90年代のハリウッド・アクションを支え、30年以上第一線を走り続けてきたブルース・ウィリス。突然の引退宣言に全世界が驚き、悲しみ、そしてその功績を称えた。長きにわたり映画界を盛り上げてくれた彼に最上級の感謝を込めて、“絶対にくたばらない男”の偉大なる足跡をたどります。(文・相馬学/デジタル編集・スクリーン編集部)

2022年3月、映画ファンを、いや世界中を悲しませた大ニュース―ブルース・ウィリス引退! 67歳はハリウッドでは、まだまだ老け込む年齢ではないが、それだけに公表された失語症の病状が気になるところ。回復を祈りつつ、そんなブルースのキャリアの歩みを改めて振り返ってみよう。

ブレークのきっかけはコメディードラマの探偵役!

「 こちらブルームーン探偵社」で共演したシビル・シェパード、アリス・ビーズリーと

オーディション回りを続けていた20代。無名のブルースが注目されたのは、1985年に始まったTVシリーズ「こちらブルームーン探偵社」の主演に抜擢されたことから。軽妙なトークも冴える私立探偵役で、コメディー演技を評価され、一躍全米の人気者となり歌手デビューも果たしてしまう。

シングル「リスペクト・ユアセルフ」はビルボードのヒットチャートでトップテン入りする大ヒット。この時点では映画の分野での可能性は未知数だったが、初主演作となったラブコメディー『ブラインド・デート』(1987)が、まずまずの成功を収める。

画像: ビリー・ジョエルの伴奏で歌うブルース・ウィリス

ビリー・ジョエルの伴奏で歌うブルース・ウィリス

ところが、次の『ダイ・ハード』(1988)は、まずまずどころでは済まなかった! 世界中で大ヒットしたのはもちろん、アクション映画としての質の高さも評価され、アカデミー賞では4部門にノミネート。何より、それまでのお笑いキャラとは異なる、ブルースの〝簡単にはくたばらない(=ダイ・ハード)〞アクション・スターとしてのイメージを決定づけてしまったのだ。ひとつ当たれば、続編が作られるのはハリウッドの常識。『ダイ・ハード2』(1990)も前作以上の成功を収め、日本でもブルースの知名度はグーンとアップする。

画像: 『ダイ・ハード』(1988)より

『ダイ・ハード』(1988)より

『ラスト・ボーイスカウト』(1991)では宣伝のために待望の初来日を果たすが、同行したブルースバンドと深夜まで演奏したあげく、翌日のおざなりな取材対応で、取材陣を怒らせるなど、ヤンチャが際立ったことも。それでもブルースはファンに愛され、この頃から日本のTVコマーシャルにも頻繁に出演するようになる。

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