現在、東京・新宿武蔵野館ほかで大ヒット・リバイバル公開中の『帰って来たドラゴン<2Kリマスター完全版>』。本作でいま再び熱い注目を集めている日本が誇るレジェンド・アクションスター、倉田保昭。半世紀以上も現役を続け、同業者たちからもリスペクトされる倉田の輝きを追い続けた筆者が、彼の偉大さを振り返ります。(文/望月美寿)

世の中にこんなにかっこいい人がいるのか?

1973年12月、ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」が日本上陸。翌年、30本近い“カラテ映画”(当時はクンフーという言葉も一般的ではなかった)が公開され、日本列島に空前のドラゴンブームが巻き起こった。辰年(ドラゴンイヤー)の今年はその50年後にあたる。ということは日本が生んだ国際的アクション・レジェンド、倉田保昭が日本に凱旋帰国してはや50年。それを記念していま全国で「帰って来たドラゴン」がリバイバル公開され、話題を呼んでいる。

画像: 『帰って来たドラゴン』の倉田保昭とブルース・リャン

『帰って来たドラゴン』の倉田保昭とブルース・リャン

50年前、私は信州の田舎の小学生だった。放課後に手製のヌンチャクを振り回していた男子たちから「闘え!ドラゴン」を教えてもらい、初めてTVで倉田保昭を見たときの衝撃は凄まじく「世の中にこんなにかっこいい人がいるのか?」と、まさに脳天に回し蹴りをくらったような気分だった。それからはお小遣いを貯めては雑誌やブロマイドやレコードを買い求め(倉田保昭はその頃歌手活動もしていた!)新聞記事を集めたスクラップ帳を作ったり。でも「ファンクラブには絶対に入らない」と決めていた。ファンクラブに入ったらone of them、その他大勢の中のひとりになってしまう。それが悲しくてイヤだったのだ。なんて強情な子どもだったのだろう。

やがて私は映画ファンになり、「SCREEN」の熱心な読者になり、高校は映画研究部に所属、将来はなんでもいいから映画関係の仕事に就きたいという夢を心ひそかに抱いて上京する。進路を決めるべき短大2年生のとき、倉田保昭が「倉田アクションクラブ」を開設。このタイミングを逃すまじ!と思った私は勇気を振り絞って憧れの人に会いに行った。そしてひょんなことから映画関係の事務所で電話番のアルバイトをすすめられ、気がついたらフリーライターになっていた。倉田保昭との出会いで人生が変わったのだ。ちなみに当時、下北沢の道場にはアクションスターやスタントマンを養成するコースのほかに、ご本人が一般人に武道を教えてくれる少林拳教室もあり、喜び勇んで一期生になった私は、その日から憧れの人を「倉田先生」と呼ぶようになった。

今回初めてスクリーンで観られた「帰って来たドラゴン」はやはり特別だった

つらつらと自分語りをしてしまったが、ザ・昭和な1970年代、多感な時期に倉田先生に出会い、私のように多大な影響を受けた少年少女は全国にごまんといたと思う。今回の「帰って来たドラゴン」の上映記念に合わせて開催された前夜祭イベントや舞台挨拶。そこに集まったたくさんの人たち、サイン会に長蛇の列をつくった大勢のファンがその証だ。もちろん、あの日あの場所に来られなかったファンひとりひとりにもそれぞれのドラマがあり、想いがある。

画像: 新宿武蔵野館で行われた初日舞台挨拶

新宿武蔵野館で行われた初日舞台挨拶

画像: 舞台挨拶の後、サイン会でファンと交流する倉田保昭

舞台挨拶の後、サイン会でファンと交流する倉田保昭

思えば50年前は映画を取り巻く環境も今とはかなり違っていた。味のある手描きの絵看板。妙な組み合わせの二本立て。240円で見られた名画座。人気の映画は立ち見が当たり前で、入れ替え制ではなかったので一日中映画館にいることができた。映画がビデオやDVDになって個人で所有できるようになったときは心底驚いたし、ネット配信の時代がくるなんて思ってもみなかった。ふらりと入って空いてる席に座る街の映画館が好きだったので、事前に席を予約するシネコンには今でもどこかなじめない。そんな超アナログな私にとって、今回、新宿武蔵野館に飾られていた倉田先生の等身大のポップやサイン入りの前売り券の発売はとても嬉しいものだった。郷愁に胸がきゅんとした。

