万田邦敏監督の最新作も、心理サスペンス
人間の心理や身体機能を研究する大学教授でもある映画監督が、万田邦敏監督だ。その独特の世界観は、カンヌ映画祭をはじめ、多くの映画祭で評価され、受賞を重ねている。そこに誰よりも注目していたのが、杉野希妃だったと言っても過言ではない。
なにしろ、『UNloved』(2001)『接吻』(2008)に魅せられ、いつかは仕事を一緒にしてみたいと情熱をたぎらせて、それを、今回の作品で現実のものにした杉野のエネルギーには感服するほかない。
『愛のまなざしを』は、自ら、精神科医でありながらも、妻を心の病で亡くし、自戒の念で深く傷ついている男(仲村トオル)と、自己嫌悪と自己葛藤に精神を追いつめられている女、綾子(杉野希妃)の、互いに救済を求める愛の物語である。
といっても、それはラブストーリーとはかけ離れた、心理サスペンスだ。その愛は、万田邦敏監督と、(上記の2作品で)脚本を手がける万田珠実が作り上げる世界なのだから、生易しいわけがない。
観る者は、綾子の躁と鬱が入り混じる言動や行動に、ヒリヒリとさせられながら、引き込まれずにはいられなくなる。
そんな映画を生み出したのも、綾子を演じることになったのも、杉野希妃の大きな勇気と覚悟があったからなのだ。
観るたびに印象が変わる作品は、成功の証
── 昨年、2020年の東京フィルメックスのオープニング上映作品となった『愛のまなざしを』が、いよいよ劇場公開されますね。おめでとうございます。改めまして、その時の反響をお聞かせください。
ありがとうございます。東京フィルメックスは、シネフィルの方も多く通う映画祭ですから、今までの万田監督作品を良く知る方々が新作を観ようと、大勢いらっしゃったんです。そして、その方々からは、とても「万田監督らしい作品」であると言っていただけました。
── それは、出演された杉野さんにとっても、良かったですね。
一方で、例えば私の友人たちも観てくれましたが、この作品はセリフも多いし、内容も特殊なので、「また観たい」と言うんです。単純に、すごく感動したとか、すごく悲しかったという分かりやすい感情では一括りには出来ない映画だと。私自身も、観るたびに毎回、印象が変わる映画だなぁと感じます。
── それでこそ、この作品は大成功と言えるのではないでしょうか。ハリウッド映画や、テレビドラマのようなわかりやすさに慣れている方々には、これぞ映画だと言って良いと思いますよね。
東京国際映画祭の審査委員長にもなられた、ブリランテ・メンドーサ監督の言葉にもあるように、映画には芸術性と商業性それぞれを目指す作品があるわけで、万田監督や杉野さんの目指している映画づくりは前者ですものね。
ありがとうございます。1回目は唖然とした方も、2回目、3回目と観ていくうちに違った印象を抱いてくれるのではと思えるんです。
万田監督の映画作品に魂を奪われる
── その、シネフィルの方々が崇拝する「万田ワールド」の「聖域」に君臨する新しいミューズとなった杉野希妃さんですが、この作品は、もともと杉野さんが万田監督に持ち込んだプロデュース企画だったそうですね。
はい。まず、私自身が万田監督作品の『接吻』という映画に、魂を奪われるくらいに衝撃を受け、魅了されていました。それ以来、ぜひ一度、万田監督とご一緒に作品を作りたいという想いを抱き続けて来ました。
── どういうところに魅了されたのでしょう。
『接吻』は、一家皆殺しの殺人犯をテレビで観て、その男の微笑みに惹かれ、自分をわかってくれる人間ではないかと恋する女を、小池栄子さんが演じていらっしゃいます。これは主人公のエゴイズムとも思える「愛」なのですが、それを貫いていけば自分は生きていけるという、その女の切実さに真実味を覚えたのです。生きていくということは、こういうことかも知れないというような。
── なるほど。杉野さんの魂を本当に動かした作品だったんですね。
そして、その前の作品、森口瑤子さんが主演なさった『UNloved』も拝見したら、さらに驚かされました。男に絶対に屈しない女。そして、最終的に意図せず男を服従させてしまう女の頑なさが描かれるのですが、言葉の熱量は高いのに、映像は厳格。ホラーさながらの冷たさもあり……。この異様さは何なのだろうと。いつかご一緒にお仕事をしてみたいと、益々つき動かされていったんです。
監督と脚本家のタッグが生み出す世界感が凄い
── そうでしたか。では、それが叶って、今回の監督の新しい作品が生れていったわけですが、ご自身は綾子を演じることに悩まれた時期もあったとか? 杉野さんとしては、綾子は別の女優さんを想定されていたわけですか。
そうですね。そういう時期もありました。そもそも、万田監督と、『UNloved』と『接吻』の脚本を手がけられている、監督の奥様でもある万田珠実さんのお二人がタッグを組まれている作品のファンとして、久々にお二人が組んだ映画を見てみたかったというのが作品作りの大きな原動力でした。
── 最終的にご自身が綾子を演じようと決心された、背中を押したものは何だったのでしょう?
