誰もが耳を疑った衝撃の死から20年、人気絶頂の中、急死した伝説のスター、レスリー・チャンの魅力が、いま再び話題を呼んでいます。特に代表作ともいわれる名作『さらば、わが愛/覇王別姫』が製作30年を記念して4Kで再公開が決定。レスリーの迫真の演技に心を奪われるこの夏、不死鳥のような彼の足跡を今一度振り返ってみましょう。(文・望月美寿/デジタル編集・スクリーン編集部)
カバー画像:Photo by David Lefranc / Didier Baverel/Kipa/Sygma via Getty Images

亡くなった後も大きな影響力を持ち続ける特別な存在

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今年は香港が生んだ伝説の大スター、レスリー・チャンが亡くなって20年にあたる。2003年4月1日、香港の高級ホテルから飛び降り、46歳の生涯を閉じたレスリー。当時の香港はアジア通貨危機の影響による不景気とSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大の真っただ中。

一報を聞いた誰もが最初はエイプリルフールのたちの悪い冗談だと思った。しかしそれが本当だとわかると世界中に衝撃が走った。

亡くなる1年ほど前から鬱病を患っていたレスリー。恋人である同性パートナーとの葛藤、コンサートの酷評、出演したオカルト映画の役に入り込みすぎたため、など数々の理由が取りざたされたが、いずれも推測の域を出ないものだった。

今年の4月1日、献花台が置かれたマンダリン・オリエンタルホテル香港には、国や年齢を超えた多くのファンが追悼に訪れた。いたるところで様々な追悼企画が開催され、レスリーが人々にどれだけ愛されているかが証明された。

画像: 『欲望の翼』 ©1990 East Asia Films Distribution Limited and eSun.com Limited. All Rights Reserved.

『欲望の翼』

©1990 East Asia Films Distribution Limited and eSun.com Limited. All Rights Reserved.

そしてレスリーのすごいところは、亡くなったあとでファンになった若い世代が急増している点。2022年にはBTSのメンバーのVがインスタグラムに映画『欲望の翼』(1990)でマンボを踊るレスリーの有名な映像を投稿。これが大きな話題を呼んだ。

また、韓国映画『チャンシルさんには福が多いね』(2019)には、レスリーの幽霊が登場する。演じたのはコロナ禍で大ブレイクしたドラマ「愛の不時着」で耳野郎に扮して注目されたキム・ヨンミン。

ほかにもレスリーが時代のアイコンとして登場する映画は『29歳問題』(2016)『君の心に刻んだ名前』(2020)など数多くある。没後20年たって人気が衰えるどころか、若いファンを集めているのだ。

俳優として大きく成長、歌手としてもプロデュースの才能を発揮

そんなレスリー・チャンとはどんな人だったのだろう。生まれたのは1956年9月12日。今も生きていれば66歳。

父はハリウッドスターを顧客に持つ有名なテーラー。レスリーは10人兄弟の末っ子だったが母親が事業に忙しかったため、祖母の家で乳母に育てられた。幼少期に実母から十分な愛を受けられなかった寂しさは生涯レスリーに付きまとったといわれている。

13歳で英国に留学。リーズ大学でテキスタイルを専攻するが父が病で倒れたのを機に帰国。数々の職をへて1976年、TV局主催の歌謡コンテストに出演、翌年歌手デビュー。

しばらくは売れない時代が続いたが1985年に吉川晃司のヒット曲「モニカ」のカバー曲が大ヒット。一躍トップアイドルになった。

画像: 『男たちの挽歌』 ©2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

『男たちの挽歌』

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当時の香港スターは俳優と歌手の二足の草鞋を履くことが普通だったため映画にも進出。1986年、日本に香港ノワールブームを巻き起こした『男たちの挽歌』(1986)で主人公の弟の警察官を演じ、甘いマスクでファンの心を掴んだ。

その後スタンリー・クワン監督の『ルージュ』(1987)、時代劇『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987)など話題作、大ヒット作に次々と出演。

画像: 『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』 ©2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』

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1990年にはウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』に主演。マギー・チャン、アンディ・ラウ、トニー・レオンらが豪華共演したこの青春偶像劇でけだるい魅力を放つ青年ヨディを演じ、香港のアカデミー賞といわれる香港電影金像奬の主演男優賞を受賞。

ピーター・チャン監督の『君さえいれば/金枝玉葉』(1994)、ウォン・カーウァイ監督の武侠映画『楽園の瑕』(1994)『夢翔る人/色情男女』(1996)と作品を重ね『もういちど逢いたくて/星月童話』(1999)では常盤貴子との共演も話題を呼んだ。

香港映画がもっとも勢いがあった時代、多いときは年間6本の映画に出ていたレスリー。なかでも印象深いのは1997年に再びウォン・カーウァイ監督と組んだ『ブエノスアイレス』。

トニー・レオンとゲイカップルを演じたこの作品は日本の単館上映の記録を作る大ヒットとなり、LGBTQ映画の名作として現在も語り継がれている。

画像: 『ブエノスアイレス』 ©1997 BLOCK 2 PICTURES INC. ©2019 JET TONE CONTENTS INC. ALL RIGHTS RESERVED

『ブエノスアイレス』

©1997 BLOCK 2 PICTURES INC. ©2019 JET TONE CONTENTS INC. ALL RIGHTS RESERVED

歌手としても活躍したレスリーは、作曲もし音楽プロデューサーの才能もあった。1985年には東京音楽祭に香港代表として初来日。1989年9月に突然歌手引退宣言をして驚かせたがアルバム「寵愛」で復活。

最後になった2000年のコンサートツアーではジャン=ポール・ゴルチエがデザインした前衛的でアグレッシブなファッションが大注目を浴びた。

レスリーのステージといえば伝説の赤いハイヒールを思い出す。衝撃的であり、カリスマ性と繊細さと豪快さを併せ持つ、まさに時代の先駆者だった

同世代のチョウ・ユンファ、アンディ・ラウ、トニー・レオンら、当時の香港スターの多くが貧しい子ども時代をへてのし上がっていった中、裕福な家に生れたが愛情への欠乏感を抱えて育ったレスリーは独特の神秘的な雰囲気をまとっていた。

妖艶かつ儚く、純粋でセクシーで芸術的。作品の中で同性愛者を演じる機会が多いことから両性具有的な魅惑も加味されて、一度その虜になった者はもう抜け出せない。今でいうところの沼る、という表現がぴったりだった。

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