『ナースコール』はひとりの女性看護師の視点に立ち、スイスのとある病院における切迫した実状をまざまざと描く。スリリングで緊迫感あふれる社会派ヒューマン作品である。実際の病院で入念なリサーチを実施し、脚本も担当したペトラ・フォルペ監督にインタビューを敢行。本作に込めた思いを語ってもらった。(取材・文/ほりきみき)

病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

──本作を拝見して、看護師の仕事の過酷さだけでなく、患者側の「声を上げなければ忘れ去られてしまうのではないか」という不安も強く感じました。監督は医療現場を取材されていますが、その中で最も衝撃を受けたことは何でしたか。

まず患者についてですが、スーザン・ソンタグが「病気になると、私たちは別の国の市民になる」と言っていますが、病院ほど孤独を感じる場所はないのではないかと私は思っています。特に重い病気にかかった人は、どんなに家族がそばにいても、病と向き合うのは結局ひとりです。夜はとりわけ孤独が深まります。

だから私は、この映画に登場するすべての患者を裁くことはできませんし、したくもありません。苛立っている男性の患者も含めて、全員の気持ちが理解できます。彼はただ、とても怖かっただけなのだと思います。自分の感情をどう扱えばいいのかわからなかっただけなのです。

病院という場所は、ふたつのものがぶつかり合う場所でもあります。患者やその家族にとっては、人生が一変するかもしれない非常に特別で、実存的な危機の瞬間です。一方で、看護師にとってはそれが日常であり、毎日の仕事です。この「非日常」と「日常」が交差する場所が病院なのです。

画像1: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

取材をしていて特に印象的だったのは、患者さんはできるだけ長く看護師を自分の部屋に引き留めようとするということでした。看護師は質問に答えてくれますし、安心を与えてくれる存在だからです。でも看護師は次の仕事があり、すぐに部屋を出なければなりません。このすれ違いが、患者さんのフラストレーションを生みますが、それもまたとても自然な感情だと思います。

「最もショッキングだったこと」と言えるかどうかはわかりませんが、私が心から圧倒されたのは、看護師の仕事の強度と複雑さでした。医療、技術、薬学といった専門的な知識が必要なだけでなく、同時に非常に高い人間的・心理的な感受性も求められます。

この患者には歌が必要なのか、ユーモアなのか、情報なのか。それを瞬時に見極め、対応しなければならない。その姿は本当に畏敬の念を抱くものでした。私は取材を終えて、世界中でこの仕事を担っている何十万、何百万もの、主に女性である看護師たちに対して、以前にも増して深い敬意を抱くようになりました。

画像2: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

──本作にはスリラーのような緊張感のある演出と、社会派ドラマとしての側面の両方があると感じました。この二つのバランスは、どのように考えて作られたのでしょうか。

看護の物語を語るうえで、最初から「重い社会派ドラマ」にしたいとは思っていませんでした。私にとって映画とは、観客をどこかへ「誘うもの」であるべきだからです。病気や病院というテーマは、それだけで距離を感じてしまう人も多い。だからこそ、映画としての引力が必要だと思いました。

長いあいだ、どんな形で物語を語るべきかを探していましたが、マデリン・カルベラージュの著作を読んだときに、その答えを見つけました。彼女はひとつのシフト、つまり看護師の一勤務だけを描いているのですが、それがまるでスリラーのように感じられたのです。「これだ」と思いました。看護師は毎日、スリラーの中を生きているのだ、と。

つまり私は、スリラー的な要素を無理に付け加えたわけではありません。看護の仕事そのものが、すでにスリラーなのです。ひとりの看護師に対して多くの患者がいて、すべてが命に関わる状況です。その設定自体が、強いドラマと緊張感を自然に生み出します。

脚本は非常に精密に構築されています。まるでコンピューターゲームやドミノ倒しのように、ひとつの小さな遅れが連鎖反応を起こしていく構造です。たとえば、最初に同僚を助けたことで数秒遅れたことが、その後のすべてを狂わせていく。これは映画的な仕掛けであると同時に、今日の看護師たちが直面している現実そのものでもあります。

