ラッセル監督の作曲家シリーズの代表作
英国映画界の異才といわれたケン・ラッセル監督が、その生涯に渡って愛したのは音楽だった。特にクラシック音楽に情熱を注いだことで知られている。
BBCでドキュメンタリーやドラマを作っていた1960年代は『エルガー』(1962)や『ソング・オブ・サマー』(1968)など、英国の作曲家にも焦点を当てた斬新な傑作を作り、その大胆な映像作りが話題を呼ぶ。こうした作品は日本でもビデオ化。後者はNHKで放映されたこともある。
劇映画では有名作曲家の評伝映画も作る。『恋人たちの曲/悲愴』(1971)ではピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、日本のミニシアターで大ヒットした『マーラー』(1974)ではグスタフ・マーラー、『リストマニア』(1975、日本ではビデオ公開)ではフランツ・リストが主人公。どれも型通りの伝記映画とはほど遠く、ぶっとんだ作りになっている。
なぜ、そうなるのか、というと、ラッセルは伝記的な事実より、その作曲家の音楽にインスパイアされた内容を映像化するからだ。伝記的な事実をふまえつつも、その曲のトーンに合わせ、作曲家のイメージを映像化する。
かつて日本で最高のラッセルマニアとして知られた評論家の故今野雄二氏は彼のことを「イマジネーションの化け物」と呼んだが、確かにその映像の爆発力が彼の個性でもあった。
そのせいか、当時は「妄想だけで作っている自己満足的な映画」と良識派の評論家にはすごくたたかれることもあった。『恋人たちの曲/悲愴』のコンセプトに関してラッセル自身は「同性愛の作曲家とニンフォマニア(色情狂)の妻との関係を描いた作品」と呼んでいて、このアイデア自体が、当時は問題視された。
未来を先取りしていたケン・ラッセル
しかし、公開から50年以上たってみると、その視点に先見の明があったことが分る。
それを逆の意味で証明してみせたのが、日本では2024年に上映されたロシア映画『チャイコフスキーの妻』(2022)で、ここではチャイコフスキーが同性愛者として登場する。この映画のプレスによると、チャイコフスキーが同性愛であったことは、長年、ロシアではタブー視されていたという。
しかし、時代が変わり、才能ある新世代の監督キリル・セレブレンニコフ(『LETOレト』)がこうした映画を撮ることができたというわけだ。
この映画に登場する妻のアントニーナは、この作曲家への憧れから結婚する。しかし、夫は女を愛せない人物だったことが分り、結婚は崩壊する。そのタイトル通り、妻の立場から描かれた作品で、鋭く冷徹な視点が光る作品だった。

チャイコフスキー(リチャード・チェンバレン)とニーナ(グレンダ・ジャクソン)の結婚式
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そして、この映画の登場によって、改めて『恋人たちの曲/悲愴』が時代の先を行った映画であったことも証明された。
現代のロシア人が作った『チャイコフスキーの妻』は妻の立場のみを見ているが、ラッセルが作ったチャイコフスキー映画では、夫婦の両方の立場が描かれる。
イメージの爆発力と音楽、俳優の合体
ケン・ラッセル版で特に鮮烈なのは、新婚のふたりが乗り込む夜行列車の場面だろう。酒に酔った妻は、服を脱ぎ捨て、夫に迫るが、彼はそれを受け入れることができず、その苦痛にゆがんだ顔が映し出される。この場面には、ひとこともセリフがなく、チャイコフスキーの「交響曲第六番・悲愴」に合わせてふたりの激しい葛藤が描写される。
監督は大胆なイメージとドラマティックな音楽、そして、俳優の肉体を融合させることで夫婦の本質的なすれ違いを映しだす。この場面以外にも、音楽と映像と俳優の存在感で見せる場面が多く、後半では指揮者のチャイコフスキーをめぐる場面で再びラッセル節が炸裂!
チャイコフスキーの曲に現実が重なる
そこでは「序曲 1812」が流れ、主人公をめぐるさまざまな人間模様が交錯し、ポップでシュールなイメージが次々に出てくる(このあたりのぶっ飛び方は、ザ・フーの革新的なアルバムの映画化だったロック・オペラの代表作『トミー』(1975)にもつながる)。
チャイコフスキーに憧れるニーナが彼に手紙を書く場面では、この作曲家のオペラ『エフゲニー・オネーギン』からの曲が流れ、ヒロインのタチアーナがオネーギンに情熱的な手紙を書く場面と映画のニーナのイメージが重なる。
この作曲家の最も有名な曲といえば、バレエ「白鳥の湖」。主人公と妻がそのバレエを見る場面では、作品中の白鳥と黒鳥(悪魔)との愛をめぐる関係と劇中での恋愛が合わせて描写される。
チャイコフスキーと3人の女、ひとりの男とのねじれた関係
軸になるのは、チャイコフスキーをめぐる3人の女&ひとりの男の関係だ。どこかグルーピーのような憧れで、チャイコフスキーに近づき、まんまと結婚にもちこむ妻、ニーナ。チャイコフスキーが近親相姦的な愛を抱く妹サーシャ。この作曲家のパトロンとなり、芸術を通じて彼とプラトニックな愛をはぐくむフォン・メック夫人。そして、結婚前にチャイコフスキーのゲイの恋人だった伯爵。
しかし、それぞれの愛は複雑な曲線を描き、妹以外の3人との関係は悲劇的な幕ぎれとなる。
妻のニーナはやがて精神を病み、病院に入ってしまう。一方、チャイコフスキーはコレラで亡くなる。

