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名作・大ヒット作・話題作を贈り出してきた夢のハリウッド工房
ワーナー・ブラザース100周年
1923年4月4日に創立してから100年。数え切れない名作映画や多くのファンに愛されたTVシリーズ、キャラクターを生み出してきた老舗スタジオ=ワーナー・ブラザース。アカデミー賞を受賞した往年の『カサブランカ』(1942)から、世界的大ヒットとなった『スーパーマン』(1978)『バットマン』(1989)、一世を風靡した「ハリー・ポッター」シリーズまで、時代ごとに代表作を生み出した夢のスタジオの100年を振り返るとともに、次の100年に向けて動き出した記念プロジェクトについてもご紹介。これからもハリウッドからファンをわくわくさせてくれるようなドラマが飛び出してくること間違いなしです。
今年、設立から100周年を迎えるワーナー・ブラザースは、ポーランド出身で自動車セールスマンだったハリー・ワーナーが、映画館の経営を経て、兄弟のアルバート、サム、ジャックと共に1923年に設立した。ここでは、同社が生み出した作品、所属俳優、監督などを通して100年の歴史を振り返ってみたい。
1920年代
トーキー映画第一号を製作し大当たり
設立当初は、他の映画会社に後れを取ったが、第1次世界大戦後に、ある兵隊がフランスから連れ帰った一匹のシェパードを主人公にした「名犬リン・チン・チン」シリーズが飛躍のきっかけとなった。シリーズの脚本を担当したのは後に製作部長として辣腕をふるうダリル・F・ザナックだった。
その後、レコード式トーキーのバイタフォンの開発に伴い、トーキー映画の第1作としてブロードウェイのスター、アル・ジョルスン主演の『ジャズ・シンガー』(1927)を製作。ジョルスンの歌をたっぷりと聞かせたこの映画の大ヒットによって、ワーナーは一躍メジャー映画会社の一角へと躍り出る。
1930年代
ギャング映画とルーニー・テューンズ
禁酒法や大恐慌下の1930年代は、製作部長となったザナックとハル・B・ウォリスの下、暗い世相を反映させたギャング物や、告発、暴露物を量産した。
そんな中、同社所属の看板俳優として君臨したのが、『犯罪王リコ』(1931)、『夜の大統領』(1931)などに主演したエドワード・G・ロビンソンと『民衆の敵』(1931)、『汚れた顔の天使』(1938)などに主演したジェームズ・キャグニーだった。
また、ミュージカル映画『四十二番街』(1933)では、振付師のバスビー・バークレーによる、大掛かりなレビューシーンが話題となった。
一方、『青春の抗議』(1935)と『黒蘭の女』(1938)で、2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いたベティ・デイヴィス、『科学者の道』(1936)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したポール・ムニといった演技派も台頭した。
その他、バッグス・バニー、ダフィー・ダック、トゥイーティーなどが活躍する「ルーニー・テューンズ」と呼ばれるアニメシリーズが誕生したのもこの時代のことだった。
1940年代
ボギーの『カサブランカ』がアカデミー賞受賞
1930年代後半から1940年代は、エロール・フリンが、『海賊ブラッド』(1935)、『ロビンフッドの冒険』(1938)、『シー・ホーク』(1940)、『壮烈第七騎兵隊』(1941)など、剣戟、冒険、西部劇といった多彩なジャンルで大活躍を見せた。
一方、長い間不遇だったボギーことハンフリー・ボガートが、ハードボイルドを売り物にして台頭。ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(1941)、『黄金』(1948)、『キー・ラーゴ』(1948)、ハワード・ホークス監督の『脱出』(1944)、『三つ数えろ』(1946)といった作品に主演した。
中でも、イングリッド・バーグマンと共演し、アカデミー賞の作品賞を獲得したマイケル・カーティス監督の『カサブランカ』(1942)は、戦時下を背景にした不朽の名作となり、ハードボイルド=ボギーのイメージを決定づけた。
また、十八番のギャング映画ではなく、ミュージカル『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(1942)でキャグニーがアカデミー賞主演男優賞を受賞したが、『白熱』(1949)での鬼気迫るギャング役も忘れ難い。
1950年代
伝説となったジェームズ・ディーンの3作
1950年代に入ると、アクターズスタジオの出身者が目立つようになる。マーロン・ブランドは、エリア・カザン監督の『欲望という名の電車』(1951)、日本を舞台にした『サヨナラ』(1957)に主演。ポール・ニューマンも異色西部劇『左きゝの拳銃』(1958)に主演したが、この時期、最も精彩を放ったのは、『エデンの東』(1955)、『理由なき反抗』(1955)、『ジャイアンツ』(1956)という、3本の名作映画を遺して24歳の若さで早世し、伝説となったジェームズ・ディーンだろう。
それらとは対照的に、ジョン・フォード監督の『捜索者』(1956)とホークス監督の『リオ・ブラボー』(1959)という、ジョン・ウェイン主演のオーソドックスな西部劇が製作されたことも印象に残る
異色なところでは、ホラー『肉の蝋人形』(1953)、西部劇『ホンドー』(1953)、グレース・ケリー主演でアルフレッド・ヒッチコックが監督した『ダイヤルMを廻せ!』(1954)が3Dで製作されたのも、この時代の出来事だった。
1960年代
ニューシネマの先駆け『俺たちに明日はない』
1960年代は、テレビの台頭もあって低迷し、会社自体も売却、併合などを繰り返した。そんな時代を象徴するかのように、ベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォードというかつての2大女優が姉妹を演じたホラー『何がジェーンに起ったか』(1962)や、エリザベス・テイラーがアカデミー賞主演女優賞を受賞した『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)など、〝暗い映画〞が目立ったが、それらとは対照的に、スターの個性を生かした、オードリー・ヘプバーン主演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』(1964)と一時的な引退作となった『暗くなるまで待って』(1967)、ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967)、スティーヴ・マックィーン主演の『ブリット』(1968)なども製作された。
また、アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』(1967)は、ニューシネマの嚆矢となった。そして1960年代を締めくくったのは、バイオレンスたっぷりに、西部の黄昏を描いたサム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』(1969)だった。
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント