近年、出演作はほとんどなかったが、かつてグレンダ・ジャクソンは英国を代表する演技派女優のひとりだった。70年代は2度のアカデミー主演女優賞を受賞し、リスキーな企画にも進んで出演。その後は政治家に転身したが、晩年は女優として活動を再開。遺作『2度目のはなればなれ』では、同時代を生きた名優、マイケル・ケインとほほえましい夫婦愛を見せる。その力強い演技力は最後まで健在だった。

1960年代後半に登場し、衝撃作『恋する女たち』でオスカー受賞

役者魂という言葉は、この女優のためにあるのではないだろうか? そう思えるほど、かつてグレンダ・ジャクソンという女優には強さがあった。

ワーキング・クラスの出身で、演技者になる前は薬や雑貨の販売店、ブーツ(英国のマツヨキみたいなチェーン)で働いていたこともあるというジャクソン。

やがて、女優を志すようになり、ロイヤル・シェイクスピアなどの舞台で活躍後、舞台出身の大物監督、ピーター・ブルックの精神病院を舞台にした異色作『マラー/サド』(正式題「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と殺人」、1967年)で認められた。

ケン・ラッセル監督と運命的な出会いを果たしたのが、1969年の『恋する女たち』。原作はD.H.ロレンスの小説で、性を自然の営みと考える作家らしい大胆な性描写が、いたるところに登場。

画像: 『恋する女たち』の日本の劇場プログラム。ふたりの姉妹とそれぞれの恋人たちとの関係を描く。D.H.ロレンスの文学の映画化で、当時は鮮烈な性描写が話題を呼んだ。

『恋する女たち』の日本の劇場プログラム。ふたりの姉妹とそれぞれの恋人たちとの関係を描く。D.H.ロレンスの文学の映画化で、当時は鮮烈な性描写が話題を呼んだ。

主人公はふたりの姉妹で、教師の姉の方は陽気で、明るい人物像だが、妹は絵を得意とする芸術家気質。それゆえ、性に関しても、姉とは異なる考えを持ち、時として男性に非情な態度をとることもある。

彼女の犠牲となるのが、炭鉱の経営者の男性(オリヴァー・リード)で、恋人だったはずの彼女とスキー場で大ゲンカとなり、やがて彼は雪の中を歩き続けて死に至る。旅先で他の男性と仲良くなり、恋人を心理的に追いつめるジャクソンの演技には凄みがあった。また、森の中で牛の大群と遭遇し、踊りながらそれを追い払う場面も鮮烈。なんて、強い! しかも、知的で、謎めいた魅力も秘めている。そんな彼女の力強さに圧倒された。

この映画が日本で公開されたのは1970年代。女性解放の運動が始まっていたものの、今より女性が個性を確立するのはむずかしかった時代。そんな時に見たジャクソンの女性像はひじょうに鮮烈なものがあった。

チャイコフスキーの悪妻、アントニーナ役の『恋人たちの曲/悲愴』

日本人受けしそうな、やわらかさ、かわいらしさは、ほとんどない女優なので、日本での一般的な人気は高くなかったが、とびきりの演技派であることは映画ファンにも認められていた。

次にケン・ラッセル監督と組んだ『恋人たちの曲/悲愴』(1971年)では、さらに衝撃的な役作り。ロシアの作曲家、チャイコフスキーが実は同性愛者で、妻のアントニーナはニンフォマニアという設定である。

今年、日本でも封切られたロシアのキレル・セレブレニコフ監督の『チャイコフスキーの妻』(2022年)にも似た設定で、同性愛者であるチャイコフスキーの夫の犠牲になり、悪妻と呼ばれたアントニーナは数奇な運命をたどる。

『恋人たちの曲 悲愴』の日本版ポスター。ジャクソンは大作曲家、チャイコフスキーの妻を演じる。チャイコフスキーはリチャード・チェンバレンが演じ、ふたりは壮絶な夫婦のラブシーンを演じた。

本国ではこの大作曲家が同性愛者であったことは、長年、タブーだったそうだが、英国のラッセル監督はすでに50年前に、このスキャンダラスな設定の伝記を撮り、当時は良識派のひんしゅくを買っていた(しかし、今ではその先鋭性が再評価され、2024年には英国のBFIがブルーレイもリリース)。