上がってきた脚本を拝読して、綾子という女が不可解で、私には共感するところが全然なかったのですが、「演じるうえで共感する必要はないのでは」と珠実さんに言われて、腑に落ちましたし、背中を押していただいたような気がします。
リアリズムとは真逆な、身体的演技を演出
── ただ、演じれば良いということですか?
そうですね。自分自身ですら理解できないことも多いですし、自己嫌悪だってあるのだから、演じる役に全て共感すること自体がそもそも不可能かもしれないと納得しました。共感できないという違和感を持ったままでもいいから、監督に身を委ねようと思いました。
── 具体的にはどんな演出だったんですか?
それまでは自然体というか日常そのままに演じて欲しいという監督が多かったんです。が、今回は真逆で、リアリズムは一切いらないと。とにかく、身体運動、所作について細かく指導なさるんです。目線からすべての動きまで、手取り足取り。まるでパフォーマンスのようでした。しかも、その台詞に、この動きで大丈夫なのかな?とも思える動作なんですよ(笑)。
── 杉野さんは、演じながらも、ご自身が当初イメージしていた女優さんを思い浮かべたりして、その女優の方が自分より上手く演じたかも知れないというような、迷いやプレッシャーを感じることなどはなかったですか?
あ、それはないんです。一度演じ出したら没頭してしまうので。役作りとして、心療内科に受診しに行ってみたり、別の医師には脚本を読んでいただいて、この女の病名はどのようなものなのか診断してもらったりはしました (笑)。
── えー、そうだったんですか(笑)。
えぇ、虚偽性障害とか、演技性パーソナル障害に近いかもしれないと、その医師から伺い、参考までに監督にお伝えしましたところ、そういったリアリズムは必要ないと。
演じた女性像は、ファム・ファタルではない
── そうですか、監督さすがですね(笑)。そうしますと、この作品を撮り終えた頃は、杉野さんもセラピーした後のようにスッキリしたりして……?
いいえ、逆です。半年くらいは、綾子が私から抜けませんでした。
── お疲れ様でした。それでこそ、演じきったと言えるのでは。素晴らしいです。
前作の『雪女』のことを思い起こしてみたら、映画監督、主演をされましたが、昔話ではあっても、男や周囲を惑わす女性像という役柄は、今回の女性像にも似ているのかな?と。普段は明るくてお元気そうであるだけに、そういう役を演じることは、杉野さんにとって取り組みたいことなのでは?