だから「スリラーと社会派ドラマをどうバランスさせたか」というよりも、現実を正確に描こうとした結果、自然にスリラーの形になった、という感覚に近いかもしれません。看護師の仕事の現実には、それだけの緊張と切迫感が常に内包されているのです。

画像3: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

──冒頭でナースウェアが次々と流れていくシーンがとても印象的でした。あの場面には、どのような意味を込められているのでしょうか。

あの映像を最初に見たとき、非常に強いイメージだと感じました。制服を洗浄している場所なのですが、そこには何百着ものナースウェアが流れていきます。それはまるで「小さな兵士たち」の行進のように見えました。

そして、ひとつひとつの制服の背後には、必ずひとりの看護師がいます。でも私たちは普段、看護師を「ひとつの集団」としてしか見ていないことが多い。個々の人生や個々の負担、個々の犠牲について、あまり意識していないのではないかと思うのです。

このシーンは、そのことへのメタファーです。どれほど多くの人がこのケア労働を支えているのか、そしてその仕事がどれほど過酷で、個人に大きな代償を強いているのかを、ひと目で伝えられる映像だと思いました。

また、このオープニングは、映画のラストで示される「世界的な看護師不足」という数字とも呼応しています。ひとりの看護師の物語を描きながら、同時に、これは世界規模の、普遍的な問題なのだということを示したかった。その意味で、非常に象徴的で、強いメタファーとなるシーンでした。ひとつの物語を通して、グローバルで普遍的な現実を語る。そのための導入として、あの映像はふさわしいものだったと思っています。

画像4: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

──医療現場を扱った作品はこれまでも数多くありましたが、『ナースコール』ならではの視点はどこにあるとお考えでしょうか。

この作品が特別なのは、物語の中心に「看護師」を置いていることだと思います。実は、看護師を主人公に据えた映画はとても少ない。あったとしても、どこか極端な描かれ方をされていることが多く、現実の看護師の仕事や専門性が真正面から描かれることはほとんどありません。

テレビドラマや映画では、医療の物語はほとんどが医師中心です。看護師は背景にいて、点滴を替えたり、医師と恋に落ちたり、あるいは極端な場合には危険な人物として描かれたりすることもある。そうした表象は、看護師という仕事の本質を大きく歪めていると思います。

私たちはこの映画で、看護師の「職業としてのプロフェッショナリズム」と「日常のドラマ」を正面から描きたかった。彼女たちの仕事の美しさ、尊さ、そして同時に、その過酷さや限界までも含めて描きたかったのです。

看護師の仕事は、医療技術や知識だけでは成り立ちません。人間に寄り添い、感情を受け止め、瞬時に判断し、支え続ける仕事です。その現実は、ほとんど映画の中で描かれてきませんでした。

そして本作は、社会的なテーマを扱いながらも、同時にスリラーとしてのエンターテインメント性も持っています。その緊張感やテンポがあるからこそ、多くの人に届く映画になり得たと思います。

看護師の仕事を「祝福する」こと、そしてその現実を正確に伝えること。その両方を同時に成し遂げようとした点が、『ナースコール』の最も大きな独自性だと思っています。

画像5: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

──本作を制作することで、監督ご自身の医療現場や看護師の方々に対する見方は、撮影前と後で変化はありましたか。

正直に言えば、私は看護師の仕事を「知っているつもり」でいました。多くの人と同じように、看護師という職業を当たり前の存在として受け止めていたのだと思います。でも実際にリサーチをして現場を体験してみて、この仕事がどれほど極端に複雑で、高度で、そして重い責任を背負っているのかを初めて本当の意味で理解しました。

