ナショナル・シアターで大人気となったメンデスの舞台「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」
日本でも定期的に上映されているフィルムによるロンドンの舞台、ナショナル・シアター・ライブで、サム・メンデス監督の舞台「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」が公開。2023年に英国をわかせた舞台のひとつで、この年のイヴニング・スタンダード賞のベスト演劇賞を受賞。オリヴィエ賞では作品賞・監督賞などの候補となり、主演男優賞(マーク・ゲイティス)も受賞。舞台におけるメンデスの新たな代表作となった。
この舞台を2023年の7月8日、実際にナショナルシアターで見ることができたので、その現地の様子をお伝えする前に映画監督としてのメンデスのキャリアを少しふり返っておきたい。
『アメリカン・ビューティー』から『エンパイア・オブ・ライト』へ
アカデミー賞の受賞作としては衝撃の家庭劇『アメリカン・ビューティー』(1999)があり、作品賞・監督賞を受賞。近年の代表作はワンカット・ワンシーンの撮影が話題の戦争映画『1917 命をかけた伝令』(2019)。英国アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞し、アカデミー賞の作品賞・監督賞にもノミネートされた。
ドラマが得意な監督だが、『007/スカイフォール』(2012)や『007/スペクター』(2015)など、ボンド映画の大ヒット作も手がける。23年に日本で公開されたのはオリヴィア・コールマン主演の人種を超えたラブストーリー『エンパイア・オブ・ライト』(2022)。80年代の英国の映画館を舞台にしていて、撮影(ロジャー・ディーキンス)が息を飲む美しさだった。
こうして並べてみると、家庭劇、戦争映画、アクション映画など、何でもあり。共通の個性が見えにくいが、それでも安定のクオリティで、最も信頼されている現代の英国監督のひとりだろう。もともとは演劇人で、90年代はウエストエンドの個性的な小劇場、ドンマーウェアハウスの芸術監督もつとめ、「キャバレー」(1993)や「オリバー!」(1994)の再演やニコール・キッドマン主演の「ブルー・ルーム」(1998)などの話題作も送り出す。その後は「フェリーマン」(2017)、「リーマン・トリロジー」(2018)などの舞台でも注目された。
話題の舞台を映画と並行して舞台作品をコンスタントに発表。自分のルーツとしての演劇を大事にしている。
ロンドンではソールドアウト続出の人気舞台
そんな彼の最新舞台「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」は2023年4月から7月までナショナル・シアターの中のリトルトン・シアターで上演されたが、すぐに話題の舞台となり、ほとんどのチケットがソールドアウトだった。
その後、秋には別の劇場でも上演されて、またまた、人気を呼び、“ロンドンで最もホットな舞台のひとつ”として話題を呼んだ。
私自身はメンデスの演出に興味があったので渡英3か月前に幸運にもチケットを日本で押さえていたので、現地でさえ入手が困難がむずかしいと思われた舞台を見ることができた(ネット時代のすごさを実感)。
実際、会場にはぎっしりの観客。私の席は1階のすごく後ろだったが、目の高さがちょうどよく設計されていて、本当に見やすい劇場だ。
土曜日のマチネーを見たが、客層は白人の中高年が中心。ロンドンの地下鉄に乗ると、本当に多種多様な人種がいるが、この芝居の客席にアジア系の観客の姿はほぼなかった。芝居の題材のせいだろう。
現地でのメンデスの評判
私がロンドン入りした日、実は空港から郊外のキングストンに行くバスに乗ったら、親切なシニアのカップルがいて、いろいろな話をした。
私が「サム・メンデスの新作舞台も見る予定です」と言ったら、「彼はすごくいい仕事をしていると思います」と奥様の方が答えた。
