国外で育ったからこそブータンの近代化を客観的に観察
──ラマと僧侶タシ、銃コレクターのロンと通訳のベンジ、選挙委員のツェリンの3つの話が時々交差しながら進み、最後は1つに集約されます。着想のきっかけからお聞かせください。
私は実際に起こった出来事に触発されて、映画を撮りたいと思うタイプです。前作の『ブータン 山の教室』(2019)もそうでしたが、今回も事実に基づいた色々な要素がきっかけとなりました。
ブータンは文化や独立性を守るために、あえて国として孤立を選びました。ところが2005年に国王がインターネットとテレビを許可すると同時に、自分の退位を発表したのです。当時の国王は国の権利をすべて掌握しており、絶対的な存在でしたが、国民は幸せに暮らしており、国王をとても愛していたので、その話を聞いて悲しみました。
その頃、私はアメリカで政治学を学んでおり、“君主制は独裁であり、民主主義という贈り物を与えなくてはいけない”、“近代化には民主主義が必要”という認識の環境でしたから、「ブータンは国として、とても面白い局面にある」と思いました。
その後、総選挙前に、選挙が初めての国民のために模擬選挙が行われ、国王が好んで使っていた黄色を掲げた政党が勝ったことやお坊さんがある理由からおもちゃの銃を集めていたことがわかったのです。そういった話をいくつも調べて、この脚本を作りました。
──かなり早い段階から映画化を考えていたのでしょうか。
いえ、違います。私は映画を独学で始め、前作が初めてのチャレンジでした。映像作家としてもっと成長したいと思い、前作を徹底的に検証したところ、シンプル過ぎたと気が付いたのです。メインキャラクターが1人で、1つのことをしているだけの物語でした。
そこで、今度は主要なキャラクターを増やし、複数のストーリーを展開させることにしました。内容を複雑にするために、テーマとして政治を選び、あえて難しいジャンルであるコメディにしました。コメディは面白くしようとして失敗すると、とんでもないことになりますから、自分により大きな枷をかけて取り組んだのです。
──企画を立ち上げてからはいかがでしたか。
前作はブータン映画初のオスカー候補になりました。それをきっかけに「次は有名なハリウッドスターを使うべきだ」と進言されたり、大掛かりな企画のオファーを受けたりするようになり、様々な思惑に心が乱れました。そんな中、アン・リー監督と出会い、「君はこの作品(『ブータン 山の教室』)を無垢な心で作っている。しかし、映画作家として成長していくに従い、複雑なストーリーを作るようになっていくと無垢な心を失ってしまうかもしれない。何を隠そう、自分がそうだった。君にはそうなってほしくない。無垢な心を失わず、そのまま映画を作り続けてほしい」といわれたのです。とても価値のあるアドバイスだと思いました。この言葉を心に留めて、本作をとても小さな規模で作ることにしました。
ブータンの近代化をテーマにしても、ハリウッドスターが登場すれば「有名な人がブータンに来た話」になってしまいます。しかも予算のほとんどをその俳優のギャラに持っていかれてしまい、ブータンの撮影クルーに回らなくなります。それは避けたい。素人に演じてもらうと拙い演技になってしまうかもしれませんが、それはハリウッドスターを使ったときのプラスよりも作品にいい結果をもたらすと思ったのです。
──『ブータン 山の教室』のときに、「ブータンにはプロの俳優がいないので、登場人物と同じような生活をしている人をキャスティングした」とおっしゃっていました。本作でも同じような形でキャスティングをされたのですね。
前作でキャスティングした人たちは演技が初めてというだけでなく、そもそも映画を知らなかったのです。そういう人たちと映画を撮るのはチャレンジだと思いましたが、意外にもそれが利点になって、彼らはすっと役どころに入っていきました。
本作でキャスティングした人たちも初めて演技をする人ばかりでしたが、都市部に住んでいる人が多く、映画を見たことがあったので、かえって自然に演じることが難しく、苦労しました。
──選挙委員のツェリンが「世界の人々が命懸けで望むものを与えられた」と話すのに対して、村の女性であるツォモが「私たちが命を懸けなかったのは必要ないからなのでは?」と反論したのが印象に残りました。
私はブータン人ですが、両親の仕事の関係から国外で育ちました。ブータンには「自分のまつげは見えない」ということわざがありますが、私はまさにブータンのまつげを見る立場。ブータンで起こっていることを客観的に観察できたのです。
ブータンは民主化した結果、生活がレベルアップしましたが、世俗化していき、ブータンらしさともいえる無垢さや純真さが失われつつあるような気がします。作品の中でキーアイテムとなっている銃は近代化のメタファーで、それに対するものとして男根を登場させました。他の国から見ると、男根は原始的で無知に見えるでしょう。しかし、男根信仰はブータンの文化なのです。無垢と無知は違います。本作のポスターに「変わりゆく世界で、変わらないもの」と書いてありますが、私たちブータンの国民は無垢さを失わないようにしなければと思います。
<PROFILE>
監督・脚本: パオ・チョニン・ドルジ
映画監督であり有名な仏教のラマ僧でもあるケンツェ・ノルブ氏の下で映画製作のキャリアをスタート。ノルブ監督作『Vara: A Blessing』( 2013)でアシスタントとして、『ヘマヘマ:待っている時に歌を』(2016)ではプロデューサーとして作品に参加している。監督デビュー作は2019年の『ブータン 山の教室』。各国の映画祭で数々の賞を受賞したのち、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされる。ブータン映画初のオスカー候補となるという歴史的快挙を成し遂げた。『お坊さまと鉄砲』は脚本、監督そしてプロデューサーとして手掛けた長編第二作。ブータン王室のドゥルック・トゥクセ(雷龍の心の息子)勲章の最年少受賞者となり、2022年12月17日にジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王より授与された。この勲章はブータン国家と国民への多大な貢献をした個人に授与される。
『お坊さまと鉄砲』12月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー
<STORY>
2006年、国王陛下が退位の意向を発表し、ブータンは民主主義体制へと移行する。総選挙で新しいリーダーを選ぶ必要があるが、ブータンでは選挙を実施したことがない。国民の理解促進を図るため、政府は選挙委員をブータン全土に派遣し、4日後に“模擬選挙”の実施を決定する。
周囲を山に囲まれたウラ村。山で瞑想修行中のラマのもとを訪れた僧侶のタシは、模擬選挙の報を聞いたラマから「次の満月までに銃を二丁手に入れてほしい」と頼まれる。戸惑うタシに、ラマは「物事を正さねばならん」と話す。
時を同じくして、銃コレクターのロンがブータンに到着。ウラ村に昔の貴重な銃があると知り、アメリカから取引にやってきたのだ。ロンは、運転手と通訳を務めるベンジとともに村へ向かう。 一方タシは、村中の家々を尋ね歩き、ペンジョーという村人の家に銃があるという噂を手に入れる。銃を譲ってもらうためペンジョーの家に向かうが、一足先にロンとベンジが訪れていて……。
<STAFF&CAST>
監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ
製作:ステファニー・ライ(頼梵耘)
撮影:ジグメ・テンジン
出演:タンディン・ワンチュク、ケルサン・チョジェ、タンディン・ソナム
2023年/ブータン、フランス、アメリカ、台湾/ゾンカ語、英語/112分/カラー/2.39:1/5.1ch 原題:The Monk and the Gun 字幕翻訳:川喜多綾子 字幕監修:西田文信
後援:在東京ブータン王国名誉総領事館 文部科学省特別選定(青年・成人向き)/ 文部科学省選定(家庭向き)
配給:ザジフィルムズ、マクザム
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