作品ゆかりの地をめぐりながら、ホウ・シャオシェンは何を語るのか?
1989年『悲情城市』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞、台湾ニューシネマの旗手として世界にその存在を知らしめたホウ・シャオシェン監督。『黒衣の刺客』(15)ではカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。2020年には監督生活40周年を迎え、57回台湾金馬奨・終身成就奨(生涯功労賞)を受賞。スピーチでは「人を感動させるには、まず自分が感動することが必要」と尽きない創作意欲を感じさせる言葉を残している。
本作のタイトル「HHH」はホウ監督の英語表記Hou(侯)Hsiao(孝)Hsien(賢)の頭文字に由来している。第20回東京フィルメックス(2019年)の特別招待作品フィルメックス・クラシックで上映され、今春の「台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢監督デビュー40周年記念 ホウ・シャオシェン大特集」でもプレミア上映となった。今回は待望の劇場初ロードショー。
メガホンをとったのは『パーソナル・ショッパー』で第69回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞したフランスの名匠オリヴィエ・アサイヤス監督。 “カイエ・デュ・シネマ”で映画批評家をしていた84年、台湾ニューシネマの監督たちの存在に大きな衝撃を受け、いち早くフランスで台湾ニューシネマを紹介した人物でもある。本作では、13年来の友人であるホウ・シャオシェン監督はじめ、台湾ニューシネマを牽引した映画人たちへのインタビューを中心に、作品にゆかりの地をめぐっている。
予告編
■作品概要
世界の巨匠たちに映画監督がインタビューを行う、フランスのTVシリーズ「われらの時代の映画」。アンドレ・S・ラバルトとジャニーヌ・バザンによるこの伝説的な番組で、台湾ニューシネマをフランスに紹介してきたオリヴィエ・アサイヤス監督が台湾を訪れ、素顔のホウ・シャオシェン監督に迫った。取材当時、ホウ・シャオシェン監督は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)の脚本を執筆中だった。
チュウ・ティェンウェン(朱天文)、ウー・ニェンチェン(呉念真)らホウ・シャオシェン監督と共に台湾ニューシネマを牽引した映画人たちへのインタビューを中心に、『童年往事 時の流れ』(85)『冬冬の夏休み』(84)『悲情城市』(89)『戯夢人生』(93)『憂鬱な楽園』(96)の映像と共にホウ・シャオシェン監督とアサイヤス監督が作品にゆかりのある鳳山、九份、金瓜石、平渓、台北をめぐる。
ホウ・シャオシェン監督は傍らのアサイヤス監督に、広東省から台湾に移住した家族のこと、少年期の思い出、そして映画に懸ける思い、映画製作のプロセスについて語りかけていく。最後のシーンでカラオケを熱唱するホウ監督の飾らない姿はその選曲とともに必見である。本作はINA (L'Institut National de l'Audiovisuel)により、オリヴィエ・アサイヤス監督の監修のもと、そしてアンスティチュ・フランセの協力を得て、デジタル修復された。
オリヴィエ・アサイヤス監督コメント
オリヴィエ・アサイヤス 監督 第 20回東京 フィルメックス Q&A
第20回東京フィルメックス・特別招待作品フィルメックス・クラシック
『 HHH :侯孝賢』 Q&A
日時: 2019 年 12 月 1 日
場所: 有楽町朝日ホール
登壇者:オリヴィエ・アサイヤス(監督)
聞き手:市山尚三(東京フィルメックス ディレクター)
通訳: 人見有羽子
※敬称略
—市山:22年前くらいに撮られた作品ですが、デジタルデータ化された素材がなく、今回の上映に際しデジタルリマスター版を作成して頂き、今回が世界初上映となります。まずはアサイヤス監督に、ホウ・シャオシェン監督との出会いの経緯についてお聞きしたいです。
