1996年4月号
「ブラピ黄金時代」の始まりを告げる号に
ブラッド・ピットが初めて本誌表紙を飾ったのは1996年4月号。この年の1月に『セブン』が日本公開され、『12モンキーズ』ではアカデミー賞助演男優賞の初候補になるなど、彼の名前が世界中に轟いていた頃だった。同年のSCREEN読者人気投票でも初の一位を獲得。ここから90年代後半の「ブラピ黄金時代」の始まりを告げる号に。
1996年11月号
“当たり年”だった96年に二度目の表紙
『セブン』に続いて『12モンキーズ』が6月日本公開、『スリーパーズ』が10月全米公開と当たり年だった96年に二度目の表紙。翌号にはインタビューが掲載され、「『12モンキーズ』は僕が選ばれないような役だからこそ絶対演じたかった」と振り返った。急速にスターになったことで「どう振舞えばいいのかわからなくなる」と戸惑いも語っていた。
1997年2月号
創刊50周年を記念した“顔”に
本号はSCREEN創刊50周年を記念したリニューアル号。タイトルロゴがカタカナの「スクリーン」から創刊当初の英文「SCREEN」に変更された。この記念すべき号の表紙を飾ったのは、当時を象徴するトップスターだったことの表れ。誌面ではこの年末公開の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』ロケがアルゼンチンで始まったことをレポート。
1997年6月号
『デビル』&『スリーパーズ』公開の頃
『デビル』と『スリーパーズ』の日本公開(どちらも1997年4月公開)にあわせてこの年二度目の表紙に登場。誌面では『デビル』共演者のハリソン・フォードとWインタビューが掲載された。当時フォードとの確執も報じられたが、本人は「彼と共演できるだけでもこの映画に出る価値はあった。彼の知性、生き方を深く尊敬している」と賛美した。
1997年10月号
『ジョー・ブラックをよろしく』ロケを紹介
1997年の一年間で3度目の表紙に。いかに当時の人気が高かったかを物語る。表紙には「ブラッド・ピットの新作ロケ開始!」という文字が躍っているが、この“新作”とは翌年末に公開される『ジョー・ブラックをよろしく』のことだった。この頃は恋人グウィネス・パルトロウとの婚約解消もあり、世界中が彼の一挙手一投足に注目していた。
1998年2月号
待望の初来日を記念して表紙に登場
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の日本公開(1997年12月)にあわせて待望の初来日が実現。来日特集が組まれた2月号の表紙を飾った。来日インタビューでは「僕は俳優という仕事を愛していて、どんなことがあっても続けたいと願っている」と熱い思いを告白。「スーパーヒーローよりも欠陥のある男の葛藤や成長を演じたい」と信念を語った。
1998年11月号
ビッグカップル誕生に世間が沸く
当時、時計メーカー「タグ・ホイヤー」新製品のイメージ・キャラクターに選ばれたブラッド・ピットを表紙と誌面で大きくフィーチャー。一年ぶりの新作となる恋愛映画『ジョー・ブラックをよろしく』(日本公開は1998年12月)への期待が高まっている時期だった。ジェニファー・アニストンとのビッグカップル誕生が話題になったのもこの頃。
1999年2月号
3年連続で2月号(年末号)の表紙に
『ジョー・ブラックをよろしく』を引っ提げて二度目の来日を果たした後、3年連続2月号の表紙に。『タイタニック』公開から1年、レオナルド・ディカプリオ人気が沸騰していた頃で、インタビューでは「(レオに)ヤキモチなんて感じないよ。若い俳優の出現は刺激と励ましのエネルギーをくれる」と発言。二人が初共演するのはこの20年後のこと。
1999年7月号
“奇跡の世代”の3人を特集
『マトリックス』の世界的ブームが巻き起こり、キアヌ・リーヴス人気が再燃していたこの号では、ピットとキアヌ、そしてニコラス・ケイジを加えた三大スターを特集。この3人の共通点は、ほぼ同い年であるということ(ピットは1963年、キアヌとニコラスは1964年生まれ)。60歳を前に今も三人ともが第一線で活躍し続けているという“奇跡の世代”だ。