中国の名匠、ジャ・ジャンクー監督が6度⽬のカンヌ国際映画祭コンペティション部⾨正式出品を果たした『新世紀ロマンティクス』が5⽉9⽇(金)に公開される。この度、ジャ・ジャンクー監督のオフィシャルインタビューが解禁された。

「これは映画にしかできない表現です。 映画そのものが⾔葉なのです」

カンヌ、ベルリン、ヴェネチア、世界三大映画祭の常連にして、本作で中国⼈初の6度⽬のカンヌ国際映画祭コンペティション部⾨正式出品を果たした名匠ジャ・ジャンクー。本作は初期の傑作『⻘の稲妻』『⻑江哀歌』やドキュメンタリーを含む2001年から撮り溜めてきた映像素材を使⽤し、総制作期間22年という歳⽉をかけて激動の歴史をカメラに収めてきたジャ・ジャンクー監督の集⼤成とも⾔える。本作の公開を記念し、昨年の東京フィルメックスで来⽇したジャ・ジャンクー監督がオフィシャルインタビューで作品について次のように語った。

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――『新世紀ロマンティクス』では過去作の映像が多く使用されています。このアイデアはどういった過程で生まれたのでしょうか。

『青の稲妻』と『長江哀歌』のカットを数多く使用しています。「過去作を再利用して映画を作った」というよりも、「ずっと撮り溜めていた映像がこの作品の素材になった」という感じです。

2001年は新世紀を迎えて、誰もが未来に可能性を感じていました。インターネットや携帯電話が普及し始め、人が流動し、都市化が進み……大きなエネルギーを感じました。WTO加入やオリンピックの開催国に決定するなど社会的・経済的な成長も後押ししたと思います。その時代の艶やかさに惹かれたのがこの作品を作ったきっかけです。

2001 年に撮影を始めたときは2~3年くらいの企画になるだろうと思っていたのですが、なかなか終わりが見えませんでした。それで撮影を一旦中断して、別の(『青の稲妻』以降の)作品を撮りました。それでも時々思い出しては気ままに撮影を続けました。

コロナ禍になったとき、ひとつの時代が終わると感じました。中国政府はステイホームを推奨し、フライトもなくなり、国境は封鎖され、他国と行き来が出来なくなってしまった。あれだけエネルギーに溢れていた社会が停滞しました。そのとき、ずっと撮影していたこの企画のことを思い出しました。そこで、昔を懐古するのではなく、新世紀を迎えてから現在に至るまでの自分や社会の在り方を考え直しました。そして、コロナ禍のため、滞りなく撮影を進めるために、初めて脚本を書き始めました。

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――チャオは全編通して言葉を発さず、意思を伝える場面もまるでサイレント映画のようです。なぜこのような方法を選択したのでしょうか。

最初は、サイレント映画的な手法をとる予定はありませんでした。撮影の時点ではチャオは台詞を話していました。しかし、編集を始めて20分くらいしたところで「なんだか面白くないな」と感じました。男女の話を語るのに20年も必要だろうか、と疑問を感じました。近作でも長いスパンの作品を撮っていましたが、それらは過去を再現したものでしたが、この作品では20年かけて撮った素材を使っています。それらは、その時そこで起こった、偶然性の高いものばかりでした。チャオはその時代の人たちがどんなことをして、どんな感情でいたのか、どんな出来事があったのか、観客と共に目撃する人物です。「何が一番大事なのか」を考えてみると、「語ることによって、素材に対する自分の思いを狭めているのではないか、ヒロインが喋らないほうが耳を澄ませて、目で観るものに敏感に感じ取れるのではないか」と思いました。言葉にすることによって、複雑な感情を単純にしてしまっているような気がしたのです。音を消し去ってみると、映像に広がりを感じ、20年という歳月に対する複雑な気持ちを表すことができると思いました。中国には「言葉は少ないほど豊富であり、無には有があり、沈黙が多くを語る」という哲学があります。そこで、ヒロインには語らせず、サイレント映画的な手法になりました。台詞をなくしたことで、「一言では語れない」という気持ちが作品に詰まったと思います。これは映画にしかできない表現です。映画そのものが言葉なのです。

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――妻である女優チャオ・タオさんで撮りつづけるのはなぜでしょうか?