「ホウ・シャオシェン監督との出会いは84年にさかのぼります。その頃、台北に訪れる外国人のジャーナリストは本当に少なく、私はその最初に台北を訪れたジャーナリストのひとりだったと思います。その時、私はまだ映画監督になる前で、“カイエ・デュ・シネマ”で映画批評家をしていて、香港映画特集の取材で香港を訪れていました。“チャイナ・タイムズ(中国時報)”で映画批評をしていたチェン・グオフー(陳国富)さんに、「台湾映画を発見すべきだ」とつよく勧められ、台北にも行ったのです。そこで私は台湾の新世代、いわゆる「台湾ニューシネマ」の監督たちを知ったのです。
1984年当時、すでにホウ・シャオシェン監督は『風櫃の少年』を撮っていましたし、”台湾ニューシネマ“のもう一人の重要な作家であるエドワード・ヤン監督もクリストファー・ドイルの撮影で『海辺の一日』を撮っていました。私は台北にこんな素晴らしい監督が存在していることは知らず、大変衝撃を受けました。特にホウ・シャオシェン監督の初期の作品を観たときに、「これは中華圏の映画の歴史に残るような作品だ」と確信しました。
中華圏映画の巨匠というだけでなく、世界の映画の巨匠となるべきだ、と。私はこの出会いの2年後に映画監督になるのですが、彼の作品から多くの影響を受けました。ホウ・シャオシェン監督と、私の友情はこの時からはじまり、様々な映画を通しての会話をし、それがいまも続いているのです。そして何よりも彼も私も映画監督として初期のころに出会えたのは、とてもありがたいことでした。」
—観客:素晴らしい作品を観ることができてよかったです。ホウ・シャオシェン監督の頭の中に入りこんでいるようで、彼のことがよく理解できました。非常に自然体であったのも、よく知っている間柄だからこそと思いました。このような作品をまた撮るとしたら、誰を撮りたいですか。
「まずこの作品を撮った文脈というものが、とても大切なものでした。すでに私とホウ・シャオシェン監督の間には、ひとつの友情関係が結ばれていました。またこの作品はフランスのテレビの映画監督が映画監督を撮るというシリーズのひとつでした。
この「われらの時代の映画」シリーズは私も好きだったのですが、それまでの作品には「時間の概念」が欠けていると感じていました。それまではどちらかというと伝統的な問題提起の仕方で作られていましたが、私がやりたかったことはシネフィル的な視点ではありませんでした。
ホウ・シャオシェン監督の映画を紹介しようとか、彼のテーマを分析しようとかではなくて、ひとりのアーティストのポートレートとして、ホウ・シャオシェンという人間その人、友人としての彼をおさめたかったのです。知り合った当初、私たちはまだどちらも無名だったからこそ、すごく親密で打ち解けた付き合いができたし、信頼というものを築き上げることができました。
このように築き上げられた友情の上で、撮られたシリーズはいままでありませんでした。この作品に登場しているひとたちは、私にとっては馴染みのひとたちですし、カラオケのシーンなども、私と彼らが過ごした時間の賜物のようなものです。だからこそホウ・シャオシェンを撮ることができるのは、自分しかいないと確信していました。
もし他の監督を私が撮ることができたなら、あるいは撮るべきだったならという問いかけに対して答えるとすれば、エドワード・ヤン監督です。この作品のなかでは彼は不在ですが、私のなかでは非常に重要な映画監督として位置付けられています。
現代の映画史においても、中華圏映画を新しくリノベーションしたという意味においてもです。彼とはホウ・シャオシェンと同じくらい深い友情を築き上げていて、この作品にも出演してもらいたかったんですが、彼自身がそれを望まなかったという経緯があります。
ホウ・シャオシェンとエドワード・ヤン監督がちょっと気まずい関係にあったこともあり、またおそらくエドワード・ヤンはホウ・シャオシェンではなく僕のポートレートを撮るべきだと思っていたのではないでしょうか。そんなわけで、エドワード・ヤン監督のポートレートをやりたくても結果としてできませんでした。彼はあまりにも早くこの世を去ってしまいましたから…」
—観客:撮影監督のエリック・ゴーティエは最近では是枝裕和監督の『真実』にも参加していますが、彼を起用した経緯を教えてください。
「エリック・ゴーティエは『イルマ・ヴェップ』で最初に起用した時に、とてもいいなと、私自身すごく喜びを感じました。また当時、彼にとってアジアというのははじめての場所、はじめての経験だったのです。はじめての場所、はじめての知らない世界を発見する好奇心、ホウ・シャオシェン監督の世界観に対する新鮮な視点を持っているというところもよかったと思います。