ジャクソンはアントニーナの役を演じていたが、とりわけ、鮮烈だったのが、新婚のふたりが列車に乗り込む場面である。酒をあおった妻は服を脱ぎ捨て、同性愛の夫に迫っていくが、そこには悲劇が待っている。ふたりの男女が相いれない世界で生きていることがチャイコフスキーの音楽をバックに大胆に視覚化される。夫に失望した妻は娼婦まがいの生活を送り、やがては精神病院に入る。

その描写のインパクトに打ちのめされる作品。ただ、ケン・ラッセルは強烈な映像の向こうにロマンも込める人なので、最後は夫婦それぞれの悲哀がズンと響く作品でもあった。

リスクのある役を演じる女優魂

このラッセル監督との2作で、グレンダ・ジャクソンは、英国の“最も挑戦的な”映画女優のひとりとなった。

ラッセル監督とは意気投合したようで、その後もプライドの高い女優役を演じたキュートなミュージカル『ボーイフレンド』(1971年)、エキセントリックな王妃役の『サロメ』(1987年)、庶民的な母親役の『レインボウ』(1989年)など、彼とのコンビ作は多い。

当時の作品としては、ジョン・シュレシンジャー監督と組んだ傑作『日曜日は別れの時』(1971年)も忘れられない。

ジャクソン扮する主人公は年下の青年とつきあっているが、バイセクシャルの彼には中年男性の恋人がいる。ひとりの若い青年をめぐる中年の男女の三角関係。この設定も当時としては斬新だ(1969年の『真夜中のカーボーイ』で知られるシュレシンジャーは早くからゲイであることを公言していた)。ふり返ってみると、ジャクソンは、かなり、冒険的な作品に出演している。

2度目のオスカー受賞作はコメディ『ウィークエンド・ラブ』

一方、コメディでも彼女の演技力は発揮されていて、ロマンティック・コメディ『ウィークエンド・ラブ』(1971年)の好演で2度目のオスカー受賞。離婚歴があり、ファッションの仕事をしている大人の女性の役。進歩的な性格で、ある時、妻子ある男と不倫関係となり、そのユーモラスな関係のゆくえが描かれる。

「ウィークエンド・ラブ」のジャクソン。キリリとした表情が印象的だった。©Sawako Omori

ジャクソンの映画にしては、軽めの内容だったが、ファッション業界にいる、という役柄のせいか、いつになく、おしゃれで、都会的な雰囲気がある。彼女の現代的でタフな魅力が生かされた軽妙なロマンス映画。意志的でキリリとした顔が魅力的だった(ただ、欧米では話題になったが、日本ではあまりヒットしなかった)。

劇場では未公開のジョセフ・ロージー監督の『愛と哀しみのエリザベス』(1975年、ビデオ公開)では、マイケル・ケインと屈折した夫婦役を演じている。

スキャンダラスな関係や不倫になってしまう役が、こうしてふり返るとけっこう目立つ。進歩的で知的な女性役が多かったが、テレビドラマ「Elizabeth R」(1971年)はコスチューム物で、エリザベス一世を演じてエミーも賞受賞。また、舞台の出演作も数多く、まさに演技派中の演技派女優だ。

ただ、1990年代以降は労働党の政治家になってしまい、20年近く、第一線から退いてしまう。政治家という選択は意志的な印象があったジャクソンらしいが、その結果、特に日本では忘れられた女優になってしまった。

80代になって舞台や映画でも強さを発揮

晩年、演技に復帰してからは彼女らしい偉業も成し遂げている。80代になって主演したエドワード・オルビー原作のブロードウェイの舞台「Three Tall Woman」(2018年)でトニー賞の主演女優賞も受賞。その力強い演技力が改めて評価されたのだ。

映画は『帰らない日曜日』(2021年)で主人公の晩年を演じていた。本好きの主人公は、大きな屋敷のメイドから書店員の店員を経て、やがては作家として成功する。若い時はジョシュ・オコナー扮する裕福な青年と情熱的な恋に身をこがしたこともある、という設定。その晩年を『恋する女たち』で奔放な女性を演じていたジャクソンが演じることで説得力があった。

『2度目のはなればなれ』はマイケル・ケインの気丈な妻役

『愛と哀しみのエリザベス』のマイケル・ケインと約50年ぶりの共演が実力したのが、新作『2度目のはなればなれ』。熟年夫婦の役で、夫と共に老人ホームに入っているが、妻のすすめもあって、夫はかつて兵士として戦ったフランスのノルマンディに旅立つ。

