『アレックス』『CLIMAX クライマックス』などセックスや暴力を題材にした作品で自らの世界を構築し、ファンを魅了してきたギャスパー・ノエ監督が、そうしたイメージを覆すような新作『VORTEX ヴォルテックス』を携え、久々に日本に戻ってきた。
 今回の『VORTEX ヴォルテックス』は、認知症を患う妻と心臓病を抱えた夫という2人暮らしの老夫妻の日常を捉えながら、人生最期の日々を描くという人間ドラマ。しかも主演には『サスペリア』などイタリアン・ホラーの帝王、ダリオ・アルジェント監督と、『ママと娼婦』で知られるベテラン女優フランソワーズ・ルブランという意外過ぎる組み合わせを迎え、この2人が徹底したリアリティーの中で破滅へと向かっていく夫妻を好演する。
 しかもノエは、たびたび自作の中で使用してきたスプリットスクリーンを、今回ほぼ全編で活用。2つの視点が同時進行し、夫婦の交わらない世界観を表現すると同時にドキュメンタリー的な視点も垣間見せ、観客がその世界に一緒にいるような不思議な現実感を味合わせてくれる。(取材・文:米崎明宏)

この映画では観客を思いっきり泣かせたやりたいと思ったんだ。
だから泣けなかったら失敗だね(笑)

ーー見終わった時に悲しみと同時に勇気ももらえるような複雑な感情を覚える作品ですが、なにかご自身の人生観が反映されているのでしょうか。

「私自身の祖母も母もアルツハイマーを患ったんだ。母は10年ほど前に亡くなったんだけど、年齢で言うと81~82歳の頃、症状が特にひどくて、父が面倒を見ようとしたんだけど暴力も振るうほどになり、治療のため麻薬も施すようになった。そうした実生活での経験から、こうした老いをテーマにした映画を作りたいと思うようになっていたんだ。人間にとって死とは避けられないもので、それでもつい抗ってしまうものだけど、結局はいろいろな形で迎えるもの。私にとって母の死は一種の解放のように思えたんだ。最期は僕の腕の中で眠るように逝ってしまったんだけど、彼女にとってそれはもしかしたらハッピーなことだったかもしれない。ちなみに父は90歳を超えてまだ元気。絵を描いたり、好きなことをして人生を謳歌しているよ」 

ーー悲しみをどのように捉えていますか。

「泣くという行為は健康にとっていいことだと思う。思いっきり泣いた後は気分がスカッとするものでしょう? この映画では観客を思いっきり泣かせたやりたいと思ったんだ。だから泣けなかったら失敗だね(笑)。私は母が亡くなった時、何度も泣いてしまったし、コロナの時期に大切な人を3人も失った。フィリップ・ナオン(『カノン』など監督の作品の常連俳優)、フェルナンド・E・ソラナス(『スール/その先は…愛』などのアルゼンチンの監督でノエが助監督を務めたことも)、フィアンセの父が半年の間に次々他界したんだけど泣きどおしだったね。この映画はコロナ禍で撮影していたんだけど、なるべく人員を抑えるためにキャストも老夫妻とその息子と孫くらいにして、ずっとマスクをしながら行ったので、いつもはもっとユーモアのある撮影現場なんだけど、今回はちょっと憂鬱な雰囲気だったかもしれない。こういうのは初めてだったよ」

ーー即興とは思えない演出ですが、どこまで脚本を書いていたんですか。

「最初に書いたシナリオは10ページくらいだった。『CLIMAX クライマックス』の時は7ページくらいだったかな。シークエンスごとにおおよその内容が書いてあるだけで、台詞はほとんどアドリブだ。前のシーンはこうだったけど、今度はどうやろうか?といった感じで撮影の進行に合わせて決めるんだ。ダリオ(アルジェント)は台詞を何度も練習するタイプの人ではないので、3テイク撮るのが限界。ほぼ1~2テイクで撮っていった。というやり方で、少ないテイクで撮影する方法を学ぶことができたよ(笑)。ダリオが電話をかけているシーンの長台詞は、隣の部屋にいる人物と映画論を話し合っている30分のうち数分をそのまま使わせてもらったりね」