ニーナ(グレンダ・ジャクソン)はチャイコフスキーに情熱的なラブレターを送る。
ラッセルがクラシック音楽にめざめたきっかけはクラシック音楽で、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」をラジオで聞いた時。その時、涙を流して感動したという。
この曲を主人公役のリチャード・チェンバレンが弾く場面は劇中にも登場する。
チャイコフスキーの「悲愴」をベースにした作品
そして、この映画を作る時に考えたのは遺作である「悲愴」を軸にすること。1989年に英国で出版された自伝的なエッセイ集「A British Picture」(ウィリアム・ハイネマン社より刊行)の中で「チャイコフスキーの人生は『悲愴』に集約されている」と語るくだりがあり、この曲を全体のベースにして、映画を構想したのではないかと思う。
この曲は前述のように夫婦が夜汽車で性の葛藤を体現する場面に流れるが、後半にも出てくる。晩年となり、チャイコフスキーは自身の交響曲を「悲劇」という題にしようと考えるが、別の家族のアイデアで「悲愴」になる。彼は自身の人生を悲痛なものだったと考えている。
そして、コレラで倒れた彼は途中で見捨てた妻、ニーナとの関係をふり返り、「本当は彼女を愛そうとしたんだ」とつぶやく。
そんなニーナは精神病院にいて、狂気の世界を漂いながら、自分がチャイコフスキーの妻だったことを自身のよりどころにしているように思える。
彼の死の9日前に書かれた「悲愴」が胸に奥にしみわたる幕切れだ。チャイコフスキーの芸術家としての純粋さや繊細さ。ニーナの夫に裏切られた痛みにも、監督は寄り添い、ふたりをけっして悪者にはしていない。映像はぶっとんでいるものの、根っこはロマンティストの監督であることも伝わる解釈になっている。
また、パトロンとなるフォン・メック夫人とチャイコフスキーとの究極のプラトニック・ラブには、監督が後に撮る『狂えるメサイア』(1972)の実在の若き芸術家アンリ・ゴーディエと年上の女性との肉体関係なき純愛に通じるところもある。
さらにチャイコフスキーがコレラで亡くなった母を思い出し、いつも不吉な死の幻影に捕らわれているあたりは『マーラー』をも思わせる。

