カバー画像:Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images
スペシャルコラム
“悪役の至宝”マッツ・ミケルセン
あぁ、なんて生き生きとマッツ・ミケルセンは悪役を演じるのだろうか。
役者にとって悪役を演ずることは善玉を演ずるよりも楽しい。特にハリウッド映画のようにモラル的な制約がある場合、制約に縛られる善玉よりも制約から解き放たれる、というか逆のことをバンバンできちゃう悪役の方がやりがいある。そして、悪役が目立てば目立つほど、そのおかげで善玉の活躍も際立たせることができるのだ。
と、言ってそんな素敵な悪役役者が、ハリウッドと言えどぞろぞろいるわけではない。そこでキャスティングディレクターは世界へと捜索の網を広げる。
と、話は変わって。昔、ヴァレリア・ゴリノのインタビューをした時彼女が言っていた「私はイタリアでは清純派だけれど、ハリウッドではイタリア人だというだけで情熱的でセクシーな女にされてしまう」。
歴史のない国アメリカでは、ヨーロッパやアジアといった歴史のある国の人に対して先入観を持ってキャスティングする傾向がある。
と、いうわけで、“北欧の至宝”マッツ・ミケルセンはハリウッド映画における“至宝の悪役”になったのだ。
ハリウッドを支える人気シリーズで数々の悪役を演じた快挙!
マッツ自身、正統派演劇にこだわる人ではないのでハリウッド映画に出ることも、悪役を演ずることも楽しんでやっている様子。
映画に出始めたころは気負いもあったけれど『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)の監督に「“フィルムが要求する役”を演じろ」とアドバイスされて開眼。「何でも来い」な役者になった。
なにせ、悪役を越えた伝説の怪物的悪役ハンニバル・レクター博士をシリーズで演じて、全米を魅了したんだから、凄い。さらにはハリウッドを支える人気シリーズ全部で悪役(SWはちょっと違うけど)をやるなんてのはギネスに登録してもいいと思う快挙。
それでいて今でも母国に帰ればインデペンデントの佳作にコツコツと出て、味のあるイケおじぶりに磨きをかける。この棲み分けを実にうまくこなしているのがマッツなのである。
今回の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023)の監督マンゴールドによると、マッツは脚本には書かれていないナチス御用学者フォラーのバックグラウンドや人物像を作りあげ、その延長にいる人間として、脚本に書かれた悪役フォラーを演じていたんだそうな。
それがマッツの悪役術で、だから、面白い。人間的厚み、そこにはいいところもダメなところもあり、物語的には“悪”なんだけれど、本人的には“正しい”と信ずる理由があるということを演技の間から感じさせてくれるんだね。そんな人間像を創ることをマッツは楽しんでいるのだ。
本人の中にあるヌケ感が世界中のファンを虜に
では、どんなところでそれを見せるかというと、本人の中にあるヌケ感というか、オトボケなところじゃないかと思う。いまや世界的イケおじ俳優であるマッツにはSNSのファンページや公式ページがある。
この間FBの公式ページに、ちょいとマリーンなスタイルをしてホテルの部屋でポーズしているプライベート写真が載っていたのだが、かっこいいマッツの後ろの方にクチャッと針金ハンガーが出しっぱなし。このヌケ感! 完璧にならないところが人間味を感じられるところ。
悪役を演ずるときはどこかダメな奴として演じたいってマッツは言っているんだけど、それって本人の“ヌケているところ”を生かしているのではないかな。
例えば『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の悪役フォラー。
1944年当時はナチスのお抱え学者で、ロケット開発とかしているけれど(もちろんモデルはフォン・ブラウン博士)そのかたわらでインディと同じように伝説的遺物の収集もしている。
自分は賢い、と思っていて冷徹冷酷で何にも動じないのかと思いきや、想定外のことが起こると結構アタフタするし、思い通りに行かないとかんしゃくも起こす。
インディもヒーロー然とした人じゃないので2人揃うとちょっと掛け合い漫才になりそうになる(直前で監督が止めたんだろうなぁ)。その片鱗はカンヌの記者会見での和気あいあいぶりに感じられた。二人とも、可愛かった、です。
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