英国の映画人をめぐるコラム「英国の名コラボ」が「英国・映画人File」となって新装オープン。監督、俳優、製作者、ミュージシャン等、英国の人々をご紹介。関係者への取材や現地レポートもまじえながら、新旧の映画人の仕事やキャリアをファイルします。

『ヒッチコックの映画術』製作をめぐって

ヒッチコックのドキュメンタリー

File1に登場するのは英国出身の“サスペンス映画の神様”アルフレッド・ヒッチコック監督。

1930年代に英国からアメリカに渡ってヒットメイカーとなり、『裏窓』(1954)、『サイコ』(1960)など、実験的な要素も秘めた数々の名作を送り出し、多くの映画人に大きな影響を与えてきた。『ヒッチコックの映画術』はそんな巨匠を21世紀の視点で見つめた異色ドキュメンタリー。

監督・脚本はスコットランド在住の気鋭のドキュメンタリー作家&映画評論家のマーク・カズンズ。 

マークが2004年に出版した“The Story of Film”(Pavilion)は世界の映画史をグル―バルな視点で再検証した画期的な本。彼自身が監督した映像化『ストーリー・オブ・フィルム』(2011)は930分の大作で、日本でも3つのボックスセット(DVD・全15枚)。斬新な構成力とゲストの多彩さで見る人を圧倒する。

その続編『ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行』は日本の劇場でも公開された。

ヒッチコック本人が語りかける

ひとひねりした視点で映画史を見ようとするマークが、今回はヒッチコック映画に切り込んだ。8月に来日した彼が今回のドキュメンタリーの製作秘話と英国映画の魅力について語ってくれた。

「すでにヒッチコックに関する映画はいろいろ作られているから、最初は彼の映画を撮る気はなかった。ただ、パンデミックの時に製作者から話がやってきて、これまでと違う革新的な手法で作れば成立すると思った。そこで彼が幽霊みたいに死からよみがえり、21世紀を生きる私たちに話しかけてきたらおもしろいと思った」

マークは今回の映画の始まりをそう振り返る。

巨匠の声になりきる最高の男優で

完成した映画では、写真を使ってヒッチコック自身をよみがえらせ、彼自身が映画全体をナビゲイトする、というスタイルがとられた。

ヒッチコックを声だけで演じられる男優を探したくて、友人の俳優&演出家のサイモン・キャロウ(『フォー・ウェディング』)に助言を求めたら、アリステア・マクゴーワンは“最高の耳”を持っている、と言われた。

「彼に電話をかけても、最初は返答がなかった。ところが、ある日、電話がかかってきて、聞こえてきたのは、まさにヒッチコックそのものの声だ。ヒッチコックの親族にも聞いてもらったが、本当に正確にヒッチコックの声を再現してくれた」

1980年に亡くなったヒッチコックが21世紀によみがえる

『ヒッチコックの映画術』© Hitchcock Ltd 2022

こうして1980年に亡くなった監督が携帯電話を持つ現代人に語りかけ、改めて彼が作った名作群の意図を問う。

マークはヒッチコック映画の中から「逃亡」「欲望」「孤独」「時間」「充実」「高さ」の6つのテーマをピックアップして、そのテーマにそって映画の場面を構成。複数のランチボックスにメモ書きを入れて、脚本がわりにした(その箱を持参していて、そこにはキーワードを走り書きした紙がたくさん入っていた)。また、多くのアイデアを書きつけた分厚いノートも見せてくれた。

英国で撮った初期の『快楽の園』(1925)から遺作の『ファミリー・プロット』(1976)まで次々にヒッチコック映画の名場面が登場。テーマ別に分けてあるので、内容がつかみやすい。

ヒッチコック映画のすごさ

初めて見たヒッチコック映画

監督のマークが初めて見たヒッチコック作品は『サイコ』。なんと、8歳の時にビデオで見たのだという。

「当時はベルファスト(アイルランド)に住んでいて、通りの外は紛争が起きていたから、家の中でビデオを見ていた。他のホラー映画も見たが、たまたま、『サイコ』に出会った。典型的なホラー映画の部分もあるが、他の作品とは何かが違う。この映画はアート作品でもあった。映画は主人公マリオンが感じる孤独の中に観客を引き込む。そして、彼女がいなくなった後、この映画は彼女の葬儀に思えてくる。それまでアート映画について考えたことはなく、初めての体験となった」

子供の頃、他のホラー作品とは異なる個性に気がついたマークは、やはり、ただ者ではない! 

今回のドキュメンタリーのキーワードには「孤独」も含まれているが、これは特にマークが今回の映画でこだわったテーマだったという。

パンデミック後の「孤独」

「有名人について映画を作る時は、同じことを繰り返すのではなく、新しい視点も必要だ。ヒッチコックの映画をパンデミック中に再見し、『サイコ』の場合はジャネットの孤独について考えた。パンデミックによって、多くの人は孤独と向き合い、さまざまな感情を多くの人が抱くようになった。つまり、今回の映画はパンデミック後のヒッチコック映画として作られているんだよ。今回の映画ではヒッチコック映画の中にある人間的な側面にも気づいてほしいと思った」

マークはジャネット・リーと一緒に『サイコ』を見たこともあるそうで、「それはもう、すごい体験だった!」と興奮した口調で振り返る。

「あのシャワーのシーンをスローモーションで一緒に見たんだよ」

この作品も含め、ヒッチコック映画をパンデミック後に再検証することで「孤独」のように新たな視点も発見できた。

マーク・カズンズ監督はアメリカのウェブで入手した『愛のコリーダ』のTシャツ姿で登場
(撮影・大森さわこ)無断転載禁止

彼自身が個人的に特に気に入っている作品は『サボタージュ』(1936)。「彼の初期の傑作ではないかと思う。政治的にすごく進歩的な視点があると思う。見るたびに泣けるのは『汚名』(1946)。イングリッド・バーグマンの後半のセリフを聞くと思わず涙が出てしまうんだ」

ヒッチコック映画の力

ヒッチコック映画の何がすごいのか? 今も多くの監督に影響を与え続ける巨匠の力に関して、マークはこう語る。

「彼は映画の奥深さをつかんでいた。多くの映画監督はテーマやキャラクターに興味があり、人物たちの会話だけを写している。でも、彼はイメージこそがカギだと考えた。だから、列車や人物の洋服など、形のあるものを映画で生かした。グレース・ケリーの演じる人物が美しく着飾り、シャンペンを飲んでいても、それはカオスからの一瞬の逃避でしかない。結局、彼女を取り囲む文明は崩れていく。ヒッチコック映画には華やかさと怖さが共存していて、すごく深みがある」

ヒッチコック映画には華やかさと怖さがある
『ヒッチコックの映画術』© Hitchcock Ltd 2022

1920年代から30年代にかけて英国で撮った映画とハリウッドで撮った1940年代以降の作品の違いについてはー。

「英国時代はこの国のミステリー小説などの伝統を踏まえて作られ、やや軽い印象だ。アメリカに行った後はフロイトの精神分析などの影響も受け、『めまい』(1958)のように夢や欲望をめぐるセオリーが展開することで、より複雑な内容になっている」

This article is a sponsored article by
''.