チャイコフスキー役のリチャード・チェンバレンはピアノを弾く場面に備えて、「ピアノ協奏曲第一番」を聞きながら、日々、指を動かす練習を重ねたという。
チャイコフスキーという大作曲家のかかえる繊細な感情と芸術家としての葛藤を見つめ、彼にかかわった人間関係をセリフではなく、映像と音楽を主体に撮っているところが、この映画の斬新さ。音楽を聞きながら、この作曲家の人生をたどれるので、見終わると人生だけではなく、音のインパクトも強く残る。
そこにケン・ラッセルという監督のすごさがある。彼は音楽映画の革新者で、それぞれの音のイメージを見事に視覚化していた。そして、女性の描写にも、独自の個性を見せていた。
ラッセル一家の俳優たち
この映画では妻役のグレンダ・ジャクソンの演技があまりにも壮絶だ。彼女は昨年、日本でも公開された遺作『2度目のはなればなれ』(2023)では、マイケル・ケインと夫婦役を演じて、そのタフな魅力を久しぶりに見せてくれたが、ここでは若きの日の熱演を目撃できる。
彼女はラッセル一家の俳優でもあり、監督と初コンビを組んだ『恋する女たち』(1969)ではアカデミー主演女優賞も受賞。その後も『ボーイフレンド』(1971)や『サロメ』(1988)、『レインボウ』(1989)など多くのラッセル作品に出演。
他にもチャイコフスキーの恋人役の伯爵役のクリストファー・ゲイブル、音楽家ルービンシュタイン役のマックス・エイドリアン、チャイコフスキーの兄弟役のケネス・コリーなど、ラッセル一家が総出演。彼はこうした常連の俳優たちを大事にする監督でもあった。
主演のリチャード・チェンバレンは、『三銃士』(1973)やテレビ映画『将軍 SHOGUN』(80)でも知られるアメリカの俳優。ラッセルの抜擢で『恋人たちの曲』で大役を演じた彼は期待以上の好演を見せている。
ラッセル一家とロンドンで遭遇
また、子役で出演しているヴィクトリア・ラッセル、グザヴィエ・ラッセルらはラッセル自身の子供でもある。
ヴィクトリアは後に父親の『ゴシック』などで衣装も担当。グザヴィエは音楽活動なども行っている。
2023年に英国の学術系の老舗出版社、、エディンバラ大学出版局より刊行の研究書
ReFocus:The Films of Ken Russell 編者マシュー・メリア(キングストン大学)
14人のラッセル研究者や関係者が、多角的にラッセル作品を検証。筆者も英文にて寄稿(第13章担当)。
そんなグザヴィエと筆者は2023年のロンドンのキングストン大学で行なわれたケン・ラッセル関係のイベントで会った。このイベントはこの年にエディンバラ大学出版局より刊行された“ReFocus:The Films of Ken Russell”の出版記念として行われたもので、実は筆者も寄稿者のひとりとして英文寄稿。そのイベントにグザヴィエも参加した。

2023年、ロンドン郊外のキングストン大学で行われたケン・ラッセルの研究書の出版イベント(エディンバラ大学出版局より刊行)。筆者(前列・右から3番目)の左後にいるのがケンの息子のグザヴィエ・ラッセル。前列左から2番目がプロデューサーのモーリン・マレー、その右隣がラッセルの未亡人、リジー・トリブル・ラッセル。前列1番右はラッセルのBBC時代の映像編集者で重鎮のロジャー・クリテンデン。
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他にもラッセルの未亡人のリジー・トリブル・ラッセル、映像編集者のロジャー・クリテンデン、プロデューサーのモーリン・マレー、ミュージシャンのデイヴィッド・マスギルなど、ラッセル映画にかかわったことがある人々が集まり、本の寄稿者である研究者たちと交流した(筆者とリジーさんとの交流はいまも続いている)。
ラッセルがファミリー的なつきあいを大事にしている監督だったことが実感できた会でもあった。

ケン・ラッセル監督にいただいたサイン。1987年のぴあ主催、ケン・ラッセル・レトロスペクティヴのため監督は来日し、取材に応じてくれた。その時の監督写真は連載のケン・ラッセルのpart 1(File 11)を参照のこと。
1987年、東京で行われた<ケン・ラッセル・レトロスペクティヴ>のために来日したラッセル監督に会う機会があったが、その時、自身の音楽観をこう語っていた――「(ロック映画の)『トミー』は映画そのものの出来栄えは気にいっているけど、ロックは音楽としてはそれほど好きになれないね。クラシックやジャズは何度も繰り返し聞けるけど、ロックは一度でいいという気になる」
そして、ラッセル自身が作る多くの音楽映画は、彼が好きな音楽そのものに似ていて、繰り返して見ても飽きることがない。
(ケン・ラッセルのコラムpart 1は下のFile 11をご覧ください)

『恋人たちの曲/悲愴』
監督ケン・ラッセル、脚本メルヴィン・ブラッグ、撮影監督ダグラス・スローカム
出演リチャード・チェンバレン、グレンダ・ジャクソン、クリストファー・ゲイブル、
マックス・エイドリアン、ケネス・コリー
1971年/英国/124分/1080P HD 16 :9 シネスコ
Bru-ray、DVD発売 株式会社アイ・ヴィ・シー 5800円(税抜き)
www.ivc-tokyo.co.jp
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