画像: (左から)フランソワーズ・ルブラン、ダリオ・アルジェント

(左から)フランソワーズ・ルブラン、ダリオ・アルジェント

ーーそのアルジェント監督とフランソワーズ・ルブランという組み合わせが意外です。

「フランソワーズは以前『ママと娼婦』を見た時から、ずっといつか一緒に仕事がしたいと思っていたんだ。今回の役がぴったりだと思って、すぐに連絡したんだけど、頭も良くて素晴らしい人だ。「誰が夫役になるかわかってから決めたい」ということだった。ダリオは20年ぶりに映画祭で再会してから友情を温めていて、この夫の役には俳優よりも、フレンドリーな人物が良いと思っていたので、彼に声をかけてみたんだ。ダメかなと思ったけど、娘のアーシア(アルジェント)が仲立ちしてくれて実現した。最初は『僕は俳優じゃないから』と断られそうだったんだけど。『(ヴィットリオ・デ・シーカの)「ウンベルトD」の主人公だって大学教授だったから大丈夫』と説得してね(笑)。彼はフランソワーズのことを知らなかったし、彼女もダリオをよく知らなかった。お互いあまり交わることのないタイプの映画で活躍していたからね。ダリオはイタリア人だけどフランス語でアドリブもすぐにできるほど堪能だったのが幸いだった」

ーーこの2人が暮らすアパルトマンが、生活感があり、2人の人生を感じさせるリアルなものでした。これは元々誰かが暮らしているところを借りたのですか。

「実はキャスティングが決まる前に空いているアパルトマンを見つけて、ロマン・ポランスキーの『オフィサー・アンド・スパイ』などを手がけたジャン・ラバースというセット・デザイナーが3週間で仕上げたものなんだ。任せっきりにして3週間後に訪ねて行ったら、ここに誰か住んでいるの?というくらい生活感ができていた。私の親たちもインテリ層だから、専門の本がたくさん置いてあったりすると、どんな人が住んでいるかもわかる。天井が低くしてあるのも、パリのアパルトマンの最上階はああいいう感じなので、そんな点にもこだわってくれている。リアルさを出すために台所に果物を置いてわざと腐らせたりして悪臭が漂って大変だった(笑)。このセットを解体する時に『ダリオの死、フランソワーズの死、そしてこの部屋が本作の三番目の死だね』などと惜しまれたほどだよ」

画像: この映画では観客を思いっきり泣かせたやりたいと思ったんだ。 だから泣けなかったら失敗だね(笑)

ーーリアルさを醸し出すためにスプリット・ショットを全編にわたって使用する方法は素晴らしいアイデアだと思いました。

「これまでの自分の映画でも使って来た手法だけど、老夫婦の孤独な生活を表わすのにちょうどいい表現法だと思えたんだ。ちょうどいま、現実の世界でも普通の人たちがZOOMなどを使って複数の画面を同時に見るという環境に慣れてきているしね。私の前にも多くのアンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ』や、リチャード・フライシャー監督の『絞殺魔』、ブライアン・デ・パルマ監督の作品などで印象的に使用されてきたね。でもここまで全編にわたって使用することができるのは、やはりデジタルになってこの手法が撮りやすくなったおかげだろう。それでも撮影中は2台のカメラがお互いに映り込まないようにするのに苦労したけど(笑)。冒頭の夫妻が寝ているシーンで、水が滴り落ちてきて一つの画面が二つに分かれるという演出アイデアは、編集中に思い付いたことなんだ」

 と裏話も交え、『VORTEX ヴォルテックス』の魅力、見どころを明かしてくれたノエ監督はこの12月27日に還暦を迎えるところ。数年前に自身も脳出血を起こし、その辛い体験もこの映画に反映されていそうだ。その新境地をぜひ劇場で目撃してほしい。

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『VORTEX ヴォルテックス』

高齢ながら2人で暮らす映画評論家の夫と元精神科医の妻。妻は認知症を患い、日に日にその症状が重くなっていき、心臓病を抱える夫はそんな彼女に悩まされる毎日。日常生活もままならなくなってきた夫婦に人生最期の時が迫っていた……

2023年12月8日よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開。

提供:キングレコード、配給:シンカ

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