最重要ナチス戦犯のアドルフ・アイヒマン処刑までの最期の日々を、史実を基に描いたヒューマンドラマ『6月0日 アイヒマンが処刑された日』が9月8日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開。アイヒマンの最期を描く本作に、アイヒマンがほとんど出てこない理由とは?
画像: 『6月0日 アイヒマンが処刑された日』予告(60秒) www.youtube.com

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』予告(60秒)

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第二次世界大戦時、ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人の大量虐殺に関わったアドルフ・アイヒマンは、終戦後逃亡しブエノスアイレスに潜伏していた。しかしイスラエル諜報特務庁により、1960年に捕らえられ、61年12月に有罪が確定。

全ての訴状で有罪となったアイヒマンの処刑は、イスラエルの《死刑を行使する唯一の時間》の定めに基づき、1962年5月31日から6月1日の日が変わる真夜中に執行された。処刑後アイヒマンの遺体を焼却するため、秘密裏に焼却炉の建設が進められる。宗教的・文化的にも火葬を行なわないイスラエルで、この《世界史の大きな節目》に深く関わることとなった焼却炉を作る工場の人々、そこで働く13歳の少年、アイヒマンの刑務官、ホロコーストの生存者である警察官、市井に生きる人々を通して、これまで描かれることのなかったアイヒマン最期の舞台裏がドラマチックに描かれる。

本作で監督・脚本を務めたのはグウィネス・パルトロウの弟のジェイク・パルトロウ。イスラエルとウクライナで撮影された今作は、監督の強いこだわりにより、スーパー16mmフィルムで撮影された。

7月には「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」、8月には「アウシュヴィッツの生還者」が公開されて話題になるなど、戦後80年近くたった今も多くのヒトラーやホロコーストを題材にしたナチス映画が公開されている。ユダヤ人大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンについては、「ハンナ・アーレント」「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」「アイヒマン・ショー/歴史を写した男たち」「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」など多くの作品があり、犯した残虐な行為や、逃亡劇、裁判の様子などが映画で描かれてきた。そんな中で今週公開される『6月0日 アイヒマンが処刑された日』は、これまで描かれることのなかったアイヒマンの最期を知ることができる初めての作品となっている。死刑の無いイスラエルで特例として処刑され火葬されたアイヒマン。国家が秘密裏に行った現代史を揺るがすこの一連の歴史的事実は、イスラエルが長年表に出さず、また当事者たちも長らく口をつぐんでいた。ジェイク・パルトロウ監督は、その歴史的事実をリサーチやインタビューで掘り起こしドラマチックな物語としてスクリーンに焼き付けた。

そんな本作を「ナチス映画論」の著者でドイツ研究の渋谷哲也教授は「新しいタイプの作品」と評した。その大きな理由の一つとして、本作ではアイヒマンの顔は映らず、その姿も少ししか出てこない。最重要ナチス戦犯アイヒマンの処刑後を描く作品でありながら、本作ではアイヒマンがほとんど映らないのである。監督も「アイヒマンの登場は避けるべきだと確信していました。本作では周辺人物の体験を通して物語を語っています。つまり、アイヒマンの人物像は見る人の想像や解釈に委ねるものであって、理解してもらうものではないのです。」と語っている。

処刑後に火葬されるアイヒマンの最期に関わることになった、焼却炉を作る工場で働く少年、アイヒマンの刑務官、ホロコーストからの生存者という、市井の人々の心情を一つ一つ丁寧に描くことに重きが置かれている。それでもアイヒマンが最期どうなったか、という歴史的事実はしっかりと伝わってくる稀有な作品となっている。

そんな本作を一足先に観たジャーナリストの田原総一朗氏などの著名人や識者の方々からのコメントも紹介。

以下コメント(順不同)

死刑制度のないイスラエルにおいて超法規的に行われたアイヒマン処刑後の措置の問題を映画の中心に捉えたことは極めて実験的だ。
『ハンナ・アーレント』『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』『アイヒマンを追え!』といった映画も実験的な試みの映画であったが、これまでの作品以上に衝撃的だと思う。 
臼杵陽(日本女子大学 教授)

アイヒマン裁判に関与した周辺人物に注目することで、
驚くほど錯綜した歴史と真実の関係が明らかになる。
イスラエルとユダヤ人の多様性をもっと掘り下げて考えたい。
渋谷哲也 (日本大学文理学部教授/ドイツ映画研究)

アイヒマンの処刑はあれだけのユダヤ人を殺害したのだから当然と言える。
それにしてもヒットラーのナチスが何故ここまで圧倒的な支持を得る事になったのか。
世論の作られ方の怖さをつくづく感じる。
田原総一朗(ジャーナリスト)

本作の真の主人公は「イスラエル」自体なのかも。
様々な社会的不公正を活用しながら歴史的裁判を「公正に」終わらせるべしという重圧の凄さ。
その前提でこの群像劇を再読(そう、読むのだ)すると、視え方が変わる。
マライ・メントライン(翻訳・通訳・エッセイスト)

大量虐殺に関わったひとりの人間を、処刑し遺体を火葬するために奔走するイスラエルの人々もまたひとりひとりの人間なのだというあたりまえに、目を見ひらかされる。
「歴史的」な瞬間のまわりには、ときにスラップスティックのようでさえある複雑な現実が、存在しているのかもしれない。
小林エリカ(作家・マンガ家)

なぜ、人は記憶を語ろうとするのか(あるいは、語ろうとしないのか)?
なぜ、人はその語りに耳を傾けるのか(あるいは、耳を閉ざすのか)?
木村草太(憲法学者)

辛い記憶は忘れたほうがいいと思っていた。かつての戦争の敵を「消す」ために奔走する人々。
でも、煙となっても記憶は残る。
忘れないことは生きてきたことの肯定であり、私たちを支えているのだ。
今日マチ子(漫画家)

巨悪の政治家ではなく、有能な官僚だった殺人鬼アイヒマン。
それゆえにホロコーストの厄介な落し子となった彼の不気味な影を描くこの映画は、イスラエルだけではなく、戦後世界全体が抱える問題をあぶり出す――私たちもアイヒマンではないのか?
高橋秀寿(歴史社会学者)
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さまざまなナチスを題材にした映画が公開され、アイヒマンに関しても多くの映画が作られてきたが、本作は初めて彼が捕まってから処刑されるまでを丹念に映し出し、処刑後どうなったか、その歴史的瞬間が市井に生きる人々を通してドラマチックに描かれる。この「新しいタイプの作品」を大きなスクリーンで確かめてみよう。

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』
9月8日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
配給:東京テアトル
© THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP

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