2025年(令和7年)は昭和の元号で数えるとちょうど100年に当たります。いま様々なメディアや“レトロ企画”でクローズアップされることの多い「昭和」ですが、実際には1926年から1989年まで、途中太平洋戦争を挟んで64年間続いた激動の時代として記憶されています。SCREENも戦後まもなくの1947年に創刊し、昭和の映画黄金期を数々の名作・ヒット作と併走してきましたが、この間に日本のファンを魅了し、愛される多くの海外スターの隆盛を追いかけてきました。そこで今回は昭和100年を記念して、昭和の日本を彩った100人の外国スターたちを紐解いてみましょう。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)

昭和20年代末期に登場したオードリーとマリリン

画像: オードリー・ヘプバーン(代表作『ローマの休日』など)

オードリー・ヘプバーン(代表作『ローマの休日』など)

SCREENが創刊されたころ、戦前からハリウッドで活躍していた海外俳優は、戦後の日本の洋画ファンの人気を獲得した。女優でいえば、『カサブランカ』のイングリッド・バーグマン、『哀愁』のヴィヴィアン・リー、『緑園の天使』のエリザベス・テイラー、『若草物語』のジューン・アリソン、『フィラデルフィア物語』のキャサリン・ヘプバーンといった大物たちだ。40年代からハリウッドを代表するスターだった彼女たちは、SCREENの読者ベストテンがスタート(昭和26年から)すると、上位を独占した。

イングリッド・バーグマン(代表作『カサブランカ』など)

ヴィヴィアン・リー(代表作『風と共に去りぬ』など)

エリザベス・テイラー(代表作『クレオパトラ』など)

ジューン・アリソン(代表作『グレン・ミラー物語』など)

キャサリン・ヘプバーン(代表作『旅愁』など)

映画が娯楽の王様として君臨した昭和20年代の末期、2人のこれまでにいなかったタイプの女優が現われた。『紳士は金髪がお好き』などでセクシーさを全面に出し、世界中で知られる存在になったマリリン・モンロー、そして『ローマの休日』でまさにハリウッドのプリンセスとして大人気を博したオードリー・ヘプバーンだ。日本ではマリリンのお色気路線は過剰と見なされたが、オードリーはファッショニスタとしても注目され、“永遠の妖精”として長く愛されることになった。

同じ頃、グラマラス女優の先輩でジーナ・ロロブリジーダも活躍していたが、マリリン(MM)に続き、昭和30年代になると、代表的なセクシー女優として、フランスのブリジット・バルドー(BB)、イタリアのクラウディア・カルディナーレ(CC)が登場。

画像: マリリン・モンロー(代表作『七年目の浮気』など)

マリリン・モンロー(代表作『七年目の浮気』など)

ジーナ・ロロブリジーダ(代表作『夜ごとの美女』など)

ブリジット・バルドー(代表作『素直な悪女』など)

クラウディア・カルディナーレ(代表作『山猫』など)

アメリカでは名匠アルフレッド・ヒッチコックに愛された“クール・ビューティー”グレース・ケリーキム・ノヴァクらも銀幕を華やかに彩り、フランスの美人女優ミレーヌ・ドモンジョも次々出演作が日本公開され人気を博した。

画像: グレース・ケリー(代表作『裏窓』など)

グレース・ケリー(代表作『裏窓』など)

キム・ノヴァク(代表作『めまい』など)

ミレーヌ・ドモンジョ(代表作『お嬢さん、お手やわらかに』など)

一方落ち着いたムードのデボラ・カーのような大人の女優も人気を得る中、ドリス・デイスザンヌ・プレシェットシャーリー・マクレーンサンドラ・ディーのような良きアメリカを象徴するような陽性イメージの女優も愛され、『ウエスト・サイド物語』で子役から青春女優へ脱皮したナタリー・ウッドは特に人気が高かった。この時代はミュージカル大作も大流行で、『メリー・ポピンズ』『サウンド・オブ・ミュージック』と主演作が続いたジュリー・アンドリュースも、以後長く名声を保つスターになった。彼女の登場から昭和40年代が始まったとも言えそうだ。

デボラ・カー(代表作『地上より永遠に』など)

ドリス・デイ(代表作『夜を楽しく』など)

スザンヌ・プレシェット(代表作『恋愛専科』など)

シャーリー・マクレーン(代表作『アパートの鍵貸します』など)

サンドラ・ディー(代表作『避暑地の出来事』など)

ナタリー・ウッド(代表作『ウエスト・サイド物語』など)

画像: ジュリー・アンドリュース(代表作『サウンド・オブ・ミュージック』など)

ジュリー・アンドリュース(代表作『サウンド・オブ・ミュージック』など)

Photos by Getty Images

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