老人ホームでは、90歳近い入居所が急に姿を消したことで、大騒ぎとなる。夫の大冒険は、やがてマスコミでも報じられ、セレブのような扱いも受ける。

こういうドラマの場合、普通は妻が夫に反対して、ノルマンディに行くのを思いとどまらせる、という設定になるはずだ。

画像: 20年間、女優業から退き、労働党の政治家となったグレンダ・ジャクソン。新作『2度目のはなればなれ』では、久しぶりに彼女の力強い演技が楽しめる。 ©2023 Pathe Movies. ALL RIGHTS RESERVED.

20年間、女優業から退き、労働党の政治家となったグレンダ・ジャクソン。新作『2度目のはなればなれ』では、久しぶりに彼女の力強い演技が楽しめる。
©2023 Pathe Movies. ALL RIGHTS RESERVED.

ところが、この映画では妻が夫に冒険を出ることを進める。ふたりは片時も離れられないほど愛し合っているが、夫はかつての自身のトラウマと向き合うため、妻のもとを旅立ち、ホームを抜け出す。年老いた夫に冒険をうながす気丈な妻という設定は、かつてタフな女性の役を得意としたジャクソンらしい。

また、彼女がスウィング・ジャズの思い出の曲を聴き、老人ホームで踊る場面も用意される。このあたりも『恋する女たち』の解放的な女性の役をふまえた役柄になっている。

そして、若い時に夫と初めて結ばれた瞬間を思い出して、うっとりする時のジャクソンの表情からは、彼女が内側に秘めている女としての情熱が伝わる。監督のオリバー・パーカーも、この映画のジャクソンの演技を絶賛していて、「この映画でも彼女は強さを見せてくれた。老人を主人公にした作品ではあるが、ふたりの主人公の情熱を伝える作品になった」と筆者とのインタビューで答えていた。

ケインと共に変革期の1960年代を生きた究極の演技派

パーカー監督はケン・ラッセルを好きな英国監督のひとりにあげていたので、そういう思いもあって、ラッセル一家のひとりだったジャクソンをヒロインに起用したのだろう。

実はマイケル・ケインもラッセルの初期の作品『10億ドルの頭脳』(1967年)でこの個性派監督と組んでいて、彼を<エモーショナルな描写の天才>と呼んでいる。

ジャクソンも、ケインも、ともにワーキング・クラスの出身で、映画や音楽などの変革期だった1960年代に階級の壁を越えて演技者として認められた。そして、80代になって再会し、味のある夫婦演技を見せる。ふたりがそこにいるだけで、画面からただならぬ磁力が感じられる。

画像: 共に1960年という変革期を生きたマイケル・ケインとグレンダ・ジャクソン。そのほほえましい夫婦愛が胸を打つ新作『2度目のはなればなれ』。ふたりの朝の散歩もユーモアたっぷり。 ©2023 Pathe Movies. ALL RIGHTS RESERVED.

共に1960年という変革期を生きたマイケル・ケインとグレンダ・ジャクソン。そのほほえましい夫婦愛が胸を打つ新作『2度目のはなればなれ』。ふたりの朝の散歩もユーモアたっぷり。

©2023 Pathe Movies. ALL RIGHTS RESERVED.

ふたりの枯れない情熱や夫婦愛が伝わる『2度目のはなればなれ』。ケインには引退作、ジャクソンには遺作になったが、名優たちの最後をしめくくるのにふさわし胸にしみる作品だ。晩年、出演作がほとんどなかったジャクソンだが、最後に主演作が残ったことで、その演技力の力強さを再確認させる(ファンには本当にうれしい1作)。

 

 

『2度目のはなればなれ』
全国公開中
監督:オリバー・パーカー 
脚本:ウィリアム・アイヴォリー
出演:マイケル・ケイン、グレンダ・ジャクソン、ダニエル・ヴィタリス、ローラ・マーカス、ウィル・フレッチャー
2023年/イギリス映画/英語/97分/原題:The Great Escaper/
戸田奈津子/配給:東和ピクチャーズ 
©2023 Pathe Movies. ALL RIGHTS RESERVED.
公式HP:hanarebanare.com
公式X:@TowaPictures(#2度目のはなればなれ)

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