画像: ポップや看板も懐かしい感じ

ポップや看板も懐かしい感じ

画像: サイン会に並ぶ長蛇の列

サイン会に並ぶ長蛇の列

そして今回初めてスクリーンで見ることができた「帰って来たドラゴン」は、やはり特別な映画だった。倉田先生が出てくるだけであきらかに画面の空気が変わる。精悍な顔立ち、厚い胸板、キレッキレのアクション。ブルース・リャンとの“死闘”という言葉がぴったりの狂熱のバトル。ワイヤーもCGもなかった時代の生の肉体同士の激突。頭の中が「むちゃしおるなぁ」という最高の誉め言葉とリスペクトの念でいっぱいになる快感。

画像: チョウ・ユンファと倉田(撮影:望月美寿)

チョウ・ユンファと倉田(撮影:望月美寿)

リスペクトといえばライターになった私はたくさんの香港スターに取材するおり、「倉田先生が香港の映画業界人の間でどれだけ敬愛されているか」を思い知る機会が幾度となくあった。1998年9月、「リプレイスメント・キラー」のプロモーションで来日したチョウ・ユンファが、パーティ会場で倉田先生を見つけたときのぱっと輝いた笑顔は忘れられない。2017年に倉田先生が「戦神 ゴッド・オブ・ウォー」で倭寇の武士を演じ、第24回香港電影評論学会大奨の最優秀男優賞に輝いたときの授賞式会場の盛り上がりや、第37回香港電影金像奨の最優秀助演男優賞にノミネートされたことはもっともっと知られていいと思う。アクションスター倉田保昭が70歳を超えて演技者としても高く評価された快挙は、誇り以外のなにものでもない。

新作短編「夢物語」で着ていた印象的な道着の帯に涙

今回「帰って来たドラゴン」は新作短編映画の「夢物語」が同時上映されている。コロナ禍の最中、暇になった倉田保昭が「自分がどれだけ動けるか」を試すために親戚の竹やぶを借りて撮影したという15分のショートムービー。27歳と77歳。時を越えた本気の倉田アクションを同時に堪能できることも今回の上映の大きな意義といえるだろう。

画像: 『夢物語』

『夢物語』

レジェンドと呼ばれるようになっても倉田先生は決して偉ぶらない。つねに飄々としていて、穏やかな中にゆるぎのない強さがある。これは俳優であると同時に武道家であるということがおおいに関係していると思う。何かを極めた人特有のおおきさ、おおらかさが半端ないのだ。

「夢物語」で着ていた印象的な道着は「竹林にはピンクが映えるだろう」と思いついたご本人が染粉を買ってきて自分で染めたのだとか。いかにも先生らしいエピソードだと微笑んでいた私は、主人公が帯を締めるシーンで突然の涙に見舞われた。年季が入りまくってすり切れた、何とも言えない味と風格のあるその黒帯は、私が19歳の頃から見慣れてきたものだったからだ。時を経たからこそ尊く輝くものがあることを、あの帯は一瞬で教えてくれる。

画像: 『夢物語・奪還』

『夢物語・奪還』

8月9日からは「夢物語」に代わって続編である「夢物語・奪還」が同時上映される。「夢物語」のそのまた続きや、盟友サモ・ハンと映画を撮る企画も進んでいるという。78歳にして現役バリバリのアクション・レジェンド、倉田保昭の物語はまだまだ続く!  

倉田保昭 日本凱旋50周年記念『帰って来たドラゴン<2Kリマスター完全版>』
東京・新宿武蔵野館ほか全国公開中

画像: 新作短編「夢物語」で着ていた印象的な道着の帯に涙

今後の公開、舞台挨拶情報
8月30日(金)~、大阪・テアトル梅田、アップリンク京都にて公開決定
8月31日(土)と9月1日(日)にテアトル梅田にて舞台挨拶開催 (時間未定)
また9月13日(金)~長野ロキシー、9月20日(金)~フォーラム仙台、10月11日(金)~愛知・センチュリーシネマにて公開決定(舞台挨拶予定)

製作・監督:ウー・シーユエン(『死亡の塔』監督、『ドランクモンキー/酔拳』製作)
アクション監督:ブルース・リャン 主演:ブルース・リャン、倉田保昭、マン・ホイ、ウォン・ワンシー、ハン・クォツァイ
(1974年度香港映画/カラー/ビスタサイズ/DCP/99分)
協賛:アートポートインベスト 提供:倉田プロモーション 配給:エデン 
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