人気俳優としてだけでなく、監督、製作者として、そして重要な映画祭の主宰者としてもアメリカ映画界に多大な功績を残したロバート・レッドフォード。その偉大な足跡を今一度振り返ってみましょう(文・米崎明宏/デジタル編集・スクリーン編集部)。
カバー画像:『追憶』より Photo by GettyImages
1936年 8月18日カリフォルニア州サンタモニカに生まれる。
1955年 野球の特待生としてコロラド大学に入学するが飲酒癖が酷く1年半ほどで中退。
1957年 ヨーロッパ各地を転々として、帰国後、NYのアメリカ演劇芸術アカデミーで絵画を学ぶ。
1958年 最初の妻ローラと結婚。彼女との間には4人の子供が誕生(長男スコットは生後二か月で乳幼児突然死症候群で死去)している。
1959年 ブロードウェイ・デビュー。
1960年 多くのTVに端役で出演。映画『のっぽ物語』にも出演したがノークレジット。
1961年 ユタ州に初めて2エーカーの土地を購入。
1962年 『戦場の追跡』(日本劇場未公開)に出演。後に監督となる俳優時代のシドニー・ポラックと共演。
デビュー時代に出演した『戦場の追跡』(右)
1964年 TV「バージニアン」などに出演。
1965年 『サンセット物語』でナタリー・ウッドと共演。
1966年 シドニー・ポラック監督の『雨のニューオリンズ』でナタリー・ウッドと再共演、マーロン・ブランド、ジェーン・フォンダ主演の『逃亡地帯』にも出演。
1967年 『裸足で散歩』でジェーン・フォンダと再共演。
1969年 ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に向って撃て!』でポール・ニューマンと初共演。さらに『夕陽に向って走れ』『白銀のレーサー』にも出演。
大ブレイクとなった『明日に向って撃て!』でポール・ニューマンと

『白銀のレーサー』で共演のジーン・ハックマンと
1970年 『お前と俺』に出演。
1972年 『大いなる勇者』『ホット・ロック』『候補者ビル・マッケイ』と立て続けに主演。
ユタ州で撮影された『大いなる勇者』に主演
1973年 再びジョージ・ロイ・ヒル監督、共演ポール・ニューマンとトリオを組んだ『スティング』に主演。バーブラ・ストライサンド共演のロマンス映画『追憶』と共に大ヒットを記録。
オスカー主演男優賞候補となった大ヒット作『スティング』でニューマンと再共演
バーブラ・ストライサンドと共演した『追憶』
1974年 『スティング』がアカデミー賞作品賞ほか受賞。レッドフォードも主演男優賞候補に。さらに『華麗なるギャツビー』に主演。
主演作『華麗なるギャツビー』も大ヒット
1975年 ポラック監督の『コンドル』、ロイ・ヒル監督の『華麗なるヒコーキ野郎』の2作に主演。
1976年 レッドフォード自身が原作映画化権を購入した『大統領の陰謀』にダスティン・ホフマンと共演し、大ヒット。
製作当初から携わった問題作『大統領の陰謀』(左から2人目)
1977年 『大統領の陰謀』がアカデミー賞作品賞ほかで候補に。脚色賞など4部門で受賞。オールスター共演の戦争大作『遠すぎた橋』に出演。
1978年 レッドフォード主催による第1回の「サンダンス映画祭」(当初は「ユタ・US映画祭」の名称)開催。
1979年 『出逢い』でジェーン・フォンダと再共演。
『出逢い』で共演のジェーン・フォンダと
1980年 『ブルベイカー』に主演。初監督作『普通の人々』が全米公開。絶賛される。
1981年 『普通の人々』でアカデミー賞作品賞、監督賞受賞。
初監督作『普通の人々』でいきなりオスカーを受賞
1984年 久々の主演作『ナチュラル』公開。本作の宣伝で初来日が実現。
『ナチュラル』では野球選手役を
『ナチュラル』の宣伝で初来日し会見場は超満員に
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