PROFILE
エリック・ベナール Eric BESNARD
1964年3月15日生まれ。父は映画監督・俳優のジャック・ベナール。1999年に「Le sourire du clown」で長編映画監督デビュー。主にアクション、サスペンス、スリラー映画の脚本家としてキャリアを積み、代表作にヴィン・ディーゼル主演『バビロンA.D.』(08)、リュック・ベッソンと共同脚本の『ブラインドマン その調律は暗殺の調べ』(12)がある。映画監督としても、ジャン・レノとジャン・デュジャルダン共演の『ライヤーゲーム』(08/未)以来コンスタントに作品を重ね、今作が長編第7作、初の時代劇となる。
"私が行きついたのは「静物画を描くように画面を構成する」という答えでした"
ー世界を襲ったコロナ感染やウクライナ危機など、これまで体験したことのない出来事が起こっています。そんな時代に、この作品が公開されることをどう思われますか。
「日本での公開がこのタイミングになったのはコロナの影響ですが、この映画自体はコロナ禍以前に作っていたので直接の関係はありません。あえてこの質問に答えるとすれば、この映画が現代のコロナ禍や環境の危機、戦争といった現代に何を思い起こさせてくれるかというと、私たちがこれまでに得たと思っていたものは、実は簡単に得られるものではなく、すぐに崩れてしまうといった事実です。作中で描かれるフランス革命、民主主義、平等といったいろいろなものから思い起こさせると思います。
コロナ禍が始まって以降、人々はあっという間に自己中心的になり、生き残るための競争が激しくなり、これまで得てきた他者を大切にする心などが崩れていきました。人々が教育を受けたことで、何でも手に入り、合理的に物事を考えられるようになり、料理などの文化に誰もが通ずることができると信じられていましたが、それらは簡単に失われてしまうということがこの危機で分かったと思います。自己中心的になり、生き残るために競争が激化し、他者を大切にすることが損なわれました。
そんな中でこの映画を観ることは、教育や文化の大切さを思い起こさせると思います。他人のために何かを作り、喜ばせることができるといった人間の可能性、料理で喜びや感動、心地よさを料理で表すことができ、価値観を示すことができると思います」
ーこの映画はフランスのアイデンティティを作るものに焦点を当てたいという思いからアイデアが生まれたそうですが、そういった作品を作ろうと思った理由やきっかけをお教えください。特に、失意のマンスロンが料理することの喜びを再発見し、料理人としての誇りを取り戻す姿が、観客に勇気を与えるのでは無いかと思います。
「この作品は監督7作品目で、以降も並行してほかの方の作品の脚本も作りながら、自分の作品を作っています。過去の6作品のうち3作はジャンル映画で、私自身が映画好きであることにオマージュを送るような作品でした。ほかの3作は私にとって重要な、母・父・パートナーにそれぞれ捧げています。
これらの作品を撮り、次に何を撮ろうかと考えたとき、私はフランスの監督なのだからフランスについて考えようと思い、様々なことを調べるようになりました。フランスのアイデンティティとは何かや、何が国のモデルになっているのかといったことです。それが一番良いということではなく、価値観やアイデンティティが失われている時代にもう一度問い直そうと考えたのです。アメリカ人であれば西部劇、日本人であれば明治や大正にかけての時代を描いたかもしれませんが、私にとってはこの作品になりました」
ー世界初のレストラン誕生の秘密を、フランス革命に重ねて表現する。初の時代劇に挑戦され、特に苦労された点と合わせて教えてください。
「時代劇はいくつかシナリオでは描いてきましたが、監督作品としては初めてとなります。この経験は贈り物のようなもので、日常生活から完全に抜け出て西部劇を描くようなイメージです。アメリカでは西部劇をやっていた時代で、ろうそくの光で撮影したり、当時の服を使ったり、社会的な会話を当時の内容に即したものにしたりといったものですね。
時代劇を撮るのにはとても時間がかかります。そのためいろいろなことを節約して撮影しなければいけませんでした。同時に、内容は現代の今に通じ、語りかけるものも持っていなければなりません、ただ民俗学的な映画を撮っているわけではないですから。予算も限られており、車が見えてしまったり、アンテナが見えてしまったりするので、ただカメラを置いて撮影するというわけにはいきません。私が行きついたのは「静物画を描くように画面を構成する」という答えでした。動きや服、与える光によって人物の変化を表していく撮り方になりました。私が求めていたのは絵画のようなグラフィックな作品だったので、実際にそのようにできて魔法のような経験でした。
また、予算が限られているので、たとえば馬車を使ったシーンなどは2日間ですべて撮影しなければならず、いろいろと工夫が必要でした。馬車にこんなにお金がかかるのを初めて知りましたが、西部劇では30台くらい連ねたりしているのですごいなと思いました(笑)」