本作『グランドツアー』は、『熱波』(12)で、ベルリン国際映画祭の国際批評家連盟賞とアルフレッド・バウアー賞を受賞したミゲル・ゴメス監督にとって長編6作品目となる作品。日本を含むアジア7カ国でロケを敢行し、逃げる男と追う女が繰り広げる、魅惑的な追いかけっこを描き出す。第77回(2024年)カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞するなど世界的に高い評価を獲得している。
アフタートークでは、4年の歳月がかかった制作の裏側から、監督の制作手法や映画に関する哲学が垣間見える内容まで幅広く語ってくれた。
脚本が完成する前に、まずはアジアに撮影の旅に出た
――制作には4年かかったそうですね。コロナ禍も挟んでいますが、どのように進めていかれたのでしょうか。
「映画があり、人生があります。実際は人生の方が大切なわけですが。2020年に撮影の一部として、ミャンマーから転々と旅をして、日本を経由して中国に行く予定でした。この日本から中国への渡航の際に“人生”の部分が影響してきたのです。
それはコロナのことです。2020年の1月から2月の5週間にかけて撮影を進めていたのですが、日本から中国への渡航がキャンセルになったのです。皆さんが映画でご覧になられたアジア各地のシーンは、この5週間に撮影したものですね。
撮影で辿ったルートは、劇中のモリーとエドワードが辿ったものと同じです。脚本は未完成でしたから、どんなシーンになるかはわからないまま、ルートだけまず辿っていったのです。
日本から中国に入って向かいたかったのは、四川省です。それが終着点の予定でした。中国ではゼロコロナ制作で入国に制限がかかり、それから2年経っても私達は入れない状態だったので、中国の撮影チームにお願いすることになりました。私がリスボンからリモートで監督し、中国の撮影チームが上海から四川省まで3,000km遡って撮影してくれたのです。
中国の撮影が終わった頃には脚本がありました。アジアでの撮影が終わってから、脚本を基に、リスボンとローマのスタジオで撮影を行ったのです。撮影がすべて終わり、編集などポストプロダクションを経て、映画は完成しました。実に4年の歳月がかかりました」

ミゲル・ゴメス監督
――作品の下敷きはウィリアム・サマセット・モームの「パーラーの紳士」とのことですが、作る上で抜粋したエピソードや、付け加えた大きな創作の部分についてお聞きできますか。
「(『パーラーの紳士』は)カンボジアやタイ、ビルマなどを旅行した際に見たものを記した典型的な旅行記なのですが、出会った人についても記されています。(映画の下敷きにした)お話自体は3ページくらいの、イギリス人男性とのことについて書かれた部分です。
その男性がビルマにいた際、イギリスから婚約者から来たのですが、結婚しなくてはならないとパニック状態になり、逃げてしまった。そして数か月逃げた末、フィアンセの方につかまって結婚したという結末のお話です。
本を読んで得たそのようなプロット、そして彼らが辿ったルート。この2つの情報はあったのですが、それ以外の部分は一から作っていったものです」