ごく一般的な雰囲気の感じのいいカップルだったが、そういう人にも認知され、支持されている演出家なのだな、と思った。
リチャード・バートンの伝説の舞台「ハムレット」の舞台裏を描く
今回のメンデスの舞台は、特に映画ファンには興味深い内容だ。物語の主人公は3人の英国を代表する名優たち、ジョン・ギールグッド、リチャード・バートン、エリザベス・テイラーで、現代の俳優たちが彼らを演じる。1964年にブロードウェイの舞台で上演され、記録的なロングランとなった「ハムレット」の舞台裏を描いた作品だ。
舞台のシェイクスピア男優として有名なジョン・ギールグッドは、若い頃はハムレット男優でもあったが、この作品には演出家として参加。実力派の男優としてハリウッドでも大注目のバートンがハムレット役、リズ・テイラーは彼の私生活上のパートナーという設定だ。
この舞台は、当時、映像化され、映画館でも上映された。今のライブビューイングのはしりのようなことを試みた作品でもあった(いまもモノクロの映像で、当時の舞台を見ることができる)。
赤と青の世界の対比
サム・メンデスの舞台は、「ハムレット」上演の舞台裏に焦点を絞り、ふたつの世界の対比になっている。上の階級で育ち、恵まれた環境を得て、シェイクスピア男優となったギールグッドは<青の世界>の住人として描かれ、彼の部屋はクールな青の照明。
一方、ハリウッドの花形スターのテイラーや彼女と超大作『クレオパトラ』(1963)で共演し、彼女と結婚してセレブリティとなったバートンは享楽的な酒とバラの日々。彼らは<赤の世界>にいて派手な赤の照明で映し出される。
ストイックなギールグッドVS華やかなバートン。青と赤はまるで水と油。生き方も考え方も違い、どう考えても舞台がうまくいくとは思えない。
さらに映画界の大スターのテイラーVS格調高い演劇界のギールグッド。そんな対比もあるが、彼女がギールグッドと食事をして、バートンとの溝が埋まるように根まわしする場面もある。
水と油だったギールグッドとバートンの世界が交差する
舞台裏のごたごたと並行して、「ハムレット」の名場面も舞台で演じられ、やがて、あの誰もが知っているセリフが出てくる――トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・ビー。生きるべきか、死ぬべきか。
アル中の炭鉱夫の父親のもとで育ち、ワーキング・クラスの出身ながらも、演劇の道に進んだバートン。不幸な生い立ちを背負いながら、やがては自身の人間的な戸惑いも込めて、バートンはこのセリフをつぶやく。その時、ギールグッドは胸を打たれる――「こんなハムレットは見たことがない」。
そして、ふたりの心が通じ始める。「これは君自身のハムレットだ」。そんな言葉をギールグッドはバートンに送る。
そして、その舞台はブロードウェイで大ロングランとなる……。
50代で故人となったバートン、90代まで生きたギールグッド
リチャード・バートンは享年58。舞台の『ハムレット』役に抜擢されたのは39才の時で、やがては酒びたりの人生を送った彼はこの成功から約20年後に他界。オスカー候補に7回上がっているが、受賞できぬまま亡くなった。
テイラーとバートンは『クレオパトラ』の撮影で出会った時、お互いに配偶者がいたが、やがては結婚。その後、離婚するが、再び結婚して、2度目の離婚、という劇的な人生をたどる。
一方、『ハムレット』の演出家となったバートンより年上のギールグッドは当時60才。享年は96。実生活の彼は最高の舞台男優として尊敬されていたが、映画にはあまり興味がなく、コメディ『ミスター・アーサー』(1981)でオスカーの助演男優賞を受賞しても、たいしてうれしくもなかったようだ。後にピーター・グリーナウェイ監督の『プロスペローの本』(1991・「テンペスト」の映画化)に主演し、シェイクスピア男優としての本領も発揮した。
そんな3人の人生が『ハムレット』の舞台を通じてクロスする。
ギールグッド役のマーク・ゲイティスはオリヴィエ賞の主演男優賞を受賞
