18歳が挑んだ奇跡の舞台
──まず、この題材に惹かれた理由を教えてください。
最初は雑誌の記事で知りました。読んだ瞬間、「これはとてもユニークな音楽映画になる」と直感したんです。いまは音楽映画が数多くありますが、その多くはアーティスト本人に焦点を当てています。成功や苦悩、栄光の瞬間を描く。でもこの記事は違った。スポットライトの裏にいた18歳の女性――ヴェラ・ブランデスの物語だったんです。歴史的なコンサートを実現させた人物が、実はほとんど知られていない。その視点の転換に強く惹かれました。
──キース・ジャレットではなく、ヴェラを主人公にした理由は?
彼女が18歳であのコンサートを実現させたという事実は、やはり驚きでした。しかも当日は数々のトラブルに見舞われ、使用されたのは“壊れたピアノ”だった。私はそこに、映画制作との共通点を感じました。撮影現場でも毎日のように想定外の問題が起こります。予算の制限、時間の不足、機材トラブル。いわば“壊れたピアノ”の連続です。
でも興味深いのは、そうした制約があるからこそ創造が生まれるということです。完璧な条件よりも、不完全な状況のほうが、かえって新しい表現にたどり着くことがある。ヴェラの物語は、単なる音楽史の逸話ではなく、創造の本質を語っていると感じました。

──ヴェラ本人にも取材されたそうですね。
はい、8時間ほどインタビューをしました。私は当然、コンサート当日の詳細やキースとのやり取りについて多くを聞けると思っていました。
ところが彼女は、どんな話題から始めても、必ず父親の話に戻っていくんです。最初は少し意外でした。父親は歯科医で、彼女にも同じ道を望んでいました。10代で音楽に没頭し、コンサートを企画する娘を強く否定していた。映画の中でも、彼は何度も彼女の前に立ちはだかる存在として描かれています。
最初は、「芸術を志す若者が親に反対されるというのはよくある話だ」と考えていました。けれど脚本を書き進めるうちに気づいたのです。難しい父親との関係こそが、彼女を鍛え、年上で気難しい男性たち――とりわけキース・ジャレット――と渡り合う力を育てたのだと。父親という“壊れたピアノ”があったからこそ、彼女は困難に対処する術を身につけた。キースが「このピアノでは弾かない」と言ったときにも、どう向き合えばいいのかを本能的に理解していた。問題が、やがて解決への鍵になる。その構造に気づいたとき、私は大きな驚きを感じました。
──1975年という時代背景も印象的です。
私は何かを“代表させよう”としたわけではありません。ただ、ヴェラ・ブランデスという一人の人物を描きたかったのです。
とはいえ、彼女は当時のドイツ社会における世代間の緊張を体現する存在でもあります。戦争を経験した親世代と、その価値観に疑問を抱く若い世代との対立。親の言うことを無条件には受け入れない若者たち。そうした空気がありました。
また、第一波フェミニズムの時代でもあります。若い女性が「自分には何が可能なのか」と境界を押し広げていく。その姿もヴェラの物語には含まれています。
けれど私は、社会的テーマを説明するための映画を作ろうとしたのではありません。ただ彼女の話に耳を傾け、彼女の視点から世界を描くことに集中しました。その結果として、時代の空気が自然ににじみ出てくることを望んだのです。

──ヴェラの物語とキースの旅が並行し、最後に交差する構成については?
実は、「構成をこうしよう」と意識的に選択したわけではありません。私はこの脚本を、即興音楽のように書こうとしました。ゴダールの言葉に、「政治についての映画を作るな、映画を政治的にせよ」という趣旨のものがありますが、同じように「ジャズについての映画を作るのではなく、ジャズを作れ」という感覚で臨んだのです。
だから、最初から明確な設計図があったわけではありません。ヴェラが語ってくれた物語だけを頭に置き、あとは湧き上がってくるものを書き続けました。本能的に出てきたものを守ることを大切にしたのです。
通常、脚本を書くという作業は“削る”ことでもあります。最初に書いたものを削除し、整えていく。しかし今回は、即興で生まれたものをできるだけ消さないようにしました。
たとえば、物語の冒頭で父親が50歳のヴェラの誕生日に現れる場面。コンサートとは直接関係がありません。普通なら削除するでしょう。でも私は、それが最初に生まれたイメージだったからこそ残しました。
即興演奏では、一度鳴らした音を消すことはできません。前に進むしかない。その感覚で書き進めた結果、今の構成になったのです。
だからこの映画では、登場人物が観客に直接語りかけることもあれば、人物同士の対話もある。ドキュメンタリーのような場面もあれば、アーカイブ映像が差し挟まれ、時にはそれらが混ざり合う。主人公が一時的に姿を消し、また戻ってくることもあるし、ジャズの歴史をレクチャーする瞬間もある。それらはすべて、自由に書き進めた結果です。頭で構成を組み立てたというより、湧き上がるものに身を任せた。その自由さこそが、私にとって最も重要でした。