草野なつか
――撮影に入る前にスタッフやキャストへオーダーしたり、リファレンスは何か提示しましたか。
「特になかったです。他の私の映画もそうですが、ちょっとしたアイデアから始めていきます。どのように積み重ねて、最終的に一つの映画にしていくかは毎回考えています。脚本を書いて、撮影して…というクラシカルな映画の作り方を基本的に私はしないんです。
旅行記だから私たちもまずは旅をしようと考えて、ルートを辿ってみようと。旅行記の部分と男女のストーリーの部分は、実際には2つの映画なのですが、それを1つにできるのかという疑問を抱えながら制作を進めました。やってみないと答えは出ない、というのは私の考えです。
今となっては2つのものを1つの映画にすることができたと思っていますし、ご覧いただいた通りです。良かったのか悪かったのかは、私からは何とも言えませんが、観客の皆様お一人お一人に答えがある事だと思います」
実在の強盗のエピソードから興味が湧いた「マイ・ウェイ」
――ミゲル監督の作品は多くがそうだと思いますが、ドキュメンタリーでのパートとフィクションのパート、映し方が異なるパートなど、まったく違う性質のものが存在しているはずなのに、レイヤーとして分かれて見えない。だんだんと融合していくのが凄く好きなのですが、この映画はその部分がとても顕著でした。
「お褒め頂き嬉しいです。私自身は、何かを融合させる才能があると思っていません。意外と、物事はそう成り立っているんじゃないかと。一例をお話しますと、映画にも出てきた虚無僧の方とお話をしたときのことです。
『なぜ虚無僧になろうと思ったのですか?』とお尋ねしたところ、『時代劇を観て、なろうと思いました』とお答えいただいたんです。驚きました。実際、現代にも虚無僧の方はいらっしゃいますが、その方はフィクションがきっかけだったのです。
物質的なリアルとフィクションが入り乱れているということが興味深かったです。なので、私が自分で努力して何かをミックスしようしているということでもないんです」
――現実とフィクションのミックスの部分で言うと、音楽が毎回印象的です。今回はカラオケで歌う人が何人か出てきますね。私は特に「マイ・ウェイ」を熱唱している方がお気に入りです。旅先で出会ってお願いされた方なんでしょうか?また、あの方が最後泣くのはその場で起きたことで、それを活かしたのでしょうか。
「劇中の音楽は、これといった理由で採用したのではなく、リサーチの段階や撮影中に入れたものもあれば、編集の段階で取り入れたものもあります。意識して入れたものも偶然入れたものもあって、一定の何かがあるものではないんです。
『マイ・ウェイ』の話をさせてもらいますね。15年から20年前に、撮影監督の一人、ルイ・ポサスさんに聞いた話です。
彼がマニラにいた際、あるバーで飲んでいたら、荒くれた者に拳銃を突き付けられた。つまり強盗です。すると強盗に“『マイ・ウェイ』を歌ってみろ、最高得点を取れたら物は盗らない”と言われたそと。本人が言うには、歌って最高得点を取ったそうで。命も助かって、最高得点が出たときのシステムでバー全体に一杯おごりがあったと。私はその話が信じられなくて“嘘つき!”と言いましたけど。
その後のことです。今から5年ほど前ですが、新聞で“『マイ・ウェイ』ギャング逮捕される”という見出しの記事を見つけて。本当にそういうグループがいたということが書かれていました。その新聞は非常にきちんとした新聞です。トランプ大統領の記事が出るようなものではなく。それで本当に興味が湧いたんです。フィリピンの人々にとって『マイ・ウェイ』とは何なのかと。
各国の撮影では現地のプロデューサーに案内してもらったのですが、フィリピンでは“カラオケが好きな人を集めて欲しい”とお願いしました。実際現地で撮影して、一番歌が上手い方を指名して、“ここに来て欲しい”と赤線地帯にあるバーに来てもらって『マイ・ウェイ』を歌ってもらったのです。
あとはご覧のとおりです。カメラをセットして、歌ってもらいました。1テイクですべて撮影し、ご本人は感極まって泣かれたんです。撮影を終えて、ご本人に感謝して私たちはホテルに戻ったわけですが、『マイ・ウェイ』がなぜフィリピンの方の感情を揺さぶるのかは、実は未だよくわからない状態です」
――(笑)。本当に感情を揺さぶられるシーンでした。
「私もその場にいて感動しました。こういった出来事は非常に不思議ですよね。撮影監督から聞いた話、リスボンで読んだニュース、そして撮影。振り返れば、すべてが驚きに包まれていて、なぜ感動を与えるのかはわからないままです。人生とはこういうものなのかなと思います」
フィクションは、“死”に打ち勝つ力を持っている
――偶然のできごとはみずみずしく、魅力的に映りますよね。ですが、すべてを映画に採用するわけにもいかないと思います。作品によって違うと思いますが、起きた偶然を作品に入れる基準や担保になっているものはありますか。
「『偶然』とも実は思っていないんです。物事は繋がっていてリンクしている。リンクしている糸を辿っていくような感覚なんです。もちろん一生懸命辿っていかなければなりません。朝起きて、偶然から面白いことが起きることは中々ありません。まず、出来事を受け入れるような心の余裕を持つことですね。
映画は時として、機械のように効率を求められることがあります。アメリカの制作方式は『Timeis money』ですね。早く目的に到達することを目指すと、撮影クルー全員が脚本とにらめっこして、決められたスケジュールどおりに撮影を動かしていくことになります。そうすると、目の前にゾウが10匹目の前を通ってもカメラで撮影する余裕すら持てません。物事を受け入れる余裕は持ちたいですね」
――勉強になるお話ばかりです。ミゲル監督の映画を観ていると『祝祭』や『儀式』といったワードが浮かんでくることが多いです。ミゲル監督が仰られている、フィクションと現実との関係や、撮られた作品と撮影現場の現実、そういったこととリンクするのではと思っています。今回の映画で言えば、結婚は一つの儀式ですし、アジアの人形劇や影絵。祝祭ではなくともハレの場のようなものがあります。採用される理由などお聞きしたいです。
「こういう質問にお答えするのは大好きです。結婚式は確かに儀式です。非常に興味があります。過去の作品では村のお祭りを次から次へと撮っていった作品もあります。自分の知らない世界があって、独自の規範(コード)に非常に惹かれるんです。自分と遠い世界だから撮りたいということは確かにありますね。
ですが、こうした儀式や祝祭以上に評価されない事実が私の作品の根底にはあります。それは“自分が生きている”という事実です。役者も私も、観客の皆さんも生きている。死んでいたら映画は撮れません。基本的なこの価値は私が大切にしていることです」
――ラストシーンに鳥肌が立つくらい感動しました。今までの話にもつながるのですが、人生にフィクションが波及する力についてお聞きできませんか。
「フィクションは素晴らしいです。死に打ち勝つ力を持っています。映画にもありますが、操り人形は、話の中で死んでまた生き返ることができます。上映がある回数だけ、1日に何度も。
とはいえ、あくまでフィクションの存在ですので、そうした不死である能力を、骨と肉で出来た私自身に取り替えたいかというと、そうは思わないでしょう。
私は実は信仰心はありません。ポルトガルで育ったのでカトリックのバックグラウンドはありますが、“奇跡”も信じていません。実際に見たこともありません。しかし、映画の中では奇跡を観たことはあります。映画に対する信仰心はあるのです。
――映画の作り手として人生の支えになるお話が聞けました。ありがとうございました。
「ありがとう」
最後、司会に挨拶を求められると監督は「最後の一言には反対します。なぜなら最後の一言は観客が発するべきです」と答え、それに観客も拍手で応じ、アフタートークは終了した。

映画『グランドツアー』予告編|2025年10月10日(金)公開
www.youtube.com『グランドツアー』
10月10日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開
配給:ミモザフィルムズ
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