台本を書いたのは現在、注目の戯曲家ジャック・ソーン。最近は『ハリー・ポッター』シリーズの舞台化『ハリー・ポッターと呪いの子」(2017)が大好評で、他にも数多くの舞台作品を執筆してきた(日本の是枝裕和の『ワンダフルライフ』(1999)の舞台版“After Life”も2021年に上演)。
出演者は人気ドラマシリーズ「SHARLOCK/シャーロック」(2010~)の制作や脚本を手がけ、シャーロックの兄役も演じていた才人マーク・ゲイティス。映画は『ファーザー』(2020)等にも出演。本国では才人として高い評価を受けているが、ギールグッドらしい格調や優雅さをうまく出していて、この舞台の中心的な存在で、24年に発表されたオリヴィエ賞ではドラマ部門の主演男優賞も獲得。ギールグッドはゲイだったが、ゲイティス自身もゲイであることを公言している。
バートン役のジョニー・フリンは”なりきり型”の男優
バートン役は映画『スターダスト』(2020)でデイヴィッド・ボウイ役を演じていたジョニー・フリン。最近ではネットフリックスの傑作ドラマ「リプリー」(2024)のディッキー役が印象に残った。映画はアンソニー・ホプキンス主演の『ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命』(2021) でホプキンスの若い時代を演じている。
ちょっと粗野で、どこかチャラチャラしているが、それでいて、悲哀感もあるバートン像。最初、フリンはバートンに見えないが、ドラマの進行と共にそれらしく思えてくる。出る作品によって異なる顔を見せる。そんな”なりきり型”の男優だ。
テイラー役は『ダウントン・アビー』映画シリーズ(2019~)に出演していたタペンス・ミドルトン。テイラーのようにグラマラスな派手さはないが、髪型や服装がそれ風だし、話し方の工夫で、テイラーらしさを出している。
映画と舞台の世界で活躍するサム・メンデスの洗練された舞台
サム・メンデスの演出はとにかくセンスがいい。テンポもいいし、時おり流れるジャズの曲もいい感じで、かなり洗練された舞台だ。
劇場では終始、笑いがたえず、コメディ的な要素も強い。しゃれたセリフのやりとりもいっぱい。最初はぶつかりあっていた才能ある演劇人たちの悲哀感も最後は感じられた。
サム・メンデスの演出はすごく手慣れていて、観客の心をつかむのがうまい人に思えた。すごく起用に演劇と映画の世界を渡り歩くことができるのだろう。
今回は演劇人のギールグッド、映画人のテイラー、その間にいるバートンという3人の立ち位置に、映画界と演劇界の両方で活動するメンデスの思いも感じ取れる。
メンデス映画をふり返ってみると、見ごたえある戦争映画になっていた『1917 命をかけた伝令』は重要な伝令を別の戦地にいる軍人に伝えようとする兵士の物語。意外にシンプルな作りで、旅の途中で出会う人々との一瞬のふれあいで物語が成立していて、そのやりとりには演劇的な要素も入っていた。
また、『007/スカイフォール』もM役のジュディ・デンチとゲスト出演的なアルバート・フィニーは、もともとは舞台俳優だったので、後半のふたりのやりとりは、まるでシェイクスピア演劇のようだった。
また、今回の舞台の男と男、また、男と女の葛藤は『アメリカン・ビューティー』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(主演はメンデスの元妻、ケイト・ウィンスレット)、最新作『エンパイア・オブ・ライト』に通じるところもある。
『アメリカン・ビューティー』の屈折した夫婦関係など、まるでエドワード・オルビーの戯曲「バーニジア・ウルフなんかこわくない」に通じるところがあったが、この戯曲の映画化(マイク・ニコルズ監督)に主演していたのは、思えばリチャード・バートンとエリザベス・テイラーだった。
人物たちの葛藤を描くことにたけたメンデスは映画や舞台でのさまざまな経験を経て、いま、円熟期に向かいつつあるのだろう。
映画の新作はビートルズ4人のそれぞれの人生を描く4部作。これまでにないビートルズ映画になりそうで、こちらの演出にも期待がふくらむ。
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