いまから半世紀前の1975年夏。一本の映画がそれまでの全米興行成績を一変させるような空前の大ヒットを記録し、そのムーブメントは世界中に波及していきました。その歴史的ヒット作品『ジョーズ』が誕生して今年で50年。これを記念して当時の反響やその後の映画界に与えた影響などを振り返ってみましょう。(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)

『ジョーズ』の誕生秘話から歴史的ヒットを飛ばすまで

アメリカ映画界でニューシネマが隆盛を誇った後、ハリウッドを一変させたブロックバスター『ジョーズ』はいかにして生まれ、どれだけの快挙を残したのか。名作誕生秘話とその後日談をお届けしましょう。

原作者も巻き込んで何度も書き直された脚本

歴史的ヒット作の始まりは、作家ピーター・ベンチリーの処女作「ジョーズ」が世に出る前に、ユニバーサル・ピクチャーズのプロデューサー・コンビ、リチャード・D・ザナックとデヴィッド・ブラウンが映画化権を手に入れたことだった。監督には何人かの候補がいたが、結局ザナック/ブラウン・コンビが前作『続・激突!カージャック』で組んだ俊英スティーヴン・スピルバーグに白羽の矢を立てる。まだ20代半ばだったスピルバーグだが、原作者ベンチリーが書いた草稿を大幅に改定。何人かの脚本家の手を経て、俳優でもあるカール・ゴットリーブ(本編にもアミティの有力者の一人として出演)の最終脚色によって脚本が完成…? 実はその後も出演者ロバート・ショウたちが現場で変更した点も多く、スピルバーグとゴッドリーブは毎日のように脚本をいじっていたという。

一方キャスティングも難航していたが、チャールトン・ヘストンなどが候補だったブロディには、パーティでスピルバーグが知り合ったロイ・シャイダーが選ばれ、ジョージ・C・スコットやリー・マーヴィンらが候補だったクイント役はザナックが『スティング』で組んだロバート・ショウになり、ジョン・ヴォイトらが候補だったフーパーにはジョージ・ルーカスが『アメリカン・グラフィティ』で組んだリチャード・ドレイファスを友人スピルバーグに推薦して、クランクイン直前に主要の3人が決定した。

撮影中もトラブルが山積み状態

画像: ブルースと名付けられたサメのアニマトロニクスで撮影したが…

ブルースと名付けられたサメのアニマトロニクスで撮影したが…

こうして74年初夏、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島でロケが開始されたが、大ベストセラーの映画化ロケを知った地元住民たちもいきなりハリウッドから大勢の撮影隊がやってきて大騒ぎだったという。当初55日間という撮影日程はスピルバーグの完璧主義と、度重なる難題で159日にまで延長。大きな難題の一つが、人間以上に本作で重要な意味を持つ「機械仕掛けのサメ」だった。当時はもちろんCGなどあるはずもなく、一時は本物のホオジロザメを使うという案もあったそうだが、さすがに実現は無理ということで機械で動くサメが3体製作され、スタジオでの作動実験は成功したはずだった。ところが実際の海に入れてみると海水の塩分によって動かなくなり、スタッフは修理時間で待たされることに。困ったスピルバーグは、あまりサメを見せない演出に切り替えざるを得なかったそうだ。しかしこの災いが大成功に繋がることになるのは有名な話。また撮影用のロボットサメに“ブルース”という愛称が付けられたのもよく知られたエピソードだ。

画像: 映画の舞台アミティはマーサズ・ヴィニヤード島でロケされた

映画の舞台アミティはマーサズ・ヴィニヤード島でロケされた

もう一つ難題だったのはクイント役のショウの酒癖の悪さだったという。共演のシャイダーによれば「彼は普通のときは完璧な紳士なのに、ちょっと酒が入るといきなり別人に変わってしまう」と語っているが、酷い目に遭ったのはもう一人の共演者ドレイファスで、酔っぱらったショウにいたずらばかりされ、ついに切れてしまったという。だが後のインタビューでドレイファスは「ショウとは仲直りしたんだ。舞台で共演する約束もした」と語っている。ショウは時に酒を飲んで演技をしてセリフが上手く言えず、翌日しらふで演じて一発OKだったこともあったとか。

画像: 撮影合間に談笑する(左から)ロバート・ショウ、ロイ・シャイダー、スティーヴン・スピルバーグ、リチャード・ドレイファス Photo by Universal Studios/Getty Images

撮影合間に談笑する(左から)ロバート・ショウ、ロイ・シャイダー、スティーヴン・スピルバーグ、リチャード・ドレイファス
Photo by Universal Studios/Getty Images

スピルバーグも最初は意気ごみ満点で海洋ロケに挑んだが、撮影中に船がフィルムごと沈没したり、実際に海の上での撮影はトラブルが多く、「若さゆえの無謀な選択だった」と述懐している。こうしたトラブルのため当初300万ドルほどだった予算は3倍に膨れ上がった。スピルバーグは「ボクはもう二度と映画を作ることができなくなる」という噂を聞いたと当時の苦悩を明かしている。

画像: 最後はボロボロになってしまう「オルカ号」

最後はボロボロになってしまう「オルカ号」

これまでになかった大ヒット作の誕生

元々74年暮れに全米公開される予定だった『ジョーズ』は撮影が10月までずれこんだため、公開日を75年6月に変更。だが公開されてから状況は一変する。それまでサマーシーズンに歴史的大ヒット作は生まれていなかったが、ユニバーサルは大々的なマーケティング戦略で関連グッズを作ったり、CMの大量投入を行ったりして、公開初週に700万ドルという当時記録的な興行成績を叩き出し、わずか10日間で製作費を回収した。ショックで途中退場者も出たという噂が噂を呼んで、入場しきれない観客が劇場を取り囲むというニュースが評判になり、それまでの歴代1位『ゴッドファーザー』を抜き、史上初の1億ドル越えブロックバスター・ムービーとなった。

画像: 劇場周辺には長蛇の列が毎回のようにできていた Photo by Steve Kagan/Getty Images

劇場周辺には長蛇の列が毎回のようにできていた
Photo by Steve Kagan/Getty Images

映画のヒットぶりは凄まじく、単に一本の映画の大当たりではなく、人々のカルチャーにまで「ジョーズ」は浸透した。アメリカ東海岸でも西海岸でもブームは加速し、Tシャツやポスターなどのグッズ類はいうに及ばず、ジョーズの名前を付けた店や食品が急増したり、政治風刺漫画に『ジョーズ』のサメがたびたび登場する様になったり、へたをすると他の映画の宣伝に引き合いに出されたり、本物のサメのあごの骨が売れたり、サメ漁の専門家たちがTVで引っ張りだこになったりと、あらゆる面で話題の中心に。

ここ日本でも当時前例のない拡大公開を実施、本国から半年遅れの12月に公開され、立ち見でも入れないほどの観客が押し寄せ、配給収入50億円越えの歴代ナンバーワンヒットとなった。この記録は日本国内では『スター・ウォーズ』も破れず、同じスピルバーグの82年作『E.T.』登場まで更新されなかった。

画像: 【『ジョーズ』製作50周年記念特集】スティーヴン・スピルバーグの伝説はここから始まった!

『ジョーズ』

4K Ultra HD+ブルーレイ:6,589 円
Blu-ray:2,075 円
DVD:1,572 円 (税込み)
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
©1975 UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.
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