彼女が主役でなければいけない、ということはありません。ただ、自分が作る物語は「どこにでもいる普通の女性」の物語なので、それを演じるとなると彼女が思い浮かぶのです。チャオ・タオと主人公について話をしました。『新世紀ロマンティクス』のチャオはスーパーのレジ打ちをしている人です。誰にでも代われる仕事かもしれません。だからこそ、「チャオは遅刻をしない人だと思う」とチャオ・タオは言いました。彼女の考えは正しいと思いました。

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――原題「⻛流一代」にはどういった意味が込められているのでしょうか?邦題は『新世紀ロマンティクス』です。

アメリカでも「ジェネレーション」という世代を表す言葉があり、80年代に改革がありました。改革は「変わりたい」という気持ちと不安の表れです。変わるにはロマンが必要です。「风流」という言葉は文字通り「漂流」という意味と共に「浪漫」のようなニュアンスがあります。「风流一代」はそこからつけました。また、中国では80年代には「风流一代」という雑誌が創刊され、今でも発売されています。若者を中心に読まれており、その時代のカルチャーを紹介するような雑誌で、その世代を表すのに適していると感じました。邦題も同じような意味があり、気に入っています。

(2024年11月東京にて)

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ジャ・ジャンクー監督 プロフィール 
1970 年5⽉24⽇⽣まれ、⼭⻄省・汾陽(フェンヤン)出⾝。  
18 歳の時に⼭⻄省の省都・太原(タイユェン)の芸術⼤学に⼊り、油絵を専攻しながら、⼩説を執筆し始める。この頃、 『⻩⾊い⼤地』(84/チェン・カイコー監督)を観て映画に興味を持ち、93年に北京電影学院⽂学系(⽂学部)に⼊学。在学中の95年にインディペンデント&ビデオ映画製作グループを組織し、中編のビデオ作品「⼩⼭の帰郷」を監督、⾹港インディペンデント短編映画賞⾦賞を受賞。この時、グランプリを受賞したのがユー・リクウァイの「ネオンの⼥神たち」。この出会いを通じて、『⼀瞬の夢』以降、ほぼすべての作品の撮影をユー・リクウァイが⼿掛けることとなる。97年に北京電影学院の卒業制作として、初⻑編映画『⼀瞬の夢』を監督、98年ベルリン国際映画祭フォーラム部⾨でワールドプレミア上映され、ヴォルフガング・シュタウテ賞(最優秀新⼈監督賞)を受賞したほか、プサン国際映画祭、バンクーバー国際映画祭、ナント三⼤陸映画祭でグランプリを獲得、国際的に⼤きな注⽬を集めた。  
2006 年、三峡ダム建設により⽔没する古都・奉節(フォンジエ)を舞台にした『⻑江哀歌』がヴェネチア国際映画祭コンペティション部⾨でサプライズ上映され、⾦獅⼦賞(グランプリ)を獲得。13年、『罪の⼿ざわり』がカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞。15年、カンヌ国際映画祭でフランス監督協会が主催する「⾦の⾺⾞賞」を中国⼈監督として初めて受賞。17年、平遥国際映画祭を創設。18年10 ⽉、福岡アジア⽂化賞⼤賞を受賞。18〜23年は全国⼈⺠代表⼤会代表(国会議員)を務めた。  
現在、中国映画監督協会の代表。名実ともに、現代中国を代表する映画監督である。

画像: ジャ・ジャンクー監督『新世紀ロマンティクス』オフィシャルインタビュー解禁!

『新世紀ロマンティクス』
5⽉9⽇(⾦)より、Bunkamura ル・シネマ 渋⾕宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
監督:ジャ・ジャンクー
脚本:ジャ・ジャンクー、ワン・ジアファン  
撮影:ユー・リクウァイ、エリック・ゴーティエ
⾳楽:リン・チャン  
出演:チャオ・タオ、リー・チュウビン、パン・ジアンリン、ラン・チョウ、チョウ・ヨウ、レン・クー、マオ・タオ  
2024 /中国/中国語/1:1.85/111 分/G ⻛流⼀代 Caught by the Tides
配給:ビターズ・エンド
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