撮影監督のエリック・ゴーティエ、彼の助手のステファン・フォンテーヌ、そして音響のドゥー・ドゥージーは、当時まだ名が知られていない存在でした。しかし皆、いまでは重要な作り手になっており、そうした才能ある人たちと一緒に仕事ができたというのは、非常にラッキーなことでした。」
—観客:なぜ“台湾ニューシネマ”というムーブメントがあの時代のあの瞬間に起きたのか、ホウ・シャオシェン監督に実際にインタビューして感じられたことがあればお聞かせください。
「また“台湾ニューシネマ”がなぜ起こったかということですが、当時台湾には戒厳令が敷かれていて、それに対抗するような知的階級のムーブメントがありました。抑圧的な台湾の文化政策からの解放、台湾の政治や現代社会に対しての言論の自由を謳った人たちがいました。そうしたジェネレーションが小説などを契機として、映画の世界にも広がったと認識しています」
—観客:台湾ニューウェーブが起きた後に台湾から香港に出資があり、その後に香港映画が飽きられたというくだりが劇中にありました。2000年代以降になると中国の力が強くなって、その資金で香港映画を制約し始めたということもあるかと思います。そうしたなかで、映画製作の現場にいらっしゃるアサイヤス監督としては、中国の勃興に代表されるような近年の変化は映画制作にどのような影響を与えていると感じていますか。
「『HHH:侯孝賢』を撮った後、台湾映画を巡る経済的状況はかなり変化を遂げています。台湾映画に対する助成金はかなり少なくなっています。台湾ニューシネマ第一世代が持っていた可能性というものが、尽きてしまったという時代が訪れるわけです。ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)などの次の世代はいても、台湾映画でホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンのような大きな監督たちが出てこなくなった。それは経済的な要因もあったのです。
そして台湾映画は、自国の映画をどれだけのパーセンテージで上映しなくてはならないという制度に長らく守られていたところがあった。でもいまはそれも変わってきて、台湾の映画館を席捲しているのは、アメリカ映画や香港映画であったりするわけです。とりわけ顕著なのが、中国映画が変化して、市場を開放したというのもあると思います。
さらに台湾で制作していた人たちが北京に移っていったということもあります。先ほども申し上げたチェン・グオフーさんも北京をベースにして、プロデューサーとして香港のツイ・ハーク監督をプロデュースしています。『HHH:侯孝賢』の共同プロデューサーであったペギー・チャオさんも、北京と台湾を行ったり来たりしています。
世界の映画は、経済的なものによって新しいプラットフォームができたり映画配給の仕方が新しく変わりつつあったりしますが、私自身はどこから出資されたお金かということで映画の質が変わることはないと思っています。たとえばアップル、ネットフリックス、コカ・コーラ、あるいはフランス政府のお金であろうがなかろうが、私たちが作る作品にまったく影響を及ぼすことはないと思っています。」
『HHH:侯孝賢 デジタルリマスター版』は9月25日公開
『HHH:侯孝賢 デジタルリマスター版』
※読み方は「エイチ・エイチ・エイチ ホウシャオシェン 」
2021年 9月 25日(土) より 新宿 K’s cinemaほか 全国順次公開
原題HHH:A portrait of Hou Hsiao Hsien
監督:オリヴィエ・アサイヤス
撮影監督:エリック・ゴーティエ
編集:マリー・ルクール
出演:ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、チュウ・ティェンウェン (朱天文)、ウー・ニェンチェン
(呉念真 )、チェン・グオフー(陳国富)、 ドゥー・ドゥージー (杜篤之 、ガオ・ジエ(捷)、リン・チャン(林強)
提供・配給:オリオフィルムズ
配給協力:トラヴィス 宣伝:大福
フランス・台湾/1997年/ DCP/ステレオ/ヴィスタ 92分
©AMIP-La Sept ARTE-INA-France 1997
公式HP:hhh-movie.com