私たちは知識として「大変な仕事だ」と分かっていることが多い。でも、知っていることと、深く理解することは全く別だと思います。映画の力とは、その「深い理解」に到達させることにあると私は思っています。知的に理解するだけでなく、感情として理解すること。その両方が重なったとき、人は初めて物事の本質に触れられるのだと思います。

今回の作品を通して、私は初めて、看護師の仕事が彼女たち自身にとってどんな意味を持つのか、そして患者にとってどれほど大きな意味を持つのかを、感情のレベルで理解しました。同時に、もしこの仕事が本来あるべき形で行えなくなったとき、つまり人手不足や制度的な問題によって十分なケアが提供できなくなったとき、どれほど深刻な結果が生まれるのかも強く実感しました。

だからこの映画は、看護師の献身を称える作品であると同時に、労働環境や医療体制そのものを問い直す作品でもあります。彼女たちが本当に必要とされる仕事を、きちんとできる環境を整えなければならない。そのメッセージを、観客に「感じてもらう」ことが、私にとってとても大切でした。

映画を通して、「看護師の仕事とは何か」「ケアするとはどういうことなのか」「社会がこの仕事をどう支えるべきなのか」を、観る人自身が自分の問題として受け取ってくれたらと願っています。

画像6: 病院は「非日常」と「日常」が交差する場所

<PROFILE> 
ペトラ・フォルペ PETRA VOLPE (脚本・監督)  
ポツダム=バーベルスベルクのコンラート・ヴォルフ映画テレビ大学で学び、2014年に「Dreamland(英題)」で長編映画デビュー。2017年に発表した「The Divine Order(英題)」は、スイス国内で高い興行成績を収め、30か国で公開され第90回アカデミー賞国際長編映画賞のスイス代表に選出され、世界的な注目を集めた。また、映画『ハイジ アルプスの物語』(15)、 スイスの人気TVドラマシリーズ『ラビリンス1945 平和の虚像』(20)、2022年スイス・ドイツ語圏でもっとも成功した映画「The Golden Years(英題)」(22)の脚本も執筆を手掛けている。   ベルリンとニューヨークに拠点を置いて活動。スイスでのプロジェクトに加え、アメリカでも脚本家・映画監督として活躍中。4本目の長編映画「Frank & Louis(原題)」が2026年サンダンス映画祭でお披露目された。

画像: ©Salvatore-Vinci

©Salvatore-Vinci

『ナースコール』2026年3月6日(金)より ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開

画像: 2026年3月6日(金) 劇場公開 『ナースコール』予告編 youtu.be

2026年3月6日(金) 劇場公開 『ナースコール』予告編

youtu.be

<STORY> 
とある州立病院の外科病棟に出勤したフロリアは、プロ意識が強い看護師だ。人手不足が常態化している職場はただでさえ手一杯だが、この日の遅番のシフトは普段以上に過酷だった。チームのひとりが病気で休んだため、フロリアはもうひとりの同僚と手分けして26人の入院患者を看て、インターンの看護学生の指導もしなくてはならない。それでも不安や孤独を抱えた患者たちに誠実に接しようとするフロリアだったが、患者の要望やクレーム、他の病棟からひっきりなしにかかってくる電話、緊急のナースコールへの対処を迫られ、とてもひとりの手には負えない苦境に陥っていく。やがて極限の混乱の中、投薬ミスを犯して打ちひしがれたフロリアは、さらなる重大な試練に直面することに……。

<STAFF&CAST> 
監督・脚本:ペトラ・フォルペ 
出演:レオニー・ベネシュ、ソニア・リーゼン、アリレザ・バイラム、セルマ・ジャマールアルディーン他  
2025年/スイス・ドイツ/ドイツ語、フランス語/92分/2.00:1 (ユニビジウム)/5.1ch/原題:HELDIN/英題:Late Shift/日本語字幕:吉川美奈子/映倫区分:G 
配給: スターキャットアルバトロス・フィルム  
© 2025 Zodiac Pictures Ltd / MMC Zodiac GmbH  

This article is a sponsored article by
''.