“ハッタリ”をかまし音楽業界入り!やがてジョンとヨーコ専属の個人秘書に
中国系移民の両親のもと、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレムで生まれ育ったメイ。ロックンロールに夢中だった彼女は、友人と職探しのために訪れたタイムズスクエアで、ジョンのマネージャーだったアラン・クラインが運営する「アブコ・レコード」に突撃する。「仕事を探しています」と直訴し、タイピング、書類整理、電話対応など未経験ながら、すべて「できます」と答える“ハッタリ”をかまし、19歳で音楽業界に飛び込んだ。
その後、ジョンとヨーコがアメリカで撮影した前衛映画『ハエ(原題:Fly)』(70)と『アップ・ユア・レッグス・フォーエヴァー(原題:Up Your Legs Forever)』(71)の製作助手としてふたりの目にとまり、専属の個人秘書に指名される。以降、ジョンとヨーコの名物秘書としてテレビ番組に出演したり、「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」(71)のコーラスに参加してジャケット写真に載ったりと、多忙で刺激的な日々を送ることになる。
1973年、当時22歳のメイは、音楽活動や反戦運動伴う賛否の声や政権からの監視のストレスでナーバスになっていたジョンの浮気に悩まされていたヨーコから「あなた、ボーイフレンドいないわよね?ジョンとうまくいってないの。きっとまた浮気する。だから彼と付き合って。あなたのような人が必要よ」と告げられる。妻であるヨーコからの衝撃の言葉に困惑し申し出を断ったメイだったが、その後ジョンとの関係に変化が訪れる…。
今回、メイ・パンの姿をとらえた場面写真3点が初解禁された。書類を片手に笑顔を見せるジャケット姿の1枚は、アブコ・レコード入社後にジョンとヨーコと初対面した頃の貴重な写真。続く「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」のジャケットの後列左端には、音楽プロデューサー、フィル・スペクターの隣に写るメイの姿が。さらに、ミュージカル化されたビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の初日に招待され、ジョンと笑顔で談笑する姿をとらえた1枚も初解禁となった。
「世間は真実を知る必要があり、私はそれを伝える必要があると感じました」と語るメイ・パンだけが知る、「失われた週末」のジョンとの日々、その真実とは。1973年秋からの18カ月、ジョンはどこで何をしていたのか。「失われた週末」は本当に「失われ」ていたのか。『ジョン・レノン 失われた週末』は5月10日(金)より全国順次ロードショー。
2024年5月10日(金)より角川シネマ有楽町、シネクイント、新宿シネマカリテ、
池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー
配給:ミモザフィルムズ
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