(デジタル編集・スクリーン編集部)
カバー画像:2度目の来日でオリンピック開会前の国立代々木競技場を訪問 ©︎kindaieigasha

〜1950年代

1935年 11月8日、仏セーヌ県ソー生れ。父は映画館経営者。

4歳で両親が離婚。母が再婚したが義父とうまくいかず、父も再婚して義弟が誕生し、アランは孤独な少年時代を送る。寄宿学校を転々とし、14歳から食品店で働いたことも。
17歳でフランス海軍に入隊。第一次インドシナ戦争に従軍。

子供時代のドロン

1955年 除隊。アメリカとメキシコを放浪。

1956年 帰国。様々な職を体験する。

1957年 カンヌ国際映画祭開催中に同地を歩いているとエージェントに声をかけられるが、ハリウッドデビューを断って、フランス映画『女が事件にからむ時』でデビュー。

1958年 『恋ひとすじに』で人気女優ロミー・シュナイダーと共演。婚約に至る。

婚約者だったロミー・シュナイダーと

1959年 『お嬢さん、お手やわらかに!』『学生たちの道』で人気上昇。

1960年代

1960年 『太陽がいっぱい』仏公開。日本でも公開され大ヒット。日本でアランの人気が爆発。『若者のすべて』にも出演。

人気に火が付いた主演作『太陽がいっぱい』
©ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO. / Plaza Production International / Comstock Group

1961年 『生きる歓び』などに出演。舞台でロミーと共演も。

1962年 『太陽はひとりぼっち』などに出演。

1963年 『地下室のメロディー』『山猫』に出演。
3月に東京で開催された「フランス映画祭」で初来日。大歓迎を受ける。
ロミーとはすれ違いが続き破局。

画像: 再びヴィスコンティと組んだ『山猫』

再びヴィスコンティと組んだ『山猫』

1964年 『黒いチューリップ』などに出演。
女優ナタリー・ドロンと結婚。2人の長男アントニー・ドロン(後に俳優に)誕生。
2度目の来日で国立代々木競技場などを訪問。

1965年 『泥棒を消せ』に出演。ハリウッド進出を狙い、アメリカに滞在。

1966年 アメリカで製作された『テキサス』などに出演するが、フランスに帰国。
米仏合作『パリは燃えているか』に出演する。

1967年 『冒険者たち』『サムライ』(ナタリーと共演)などの代表作に出演。

代表作の一つ『サムライ』

1968年 『さらば友よ』などに出演。
ナタリーと別居。アランのボディガードの死体が発見されフランスでは一大スキャンダルに発展するが事件は迷宮入りに。

1969年 『シシリアン』などに出演。
ナタリーと離婚。『ジェフ』で共演したミレーユ・ダルクと公私に渡るパートナーに。

画像: 初来日時に大歓迎を受けたドロン ©︎kindaieigahsa

初来日時に大歓迎を受けたドロン
©︎kindaieigahsa

画像: 3度目の来日。本誌の取材時に編集作業を手伝ってくれるサービスも? ©︎kindaieigasha

3度目の来日。本誌の取材時に編集作業を手伝ってくれるサービスも?
©︎kindaieigasha

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