そういうわけでもないんですよね。『雪女』は異種との交わりというテーマ性が面白いと思い、作りました。今後も、不可解なものに分け入っていくようなことなど、いろいろと挑戦したいです。今までも人を惑わす役だけではなく、頼りがいがある役や包容力がある役も演じていますしね。
── そうですか。男を惑わしたり振り回したりというような役柄は、美しい女優さんが演じるべきだと思えるので、杉野さんには、ぜひ、またトライしていただきたいものです。フランスのジャンヌ・モローなどの名女優が得意としていて、彼女も明るい役もやっていたし……。
そうですね。ただ、今回の綾子は、男を幻惑して破滅させていく魔性の女、ファム・ファタルかと思われがちなんですが、万田珠実さんがおっしゃるには、綾子をファム・ファタルという枠組みに閉じ込めたくないと。計算して人を操ることを喜びにするような女ではないんです。
誰にでも潜むエゴイズムな精神
── 確かに、そうですね。『接吻』についてお話しされていらしたように、「エゴイズム」で突き進む純粋な女ですね。自己愛と言ったら良いのかもしれないですね。
そうです。純粋で、先のことなど考えず、嘘をついたり、幼女の様な女。ですから、ファム・ファタルのような魅力に溢れているキャラクターとは異なりますね。そして、演じる前はまったく、自分には共感出来ない存在だったはずの綾子でしたが、演じてみたら、自分にも綾子的な要素があるようにも思えて来たんです。
── 誰にでもあるんじゃないんでしょうか?「自愛」の暴走というか、普段はコントロールしていて抑えているわけでしょうが。抑えなくても良いとなる救済を求めて、そういう相手を見つけるとすがろうとするというか。私にだってあると思います。
そういう気づきをもらえる映画なんじゃないでしょうか。この『愛のまなざしを』は。自分を映し出す鏡の様な映画ですね。精神科医も、妻を失って病んでいますしね。
そうですね。誰にでもそういう一面はあるのかもしれませんね。
演じることのきっかけは、良い仲間づくり
── ところで、今さらなんですが、杉野さんが女優になろうとしたのはどうしてでしたっけ? 慶應義塾大学在学中にデビューされたんですよね?
演じるということに興味を持ったのは、中・高生時代からでした。
中学2年生くらいの時、放送部から演劇部に転部しました。演劇をやりたいという以前に個性豊かで面白そうな人たちと仲間になれるんじゃないかという想いがあったんです。
そして、その時期は学校や家庭が厳しくて、その反発や逃避として宝塚歌劇団のファンタジーの世界に惹かれたりもしました。ルーズ・ソックスも厳禁で、はけなかった女子中高生だったんです(笑)。
── で、大学生になったら映画を作りたい、映画で演じたいという具体的なきっかけが訪れたのでしょうか?
父親が映画愛好者でして、大学以前は一緒に父親の好きな映画を観たりしていました。大学生になって離れていても、父がお薦めの映画をDVDで送ってくれました。悩んでいる時などは、「この映画観なさいよ」と選んでくれて……。
── ほぉー、例えば、悩んだらどんな映画を?
ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『ソドムの市』(1975)とか。
── わぁ、お父上素晴らしいです。それは効いたでしょう(笑)。それにしても、年代に関係なく、映画を作っている多くの方々が、その時代の今や伝説的映画監督となった作品を、絶対的に観ていますね。凄い才能が凄い映画を生み出す、凄い時代だったんですよね。
はい。それを観たら、もう、あの世界観の凄まじさに、私の悩みなんかぶっ飛んじゃうくらいの衝撃でしたね(笑)。その頃から体を使って演技をすることが、ファンタジーの世界に身を浸して現実逃避するだけではなく、現実や本質と対峙する一つの方法のように思い始めました。
演じたいからこそ、プロデューサーや監督にも挑む
── で、女優だけでは満足できなくてプロデューサーもやるようになったのは、どうしてですか?
オーディションをいくつも受けていましたが、女優として自分がやりたい役が、なかなか手に入らなかったということがあります。元々映画制作にも興味はあったので、自分が出演したい映画を自分で作ってしまおう、この有り余ったエネルギーを能動的にポジティブに使おうと思いました。尊敬する監督さんや気の合うスタッフさんに自分から声をかけて作れることも刺激的ですし。
── チャレンジングな、凄いエネルギーです。それがどの作品になりますか?
