ネット界を震撼させた気鋭のホラー作家・背筋氏の傑作「口に関するアンケート」が、ついに実写映画化を果たした。メガホンを取ったのは、『呪怨』をはじめ数々の名作で世界のホラーファンを恐怖のどん底に突き落としてきた巨匠・清水崇監督だ。小説と映画――表現の媒体が異なる2人のトップクリエイターは底知れぬ「日常の侵食と混沌」をどのように映像へと昇華させたのか。キャスティングの裏話や、“幻のB案”の存在、そして撮影現場の秘話まで。映画の公開を控えた今だからこそ明かせる、2人の濃密なクリエイティブ・セッションの舞台裏に迫った。(取材・文/ほりきみき)
着想の根底にある「藪の中」、そして「映像化」という挑戦の始まり
──原作小説の着想のきっかけは何だったのでしょうか。
背筋氏(以下、背筋)
もともとは、ポプラ社さんから短編のオーダーをいただいたことが始まりでした。「何か怖い話を」という、ある程度自由度の高いお題をいただいたので、芥川龍之介の「藪の中」のような構造を怪談チックに語ることはできないか、と考えたのがきっかけだったと思います。
正直に言うと、当時のことはあまり覚えていないというのが本音ですね(笑)。その頃はかなり色々な仕事に追い詰められていて、苦しみながら必死にひねり出したのがこの作品だったという記憶もあります。ただ、アイデアの根底にあるのは、やはり先ほどお話しした「藪の中」ですね。
──ご自身の作品が清水崇監督の手で映像化されると決まった時、率直にどう感じましたか。
背筋
率直に、すごくうれしかったというのももちろんありますし、幼い頃から清水監督の作品に親しんできたので、驚きもありました。それと同時に、この原作を「一体どうやって映画にしてくださるんだろう」という、純粋なワクワク感もありましたね。

──監督は原作をお読みになっていかがでしたか。
清水崇監督(以下、監督)
僕も最初に読んだときに直感したのは、「これって『藪の中』、あるいは黒澤明監督の『羅生門』のようだな」ということでした。それと同時に、読み物としてこそ成立している面白さや怖さなのに、一体どうやって映像化するんだろうという怖さも感じました。「映像化したら台無しになってしまうんじゃないか」と。映像化を手がける側としては、引き受けてしまって本当にいいのだろうかと悩みましたね。
でも、これは挑戦しがいがあるとも思いました。お話をくださった田口プロデューサーと話していると、彼も同じように悩んでいる様子だったので、逆に「やってやろうじゃないか!」と火がついて。一緒に作っていけるチームになれそうだと感じましたし、脚本家やプロデューサーの皆さんも意見を出し合ってくれたので、それを取り込みながら、うまく映像化ならではのものを目指せればと思いました。
原作者の「幻のB案」も合流、映画の強みを活かして構築された共同の恐怖
──背筋さんは脚本開発の段階で何か希望を伝えましたか。
背筋
特にはなかったですね。映像にする以上は、映像だからこその良さがきっと生まれるものだと思っていたので、むしろそういう点では、「いろいろと変えていただいて結構です」というスタンスでいました。
──監督は先程、「映像化したら台無しになってしまうんじゃないかという怖さを感じた」とおっしゃっていましたが、脚本開発で一番苦労されたのはどのようなところでしたか。
監督
うーん、一番苦労したのはどこだろう……。いくつもあるんですけど、タイトルにもついている通り、原作は「アンケート」に行き着いて、それも含めて作品になっている。その部分を、映画としてどういう風に映像で表現しようかという点は、プロデューサーとたくさん話し合いました。
あとは、原作ではあえて細かく描かれていないキャラクター性や、どんな顔をしているのかといった部分が、映像になると全部丸見えになってしまいます。その辺りをこちらでどう作り込んでいいのかということにも悩みました。そのため、キャスティングも脚本の進行も含めて、節目節目で原作者の背筋さんにも意見を伺いながら進めましたね。
そうやって進めさせていただけたので、「これでいいんだよね」と確認ができて少しずつ安心できましたし、それは原作者である背筋さんが懐広く受け入れてくれたからこそだと思っています。

──映画は原作とは時系列が大きく違い、キャラクター的には原作を読んだことがある者にとっては驚くような変更がありました。その辺りについてお聞かせください。
監督
ネタバレになる部分があるので言い方に気をつけないといけないのですが、実は背筋さんが原作を出版される前に迷われた、世に出ていない「B案」というものがあったそうなんです。
その存在を聞いて、「それを読ませてもらうことはできますか?」と相談したところ、快く読ませてくださって。その中にあった発想を「映画でも取り込めないか」ということで、取り入れさせてもらったんですね。
脚本に組み込むのは結構大変な作業ではあったのですが、そこが実は原作にはない大きなポイントになっています。原作を読んで楽しんでくださった方にも、さらにちょっと違ったテイストを味わってもらえればと思って取り入れたのですが、実はそこにもちゃんと原作者の「B案」というルーツがあった、というのが、ネタバレはできないのですが、この映画のからくりです。
──監督は脚本もお書きになりますが、今回は脚本家の山浦(雅大)さんが脚本を書いていらっしゃいます。自分には書けない面白さや、「こういう風に書いてくるんだ」と感じたところはありましたか。
監督
山浦さん独特の表現や書き方はありました。独白証言の台詞は映画になると単なる説明に陥りがちですが、原作のテイストを失わないバランスで各自に生きたキャラクターを吹き込みながらネタバレや含み、曖昧さを持たせてくれたなと思います。
山浦さんは、ホラーが初との事だったので、恐怖描写と展開のさせ方に関しては、僕が発想した形も多く取り入れています。頭に浮かんだ映像表現を口頭で伝え、ト書きや台詞の文字による文章に書き起こしてもらったりもしました。
具体的には、図書室の描写は全部そうです。あと、キャンパスのシーンもほぼそうかな。それから、高架下で翔太が杏の亡霊のようなものと出くわすシーンなどもそうですね。

──完成した脚本をお読みになって背筋さんはいかがでしたか。
背筋
なんと言うか、すべて完成したものを最後にまとめて拝見したというよりは、やはり途中途中で細かく確認を取りながら進めていただいていたので、そういう意味では、あとは本当に「映像を見るのが楽しみだな」という気持ちでした。
脚本はどうしても文字情報なので、これが実際の「画」として撮られたときに、一体どういうふうに見えるのだろうかとワクワクしていましたね。
──脚本を読んで、「これは文字では表現できないな」と思ったところありましたか。
背筋
媒体によってできること、できないことがあると思うんですよね。文字だとあえて余白を残して、読み手に想像してもらえる怖さというのがある一方で、映像はある種、観客全員に同じ「像」を結ばせることが可能です。だからこそ、強いものを提示したときに、みんなが一様に怖がることができるという、一種の「共同性」のようなものを生み出せるのが強みだと思います。
先ほど監督は映像にすると丸見えになってしまうことを不安がられていましたけれど、実際にキャラクターや幽霊が目に見える形で出てきたときに、「この人はこういうキャラクターで、こういう表情の動きをして、こういう間の取り方で、こういう言葉を口にするんだ」ということを全員が同じように受け取れる。それこそが映画と小説の媒体の違いであり、映画の強みや魅力なんだろうな、ということは今回のやり取りの中でも改めて再認識したところですね。

