成田陽子
ロサンジェルス在住。ハリウッドのスターたちをインタビューし続けて40年。これまで数知れないセレブと直に会ってきたベテラン映画ジャーナリスト。本誌特別通信員としてハリウッド外国人映画記者協会に在籍。
新人スター時代、当時の恋人ウィノナのことを話すときは顔中が緩みっぱなし?
ジョニー・デップに初めて会ったのは『シザーハンズ』(1990)の時。ちょっと照れて、恥しがっている表情が『シザーハンズ』のエドワードそのものだった。共演のウィノナ・ライダーとのロマンスが発展中で、彼女のことを語る時は顔中が緩みっぱなしだったのが微笑ましく思い出される。その時に生い立ちをゆっくりと語ってくれた。
「ギターが14歳の僕の全てだった。楽器店で練習本を万引きして独学でマスターし、高校を中退してバンドに入り、クラブサーキットをしていたが、やはり高校くらい卒業しないと、と反省して学校に帰ったら、校長に勉強よりロックスターの資質があると言われてね。なんだか嬉しいような、変な気持ちだったが、“キッズ”というバンドで演奏しながら、工事現場やガソリンスタンドで働いて何とか暮らしていた。
家は父が15歳の時に家出して、既に僕はドラッグとアルコールに逃げ場を見出し、逮捕されたりもしていたトラブルメーカーだった。19歳になってもっと大きな世界に挑戦、とロスアンジェルスに来たものの全く仕事は見つからず、同じミュージシャンのロリ・アン(アリソン)と結婚したものの、週給100ドルでテレマーケティングをしたり、全く冴えない毎日だった。
そんな頃、ロリが前のボーイフレンドのニコラス・ケイジを紹介してくれたんだよ。ニックは僕が俳優に向いていると言って、すぐにその気になる僕はオーディションに向かい、『エルム街の悪夢』(1984)の役を得て血だらけの現場にひどく共感を覚えたりしてね」
そしてジョニーの俳優道が始まったのである。日本では放送されなかったテレビシリーズ『21ジャンプストリート』(1987~90)の高校生に変装し、黒皮のジャケットに、反抗的な態度を取って、いきがって犯罪調査をする警官トム・ハンセンの役が人気を呼び、一夜にしてジョニーはスターに。
しかしティーンのアイドルなどに満足するわけもなく、ポスターにいたずら書きしたりと今から思うと消極的反抗をしたりしたそう。
子供が生まれたことによってそれまでのニヒルな生き方までが一変
それから8年後、フランスのヴァネッサ・パラディとの交際が始まり、1年後に最初の子供、リリー・ローズという女の子が生まれるとジョニーはニヒルなロックンロール・モードから突然、甘いパパに変身。
「生まれるまで、僕は自分の命を捨ててもベイビーの安全と健康を願っていて、生まれた瞬間、僕の目からベールのような膜が取れて、世界がものすごく鮮明に、極彩色で見えるようになったんだ。ベイビーと一緒に僕も生まれ変わったと信じたね。
今までの僕は無意味な存在だった、これからは父親としてベストを尽くさないと。子供にとって誇り高い人間でいたい、と痛感してね。タバコも止めて、健康な体づくりに励み、フランス語を練習して一人前の父親を目指したんだ。それまでの僕は半人前かそれ以下だったから。
リリー・ローズのために歌を創って一生懸命に歌ってあげて、リリー・ローズが満足して眠る表情を見るともう、嬉しくて、幸せで、これ以上何が欲しいか? 何も要らない!って感動の連続だった」
そして子供のことを「キディー」とソフトに呼んでいた。普通アメリカ人は子供のことを「キッズ」と呼ぶのである。それから20年余り。最後に会ったのは『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2018)の時。アンバー・ハードとの離婚トラブル中だったが、努めて明るく振る舞おうとして、いつもの優しさを存分に発揮して、それはそれはチャーミングだった。
『MINAMATA-ミナマタ-』(2020)のアメリカ公開が今のところ宙ぶらりん状態で、多くのジョニー・ファンが話題作を早く観たがっているのが現状である。
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