カバー画像:Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images)Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images
俳優&女優
エドワード・G・ロビンソン
個性的なマスクで中年になってから主演した『犯罪王リコ』(1931)『夜の大統領』(1931)『キー・ラーゴ』(1948)などのワーナーの1930~1940年代のヒット作に主演。ギャング映画や犯罪ものに欠かせないスターになった。
ジェームズ・キャグニー
『民衆の敵』(1931)『汚れた顔の天使』(1938)『白熱』(1949)といった古典的クライム映画のヒット作でワーナーの顔となった大スター。『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(1942)でアカデミー賞主演賞を受賞している。
ハンフリー・ボガート
40歳を過ぎてから『マルタの鷹』(1941)『カサブランカ』(1942)『脱出』(1944)などの大ヒット作をワーナーから連発したトップスター。いわゆるハードボイルド・タイプの代表的な男優として今も人気が高い。
ジェームズ・ディーン
1950年代新しいタイプの青春スターとして『エデンの東』(1955)『理由なき反抗』(1955)『ジャイアンツ』(1956)の3作に連続主演し話題騒然。ところが自動車事故で24歳の若さで急逝。しかしその死後も人気が衰えなかった稀有の人。
ベティ・デイヴィス
別会社からワーナーに移って開花。『痴人の愛』(1934)で人気爆発。『青春の抗議』(1935)『黒蘭の女』(1938)の2作でオスカー主演女優賞受賞。ワーナー家の5番目の兄弟とも呼ばれ、激しい性格でも有名だった。
ジョーン・クロフォード
1940年代にワーナーに移籍し『ミルドレッド・ピアース』(1945)でオスカー主演賞を獲得。1960年代にライバル、ベティ・デイヴィスとスリラー『何がジェーンに起ったか』(1962)で共演し大ヒットとなった。
ウォーレン・ビーティ
『草原の輝き』(1961)で華々しく主演デビュー。続く『ローマの哀愁』(1961)もワーナー作品だが、彼の名を一躍高めたのもワーナーの『俺たちは明日はない』(1967)で、以後ハリウッドを代表する大スター&監督に。
ブルース・リー
米国生活から香港に戻りトップ・アクションスターとなったブルースが、世界にはばたくきっかけとなったのがワーナー製作のハリウッド復帰作『燃えよドラゴン』(1973)。だが公開直前に彼は帰らぬ人となっていた。
クリント・イーストウッド
1971年の『ダーティハリー』が大ヒットしてシリーズ化。ワーナーの顔となり監督作もほとんどがワーナーとのコラボ。自らの製作会社マルパソもワーナーの敷地内にあるほど、現在もワーナーとの信頼関係が厚い。
メル・ギブソン
オーストラリアの新人スターだったメルが低予算の『マッドマックス』(1979)で世界進出。シリーズ化され大スターに。その後もう一つの代表作『リーサル・ウェポン』(1987)シリーズもワーナーから生まれた大ヒット作だった。
ダニエル・ラドクリフ、 エマ・ワトソン、 ルパート・グリント
世界中で大ブームを起こした「ハリー・ポッター」シリーズの人気トリオは子供時代から10年間にわたってワーナーが育んだ人気者。シリーズ終了後それぞれの道を歩んでいるが、今もワーナー特番で再結集するなど結束力は強い。
監督
スタンリー・キューブリック
寡作の天才監督は、『時計じかけのオレンジ』(1971)以降、『バリー・リンドン』(1975)『シャイニング』(1980)『フルメタル・ジャケット』(1987)『アイズワイドシャット』(1999)と、1970年代から遺作まですべての作品がワーナーとのコラボ。
リチャード・ドナー
『スーパーマン』(1980)で大成功を収めた元俳優のドナー監督は、1980~1990年代の『グーニーズ』(1985)や「リーサル・ウェポン」シリーズ、『マーヴェリック』(1986)など代表作がほぼワーナー作品という相性の良さを誇る。
ティム・バートン
長編第1作『ピーウィーの大冒険』(1985)から大ブレイクに繋がる『ビートルジュース』(1988)「バットマン」シリーズと彼のキャリア初期を育んだのはワーナー作品。後に『チャーリーとチョコレート工場』(2005)も。
クリストファー・ノーラン
『ダークナイト』3部作で大成功を収め、ワーナーの信頼を得たことから『インセプション』(2010)『インターステラー』(2014)『ダンケルク』(2017)『TENET テネット』(2020)とコラボし、次々と独創的な大作をヒットに導いた。