの成果です」
──この作品は日本とドイツ、イギリスの合作作品ですので、海外での公開も決定しているのでしょうか?
「海外は、まずは映画祭上映で観ていただいてきました。特殊な日本映画というより普通の日本映画として楽しんでいただけているようです。日本ならではの映画として楽しんでいただけたらと、私は思って作りましたし。
制作当初は、原作がヨーロッパ的な要素を持っているので、例えばプラハとかの海外で撮影したらどうかという意見もありました。私自身は、むしろ東京の新宿のような街並みで魅せていくことをしてみたかった、その方が海外でも興味を持っていただけるのではないかと。昭和の香りを漂わせるような雰囲気なども強調して撮ってみたかったのです」
海外での劇場公開は台湾から
──なるほど。例えばフランスだったら、バンデ・デ・シネといわれる漫画文化に高いリスペクトを寄せる国なので、ぜひ、公開していただきたいですね。
「そうですね。まずは12月には台湾の『桃園映画祭』で上映後、一般の劇場で公開を予定しています」
──それは、おめでとうございます。昨年のTIFFで上映された頃には、思ってもいなかったコロナ感染拡大に、現在も見舞われてしまっています。それを乗り越えての、日本や台湾での劇場公開となるわけですが……。
「やはり映画や劇場、映画業界のためにも、公開することは『不幸中の幸い』であると言っても良いかと。躊躇なく、ミニシアターを元気にして行こうという気持ちもあります。過去の作品『白痴』(1999)もこの期に再映して、少しでも多くの方々に劇場に観に来ていただきたいと思っています」
──坂口安吾原作の映画化で、当時、大変注目されましたね。浅野忠信と、モデルとして人気を集めていた甲田益也子さんを主演に起用されたことも話題になりました。そして、今回の『ばるぼら』ですが、この作品はお父様の手塚治虫さんの生誕90周年の記念に向け、5年前あたりから、数ある作品の中から選んで、自ら映画化なさったというわけですね?
「実は、そういう目的で制作したわけではなかったのです。まず、何か大人向けの映画を制作しようと考えている時に、『ばるぼら』に行きついた。出演する俳優を調整する時間をとられているうちに、ちょうど父の生誕90周年になってしまったというわけです」
生誕90周年記念作品としての企画ではなかった!
──そうだったんですね。でも、それはまた、父上のお導きでは……(笑)
「最初から生誕90周年を記念する作品を映画化するなら、もっと違う作品を選んでいたでしょう。しかも、『ばるぼら』のようなレーテイングR15という但し書きのない作品を選ぶべきでしょうね」
──なるほど。しかも、この作品は映画化が不可能とも思われていた作品であり、大人向けということに加え、オカルトチックな面もあるし。今まで映画化のオファーとかはあったのですか?
「それが、一件もなかったんです」
──それは意外ですね。
「そうですね、アンモラルで過激なシーンも少なくないし、映画にするには躊躇してしまうのでしょうかね。原作のファンは多いんですよ。映画監督や音楽家とかクリエイティブなお仕事をされているような方々から、熱烈に支持されていた作品ですから。が、映画にしたいと言ってこられた方は全くいらっしゃらなかったんです」
──そこで、ご子息自ら映画化すると奮起されて?
「エロティックでロマンチックな大人の鑑賞に耐えるような映画を撮りたいと考えていたところでしたから、結果的にですね」
──やはり、必然的な目に見えないものが動いたのかも、ですね。
ところで、原作は漫画ですから、言わば映画のためにカット割りされているようなところもあり、ばるぼらが、すでにキャラクターとして描かれているわけで、それに対しては寄り添おうとされましたか、あるいは抗おうとされたのでしょうか?
原作のキャラクターから離れての映画づくり
「いや、まったく意識しないで、自由に脚本を書いてもらいました。場面によっては自分の明確なイメージがありました」
──ばるぼら演じる二階堂ふみさんも、原作に描かれた、ばるぼら像を意識されなかったのでしょうか? 今までたくさん演じていらした中でも、今回の作品はエロチックで、美しくもディープなラブシーンもありますが。
「とにかく、原作にとらわれて欲しくはなかったですね。そのうえで、脚本からも離れたアドリブを求めました。原作に描かれているキャラクターについて、考え過ぎないで欲しいと伝えました」
──とても生き生きとして、ばるぼらを、楽しんで演じているような印象があります。彼女の持つ新たな側面を剥き出しにしたことも大成功だと思いますが、演技指導はしなかったというわけでしょうか?
「していませんね。で、後で聞いてみたら、ずいぶん悩んだとか(笑)。脚本どおりに演じるより、感じたままに演じて良いと言われるとでしょうか。
例えば、ばるぼらは大酒のみの酔っ払い。ところが二階堂さんはお酒は、まったく飲まないのだそうで(笑)。じゃあ、酔っ払いをどう演じるのかというのを、あんまり作り過ぎても不自然になる。だから自然体で良いからというのが、こちらからの注文であったりという感じです」