1961年にSCREEN誌にて連載された永 六輔氏の連載『ミュジカル探険』。“日本でミュージカルを作れるのか”をテーマにブロードウェイミュージカルについて綴る貴重な連載です。
『スクリーンアーカイブズ ミュージカル復刻号』にて同連載の第1回、第2回、第3回、最終回の4本を掲載しましたが、第4回、第5回は誌面の都合上割愛となってしまった為、WEB上にて未収録分と第1回を公開する運びとなりました!
永 六輔氏の情熱とユーモア溢れる連載をお楽しみください!

ミュジカル探険 第5回『ダンスを語る』

画像1: ミュジカル探険 第5回『ダンスを語る』
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永 六輔(えい ろくすけ)プロフィール

1933年(昭和8年)4月10日東京・浅草生まれ。ラジオへの投稿からはじまり、本放送開始前の実験放送からテレビに関わり、放送作家の先駆者として活躍。作詞家、ラジオタレントなど様々な顔を持つ。作曲家・中村八大と“六八コンビ”として作詞を手掛けた『黒い花びら』は第一回レコード大賞を受賞。NHKテレビ『夢であいましょう』のなかで歌われた『上を向いて歩こう』は世界中で大ヒット、1963年、アメリカのビルボード誌で日本初、アジア初の第一位を獲得した。ベストセラーとなった『大往生』(岩波新書)など著書多数。2016年7月7日没。

「日本人向けの、日本人のための”ミュジカル”を作りたい」という思いから生まれたのが『見上げてごらん夜の星を』(作曲/いずみたく)である。この作品は、時代に即した校訂を加えながら、現在まで上演され続けている。

『ウエスト・サイド物語』公開時に『ニューヨーク愚連隊』をいう邦題を提案したものの却下されたというエピソードも。また、オペラではないのに、台詞がすべて歌として歌われた『シェルブールの雨傘』が公開されたときには、”六八コンビ”としてめざしていたミュージカルを先取りされた悔しさと羨望から「(これを見たら)中村八大が自殺する…!」とコメントして驚かれたこともあった。

亡くなるまで、幕末から明治の日本を舞台にした音楽劇『ヤッパンマルス(日本マーチ)』の構想をあたため続けていた。これは、西洋音楽を取り入れようとした軍楽隊の物語になるはずだった。

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