──本作では、架空のジャズ評論家マイケル・ワッツを通して、キース側の視点が描かれます。
マイケル・ワッツというキャラクターは、キースの仕事がなぜ重要なのかを観客に伝える役割を担っています。1970年代のジャズ評論や当時のインタビュー記事を数多く読み、ヨーロッパで活躍していた数人の評論家を参考にしながら、複数の要素を組み合わせて創造しました。
当時のジャズ評論家たちは、どこか自意識過剰で、自分の役割を非常に重要視している人物も多かった。そこを少しユーモラスに描きたかったのです。堅苦しい講義のようにするのではなく、観客が一緒に笑いながら理解できる存在にしたかった。
ヴェラ本人は、とてもエネルギッシュで人生を楽しむ人です。その生命力を映画にも宿らせたかった。キースのパートはどうしても内省的になりがちですが、マイケル・ワッツを介在させることで、そこにも躍動感を持たせることができました。
──キース・ジャレットの描写についてはどのようにアプローチしましたか。
とても慎重になりました。彼は実在の人物であり、多くの人にとって神話的な存在です。伝記や当時のインタビューを読み込み、彼の語り口や思想を研究しました。さらに弟のクリス・ジャレットにも脚本を確認してもらいました。「兄は本当にこんなふうに話すよ」と言ってもらえたときは、ほっとしました。重要だったのは、彼を神格化することでも、批評することでもなく、一人の人間として描くことでした。

──若いキャストの空気感も印象的でした。
若い俳優たちが「一緒に楽しんでいる」場面を映画で自然に見せるのは、実はとても難しいことなんです。特に経験の少ない若い俳優にとって、撮影現場は大きくて、慌ただしくて、どこか怖い場所です。巨大なトラックや機材が並び、スタッフは皆自分より年上で、常に時間に追われている。そんな環境で「楽しんでいるふり」をするのは、たいていうまくいきません。恐怖や緊張があると、どうしても表面だけの演技になってしまう。
だから私は、撮影に入る前に、彼らが本当にリラックスして互いに信頼関係を築ける環境を用意することが大切だと考えました。現場に入ってからでは遅いのです。
そこで、ドイツの田舎にある家を借り、若いキャスト全員と数日間を一緒に過ごしました。ゲームをしたり、料理をしたり、ただ一緒に時間を過ごす。そして時には、私自身がその場を離れ、彼らだけで関係を築く時間も設けました。
それがとても重要だったと思います。彼らはそこで本当に仲間になり、自然な関係を育んでいった。撮影が始まる頃には、すでに安心感が生まれていて、現場の外でも自然と一緒に行動するグループになっていました。
その結果、友人同士のシーンでは、互いに力を与え合うような空気が生まれた。恐怖は、私たちが映画で実現しようとしているものの最大の敵です。その恐怖が取り払われたことが、何より大きかったと思います。

──映画を完成させた今、改めてアルバムを聴いたときの印象の変化について教えてください。
観客からは「映画を観たあとにアルバムを聴くと、まったく違って聴こえる」と言われます。それは本当に嬉しいですね。映画とレコードは、互いを補完する存在だと思っています。背景を知ることで、音の一つひとつが違って感じられる。
ただ、正直に言うと、私は、今は聴いていません。この5年間、この映画に人生を捧げました。一つの時代を自分の中に築き、深く入り込みました。完成した今は、その時代をそっと閉じ、新しい物語のためのスペースを空けたいと思っています。

<PROFILE>
監督・脚本:イド・フルーク
ニューヨークを拠点に活動するイスラエル出身の映画監督・脚本家。ニューヨーク大学のティッシュ・スクール・オブ・ザ・アーツを卒業。2011年に、若者の自己探求を描いたロードムービーである『Never Too Late』で長編映画デビューを果たし、スイスのフリブール国際映画祭で最高賞を受賞する。2016年に長編2作目となる『The Ticket』を発表。視覚障がい者を主人公にした寓話的な物語で、トライベッカ映画祭でコンペティションに正式出品され、Variety誌では「注目すべき才能」と評された。現在、ジョー・ライト監督と共同でHBOのドラマシリーズ「Empty Mansions」を、また名プロデューサーであるジェームズ・シェイマスと共同で司法スリラー「24 Hours in June」を制作中。本作では、キース・ジャレットの伝説のライヴ「ザ・ケルン・コンサート」開催の舞台裏を、当時18歳だった女性プロモーターを主人公にして描き、第75回ベルリン国際映画祭に正式出品された。
© Estelle Baruch
『1975年のケルン・コンサート』
4月10日(金)~新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次
映画『1975年のケルン・コンサート』本予告|4/10(金)全国順次公開
youtu.be<STORY>
ドイツ・ケルンに住む高校生ヴェラ・ブランデスは、音楽好きでナイト・クラビングも大好き。厳格な歯科医の父親への反抗心もあり、ふとしたきっかけで来独ミュージシャンのツアーをブッキングするバイトを始めることになる。仲間たちの協力を得ながら、持ち前のバイタリティを発揮して仕事が軌道に乗り始めた頃、ベルリンのジャズ・フェスティバルに出向いた彼女は、アメリカの天才ピアニスト キース・ジャレットの演奏を聴き、雷に打たれるほどの衝撃を受け、キースのケルン公演の開催を決意する。いくつもの困難を乗り越えて当日を迎えるが、舞台にはキースが希望していたものではない違う種類のピアノが用意されていて、キースは演奏を拒否。開演時間が迫りくる中、ヴェラは……。
<STAFF&CAST>
監督・脚本:イド・フルーク
出演:マラ・エムデ、ジョン・マガロ、マイケル・チャーナス、アレクサンダー・シェアー、ウルリッヒ・トゥクール、ヨルディス・トリーベル
2025年/ドイツ、ポーランド、ベルギー/ドイツ語・英語/116分 PG12/原題:KÖLN 75/字幕翻訳:石田泰子/字幕監修:ピーター・バラカン
配給:ザジフィルムズ
© Wolfgang Ennenbach / One Two Films




