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ジェリー・ブラッカイマー特集にあわせプロデューサーたちにフォーカス!(文・田中雄二/デジタル編集・スクリーン編集部)
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PART 1. 数々の名作の裏にいた伝説のプロデューサーたち

ハリウッドの“タイクーン”たち

ハリウッド草創期から1950年代にかけて、各映画会社がスタジオシステムを駆使して映画製作をしていた時代、各社には製作の全てを統括し、タイクーン=大君と呼ばれた名物プロデューサーがいた。

画像: MGMの祖の一人ゴールドウィン Photo by John Chillingworth/Picture Post/Hulton Archive/Getty Images

MGMの祖の一人ゴールドウィン
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MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)には、創業者として会社名にその名を残すサミュエル・ゴールドウィンルイス・B・メイヤー。彼らはスターシステムの確立、映画俳優の契約制度、映画のプロモーション戦略など、今も続く映画製作体制の多くを構築した。

画像: クーリッジ大統領とメイヤー(右) Photo by Archive Photos/Getty Images

クーリッジ大統領とメイヤー(右)
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また、「天才少年プロデューサー」と称されたアーヴィング・タルバーグはMGMの製作責任者として活躍したが37歳の若さで死去。アカデミー賞で優れたプロデューサーに贈られるアーヴィング・G・タルバーグ賞は彼にちなんで創設された。ミュージカル部門を牽引したアーサー・フリードもMGMの名物プロデューサーの1人だ。

画像: 『史上最大の作戦』撮影中のザナック(右) Photo by Silver Screen Collection/Getty Images

『史上最大の作戦』撮影中のザナック(右)
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画像: ヴィヴィアン・リーと契約するセルズニック(左端) Photo by Getty Images

ヴィヴィアン・リーと契約するセルズニック(左端)
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その他、コロンビア・ピクチャーズの共同創設者兼社長でフランク・キャプラ監督を登用して黄金時代を築いたハリー・コーン。『マルタの鷹』(41)、『カサブランカ』(42)など、数々の名作を手がけたワーナー・ブラザースのハル・B・ウォリス。20世紀フォックスの重役として『わが谷は緑なりき』(41)、『怒りの葡萄』(40)、『イヴの総て』(50)『史上最大の作戦』(62)などを手掛けたダリル・F・ザナックらがいる。自身の会社を設立し、『風と共に去りぬ』(39)などを製作したデヴィッド・O・セルズニックも、この時代を代表する大物プロデューサーだ。

画像: B級映画の帝王コーマン Photo by Amanda Edwards/WireImage

B級映画の帝王コーマン
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50年代に入ると、B級映画を短期間、低コストで製作するスタイルを確立し、「低予算映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマン、上映中の仕掛けを駆使して観客を驚かせる独自のプロモーション手法を確立したウィリアム・キャッスルなど、ユニークなプロデューサーも現れた。

60年代以降の名物プロデューサー

60年代は、「007」シリーズのプロデューサーとして知られるアルバート・R・ブロッコリや、自身が設立したカンパニーを通じて『荒野の七人』(60)、『ウエスト・サイド物語』(61)、『夜の大捜査線』(67)などを製作したウォルター・ミリッシュが代表格。イタリアのカルロ・ポンティディノ・デ・ラウレンティスもハリウッドに進出した。

画像: 映画『くたばれ!ハリウッド』公開時のエヴァンス Photo by Paul Harris/Getty Images

映画『くたばれ!ハリウッド』公開時のエヴァンス
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画像: 2000年にハリウッドの殿堂入り時のウィンクラー Photo by Sam Levi/WireImage

2000年にハリウッドの殿堂入り時のウィンクラー
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70年代以降の名物プロデューサーには、パラマウント・ピクチャーズの製作部門トップとして『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『ある愛の詩』(70)、『ゴッドファーザー』(72)などを世に送り出し、“最後のタイクーン”と呼ばれたロバート・エヴァンス。文学作品を原作とする質の高い映画の製作で知られ、『カッコーの巣の上で』(75)、『アマデウス』(84)、『イングリッシュ・ペイシェント』(96)でアカデミー作品賞を受賞したソウル・ゼインツ。『ロッキー』(76)でアカデミー作品賞を受賞し、『レイジング・ブル』(80)、『ライトスタッフ』(83)、『グッドフェローズ』(90)などを製作したアーウィン・ウィンクラーらがいる。

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