『マジック&ロス』(2010)『歓待』(2010)ですね。そうしているうちに、だんだん世の中に対しての疑問も生まれて、そういう想いを、映画で投げかけながらクリエイトしていきたいなと。その延長で、監督業もチャレンジしました。
── 世の中を映画で動かしていきたいという想いは、まぎれもないものです。素晴らしいです。そういう活動は国際的な映画祭からも評価され、受賞もされて来ましたね。監督作品『欲動』(2014)は、釜山国際映画祭をはじめ、世界的な映画祭にノミネイトされ評価も高かったですね。
そのように、プロデューサーや監督をされてこそ、女優としての立ち位置が明らかになってくるというようなことは、キャリアを重ねていらして見えて来るものですか?
その前に私から質問させていただきたいですが、「女優」ってなんだと思いますか?
演じることは「祈り」のようで、女優は「巫女」のようなもの
── そうですねぇ、女として生まれたら一度はやってみたい、なってみたい職業ではないでしょうか。憧れのお仕事。自分によく似た女を、はたまた自分とは真逆な女を、「生きてみる」ことが出来る、稀有なお仕事。(杉野さんにもご高覧いただいた拙新刊『職業としてのシネマ』にも、「女優」について記述させていただきましたが)私は、自分がなれていない分、映画監督と並んで憧れの存在ですね。どちらも、杉野さんのように、自分からなろうとしたら手に入るかも知れないのに……。
だから、杉野さんは勇気があるということが分かります。
まだまだ、自分は航海途中の身なので、わかったようなことは言えませんが、演じることは「祈り」に似ていると思うんです。人間の内面と外面、見えるものと見えないものの間にいて媒介する役目かなと。それを演じて多くの人に届けるみたいな。
「巫女」の様なものではないかと、よく言われますが、自分もそうかもしれないなと最近実感したりします。それを体現できているかは別として、観察・考察を積み重ねていくうちに、すべてを捨てて、残ったものが「祈り」の様なものではないかと。それを届けるのが仕事かなと、漠然と思っていますね。
── なるほど。神聖なものに通じてもいるような……。杉野さんが周囲によって作られていく「作りものの」女優さんではないことは確かですね。こんなに、次々、さまざまにチャレンジしていく杉野さんには、リスペクトしかないです。
そして、杉野さんとしては、自分以外の女優さんに演じさせて作る映画というものには、今後、トライされますか?
まさに、これからとりかかろうとしていますよ。女子大生が沢山出てきて、彼女たちの青春と葛藤を描きたいんです。和風ミュージカル仕立てで。私自身も常に、自己との葛藤ばかりですし。
── おお、次は明るい?! 作品! ミュージカル、良いですね。楽しみにしております。
(インタビューを終えて)
『愛のまなざしを』を改めて観て、自身が魅せられた万田監督の作品と比べるようなことはないが、自らのプロデュース、そして、女優として演じたこの作品が、唯一無二の映画作品となったことを、心に留めることが出来るという、杉野希妃さん。
映画づくりにおいて、また生きることにもさまざまな葛藤があることは当然だと思えるが、それを映画という形にして昇華しようとする強い力を感じさせた。
これから着手する予定の作品については、さぞかしにぎやかな現場となることだろう。それは、中学時代に志した、面白い仲間と一緒にクリエイトするという想いが、今もなお持続していて、映画で自分探しに分け入っていく、少女の持つ大きな好奇心が絶やされていないことの証しでもあろう。
そんな、杉野さんを応援したくなるのは当然のこと。とても嬉しいインタビューとなった。
『愛のまなざしを』
2021年11月12日(金)より全国公開
監督/万田邦敏
脚本/万田珠実、万田邦敏
プロデューサー/杉野希妃 飯田雅裕
出演/仲村トオル、杉野希妃、斎藤工、中村ゆり、藤原大祐ほか
配給/イオンエンターテイメント、朝日新聞社、和エンタテインメント
2020年/日本/日本語/102分/HD/カラー/Vista/5.1ch
英題/Love Mooning
(c)Love Mooning Film Partners
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